10月16日に公開された映画『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』。公開3日で340万人を動員する大ヒットとなっている ©吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

まさに「鬼のような大ヒット」といえるだろう。

全国403館で上映され、シネコンのスクリーンを占拠する前代未聞の興行となった『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』。初週3日間で興行収入は46億円(動員340万人)に達した。興行収入が50億円を超えるような作品は年に十数本程度。それをたった3日で近い数字まで到達することからも歴史的なヒットということがわかる。

そのコンテンツ力とコロナ禍における上映状況から大ヒットの条件は揃っており、予想以上のボリュームになったことはあるが、このヒット自体は想定内だ。それよりも映画関係者が本作の興行に注目していた点がある。それは鬼滅の刃が「定番の映画」になりうるかという点だ。

わずか3日で46億円稼ぐ

そもそも2016年に『週刊少年ジャンプ』(集英社)にて漫画連載がスタートした『鬼滅の刃』は、2019年4月期のテレビアニメ化により広く一般層への人気に火がついた。従来のアニメと異なり特徴的なのはファン層が性年代を問わず幅広く、さらに女性ファンが多いことだ。漫画やアニメだけでなく、音楽シーンからさまざまなグッズまで、昨年の社会現象的ムーブメントとなったその人気ぶりはすさまじかった。

今年に入ってからもその勢いが失われることはなく、夏を過ぎた頃からは映画公開に向けたさまざまなタイアッププロモーションが続いて露出が広がった。公開直前のテレビアニメ放送の2週連続特番の視聴率は10月10日が16.7%、10月17日が15.4%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。その変わらぬコンテンツ力と劇場版への注目度の高さを証明していた。

そうしたなかの今回の大ヒットは、映画関係者にとってはある意味、予想通りの展開だったと言えるだろう。今年ナンバーワンともいえる期待作であり、コロナ禍の映画興行シーンを盛り上げる大作アニメとして注目されていた。


鬼にされた妹の禰豆子(ねずこ)を人間に戻すため、主人公の竈門炭治郎(かまどたんじろう)は鬼を退治する鬼殺隊に加入する ©吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

洋画メジャーの新作がなく、邦画のヒット作も一段落したタイミングだったこともあるが、ほぼすべてのスクリーンを『鬼滅の刃』に充てるシネコンが多かった。そのため1日に30〜40回上映するシネコンもザラで、30分おきに上映、中には同時刻に複数スクリーン上映するシネコンもあった。そうしたことも奏功し、初週3日間で46億円超えという歴史的な興収記録を打ち立てた。

「名探偵コナン」のような存在になりうるのか

しかし、映画界の本作への期待は、大ヒットが想定内であった興行成績だけではない。もうひとつ重要な視線を投げかけていた。それは、『鬼滅の刃』が、『名探偵コナン』や『ドラえもん』のように、毎年劇場版が公開され、安定して高い興収を叩き出すシリーズ化が見込める作品になりうるかということだ。


ブームとなったコンテンツが、簡単に映画作品として定番化できるわけではない。過去の社会的ブームからの劇場版アニメの大ヒット作といえば、ヒット構造が近い『妖怪ウォッチ』が思い浮かぶ。

2013年に発売されたゲームソフトから、アニメや漫画などのクロスメディア展開を経て大ブレイクし、子どもたちから絶大な人気を誇った妖怪メダルなどのグッズは売り切れが続出。小学生とその親を巻き込んだ社会現象的ムーブメントとなった。そして、そんなブームの真っ只中に公開された劇場版第1弾『映画 妖怪ウォッチ 誕生の秘密だニャン!』(2014年公開)は、2015年の年間邦画興行収入ランキング(集計上前年の12月も含まれる)1位となる興収78億円の大ヒットを記録した。

しかし、その後の興行収入は年々シュリンクしていく。2018年公開の『映画 妖怪ウォッチ FOREVER FRIENDS』は興行収入11.5億円、キャラクターや世界観を一新した第6作『映画 妖怪学園Y 猫はHEROになれるか』(2019年公開)は興収7.3億円と苦戦している。

一方、漫画原作の劇場版では、『名探偵コナン』はここ7年連続で最高興収を更新し、最新作『名探偵コナン 紺青の拳』(2019年公開)は興行収入93.7億円と100億円突破も視野に入ってきている。

また、『鬼滅の刃』と同じ『週刊少年ジャンプ』からの劇場版である『ONE PIECE』は、毎年の公開ではないが、直近では2016年の『ONE PIECE FILM GOLD』が興収51.8億円、2019年の『ONE PIECE STAMPEDE』は興収55.5億円と、2000年の第1作からファンの高い支持を維持し、ヒット規模を拡大している。

映画関係者の間では、この『鬼滅の刃』が『名探偵コナン』のような「定番化コンテンツ」になりうるのかが注目されていた。


ストーリー性、映像演出、作画のクオリティーに高い評価の声があがっている ©吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

結果は、初週の時点で、期待が確信へと変わる手応えを得られたと言える。映画としてのストーリー性、映像演出、作画のクオリティーなどあらゆる要素が観客を魅了し、スクリーンで観るアニメ作品としてこれ以上ないほどの高い評価を得ているからだ。

何よりも大事なのは、映画化がファンに受け入れられるかどうか。劇場版は、これまでファンが楽しんできたテレビアニメとは、作品性も楽しみ方も異なる。しかし、本作を鑑賞した多くのファンのSNSでは「スクリーンで観るべき作品だった」「この物語はテレビではなく映画館で観られてよかった」といった声があがっている。これは、本作が映画として受け入れられた証であり、作品の物語性が映画作品としての親和性が高いことも物語っている。ファンの間ではこの先も劇場での公開が望まれているようだ。

映画、テレビ…今後の選択肢が広がる

もうひとつ、この先の劇場版が続けられる原作かという点においても余地がある。これまでに原作を追ってアニメ化が進められてきているが、現状はテレビアニメ第1期と劇場版の本作において、原作漫画8巻の途中まで進んでいる。原作はすでに『週刊少年ジャンプ』での連載は終了しているが、単行本はまだ発刊中。現時点(2020年10月)で22巻まであり、まだまだ映像化できるストーリーがある。

 オーソドックスなパターンとしては、この先、テレビアニメ第2期および第3期の2シーズン、劇場版は前後編の2部構成も考えられ、少なくとも3〜4作の制作が予想される。

しかし今回の結果を受けて、今後のシリーズ構想の幅が広がった。テレビ放映ではなく劇場版をメインに据えてシリーズを展開していくことは十分に考えられる。そして圧倒的なコンテンツ強度を武器に、前例にとらわれない新たな仕掛けに打って出る可能性もある。

定番化する際のコンテンツとしての問題は、原作の物語をすべて映像化したその後だが、本作を観たファンならば、誰もが「煉獄杏寿郎 外伝」(れんごくきょうじゅろうがいでん、『週刊少年ジャンプ』掲載)のアニメ化を熱望していることだろう。

また、『鬼滅の刃』の人気の理由のひとつに、背景を含めたキャラクター造形と描写の妙がある。“柱”をはじめとした鬼殺隊のメンバーだけでなく、“十二鬼月”のほか宿敵である鬼たちにもそれぞれが人間だったころのドラマがある。それは、本編により深みをもたらす、作品の幅を広げる物語となり、ファンを魅了することは間違いない。


柱のひとり煉獄杏寿郎(れんごくきょうじゅろう)の外伝の映像化を望む人も多い。こうしたストーリーの裾野の広さも作品の選択肢を増やしている ©吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

こうしたキャラクター外伝はいくつも数えられるうえ、「〜編」からなる作品の構造としてはスピンオフ的なオリジナルストーリーも可能になるだろう。『名探偵コナン』のようにいずれ毎年の公開も夢ではないポテンシャルの高い作品なのだ。映画としてその作品性が示され、そこへのファンの支援も取りつけた本作は、定番化できるコンテンツとして関係者に認識された。まずは本作の興行がとこまでの規模になるかが注目されるが、この先の映画界の関心は、『鬼滅の刃』をどこまで大きく、長く続くブランドとして育てていくかだろう。

未知の興行領域に踏み込む可能性

映画ジャーナリストの大高宏雄氏は、本作の興行について「今回の記録的な大ヒットは、原作の社会現象化、広範囲な層に共感を生んでいる作品力、コロナ禍の現状など、いろいろな要素がかみ合った。シネコンの上映回数が尋常ではない多さになった裏には、コロナ禍で大きなダメージを受けた映画館の期待の高さが現れていると思う。

そして蓋を開けてみれば、上映回数に見合った観客が訪れた。それがこれまでの大ヒットアニメとはスケール感の違った爆発的な興行につながっている。近いうちに100億円を超えるが、その先はどこまで数字が伸びるか、正直見当がつかない。今週の動向次第では、まったく未知の興行領域に踏み込み可能性もあります」と分析する。このままの勢いが続けば『君の名は。』以来の興行収入200億円超えもあるかもしれない。

そして、今回のヒットの意義を「歴代最高のスタート成績はともかく、映画の持っている底知れない力を見せてくれた。配信に揺れる映画界の希望、自信につながったと信じたいです」と語り、劇場版シリーズ化については「現時点でははっきりしていないが可能性はあるし、映画界にとって、次の作品への期待は非常に高いと思う」と語った。

映画シーンを底上げしていく定番シリーズ化への映画界の熱い期待がかけられている。