いまから20年ほど前。「大阪・西成から世界を狙うボクシング一家」として、父・亀田史郎(55)のスパルタ特訓に必死にくらいつく興毅(33)、大毅(31)、和毅(29)の三兄弟が、メディアで話題になった。

 2003年に長男・興毅がプロデビュー。「浪速乃闘拳」のニックネームで、ド派手なパフォーマンスとビッグマウスでKOを連発。一躍、“亀田ブーム” を巻き起こし、日本人初の3階級制覇を成し遂げた。一方でアンチも多く、世間から激しいバッシングに晒されていた姿も記憶に新しい。

 亀田家の末っ子・姫月(21)は、そんな興毅のことを「真面目な性格」と言う。

「亀田家みんな、あんなキャラじゃないんです。あれは、パパが作ったキャラなんです。興毅も、ふだんはめちゃくちゃ優しいお兄ちゃんですよ」

 そう笑うと、人前では見せない兄の優しい素顔を明かす。

「口下手で、まめに連絡をくれたりとかはないけど、陰で私のために動いてくれていたことがありました。

 じつは姫、パパのルールで恋愛禁止なんです(笑)。『ボクシングと恋愛は両立できない』っていうのが持論らしいです。一度その約束を破ったときは、パパの雷が落ちて、『サザエさん』(のエンディング)ぐらい家が揺れました(笑)。

 そのとき興毅に相談したら、『その男は、ほんまにアカンやつやからやめとけ』って言われたんです。結局、彼とは別れたんですが、じつは陰でめちゃくちゃ心配してくれてて、相手のことも全部調べ上げてたんです。姫自身も知らないことまで調べていて、逆に怖かったぐらい(笑)」

 次男の大毅は、2006年にプロデビュー。「浪速乃弁慶」の異名で、ビッグマウスぶりは兄以上ともいわれ、試合後のリング上での “歌謡ショー” も話題を集めた。

 大毅は2007年に、当時WBC世界フライ級王者だった内藤大助に挑戦するが判定負け。この試合での反則行為により、1年間のボクサーライセンス停止処分を受け、世間から猛バッシングを受けた。

「大毅は三兄弟のなかでも、性格的にいちばん変わっています。減量中は部屋の鍵をかけて、ピアノを弾いたり、曲を作ったりとかしてましたね。芸術家っぽい感じで、本棚にもすごい量の漫画があって、ゲームもヘッドホンをつけて没頭してやっていましたね」

 内藤戦以後の大バッシング報道で、当時小学生だった姫月にも、火の粉が降りかかったという。

「あのときは、私はまだ小さかったので、あんまりお兄ちゃんたちの試合とか、その後のニュースとか見ていなかったんです。だから、なんで家族が叩かれているのか、全然わからなかった。

 学校に行くとき、記者の方からバシャバシャとフラッシュを浴びせられて、怖かったのを覚えています。上空にはヘリコプターも飛んでいて、家のインターホンはピンポンピンポン鳴らされるしで、パパも心労が重なってダウンしてしまいました。

 パパからは、『玄関じゃなくて、裏口から学校に行け』と言われたんですが、裏口から走って出ても、記者の方が追いかけてくる。『大毅さんがバッシングされてることに対して、どう思いますか?』って、聞かれても答えようがなかったです」

 小学校でも、姫月は陰湿ないじめに遭ったという。

「昨日まで仲よくしゃべっていたコが、手のひらを返したように全然話してくれなくなって無視されました。人生で初めて、いじめを受けましたね。服をちょん切られたり、靴箱に行ったら靴がないとか。でも、学校では絶対に泣かなかった。

 学校から帰って、パパに『なんで姫が、いじめられなあかんの?』って聞いたけど、『負けんと学校へ行け。絶対に相手にするな。何を言われても黙っとけ!』と言われるだけでした。

 そのうち、いじめられている原因が大毅だとわかって、大毅の部屋に行ったら鍵がかかってたので、ドアの外から『大毅のせいで、いじめられてるやんか』と文句を言ったら、『あ、あ〜』みたいな、声にならない返事が返ってきただけでした。大毅がいちばん苦しかったはずなので、今は『あんなことを言わなかったらよかった』と後悔してます。

 でも、あの苦しかったときがあったからこそ、今があるのかなと思います。家族の絆も深まりましたしね。それから6年間、いじめは続いて、中学に入っても、姫にはずっと誰も近寄ってきませんでした。それで中学2年の初めに、パパと2人で東京から(出身地の)大阪に引っ越したんです。

『大阪に帰ってもいじめに遭うだろうな』と思っていたんですが、大阪は全然違いました。初日に『転校してきたヤツは、どいつや!』と、椅子をバーンと投げつけられたんですが、翌日に私が亀田三兄弟の妹とわかったみたいで、『(亀田家を)めちゃくちゃ好きやで、昨日はごめんな』と謝られて。大阪と東京の温度差には、驚きましたね(笑)」

ボクシングの練習中にも関わらず、快く写真撮影に応じた和毅(左)、姫月(中央)、父・史郎

 三兄弟のなかで唯一、現在も現役を続けているのが、三男の和毅。日本を離れてメキシコで武者修行をおこない、2008年に現地でプロデビュー。2013年にはWBO世界バンタム級王者のパウルス・アムブンダに挑戦し、判定勝ちで初の世界王座戴冠を果たした。史上初となる三兄弟での世界王者達成で、ギネスブックで世界記録にも認定された。

「今も現役っていうのもあって、ボクシングの話もできるし、年が近いのもあっていちばん仲がいいかな。最近はこっち(大阪)にも帰ってきたので、練習も一緒にしています。和毅のことは、姫はめちゃくちゃリスペクトしていて、プロ意識がすごいなって思います。16、17歳で一人でメキシコに行って、それで今はスペイン語で普通に会話もできる。

 和毅の素顔? じつは、和毅がいちばんおもしろいキャラなんじゃないかって思います。興毅がバラエティとかに出て、『おもしろい』『ギャップがすごい』とか言われてるけど、和毅のほうがずっとおもしろい。でも、それを出す場所がない(笑)。引退してバラエティ番組とか出たら、人気出ると思いますよ」

 そんな一家の“ラスボス”が、父・史郎だ。強面で、JBCからセコンドライセンスの資格取り消し処分を受けたり、客席からがなり声を上げる姿がクローズアップされ、世間では「怖い」というイメージが定着しているが……。

「姫の中でも、パパのイメージはちょっとずつ変わってきてるんですけど、でもまだやっぱり怖いイメージは残っていますね。そこはもうゼロには戻らないと思います。パパは昔からアメとムチがはっきりしていて、練習では鬼の顔でボクシングを教えるんですけど、プライベートは、めちゃくちゃ優しいお父さんになるんです。

 それに意外とシャイで、人見知りなんですよ。初めて会った相手と顔を見て話して、『この雰囲気ならいける』と思ったら、ガーッといくタイプなんですけど、『圧で負けたな』と思ったらめっちゃシャイになるんです。

 ファンの方から声をかけられると嬉しいんですが、体がごつくて顔が日焼けしてて、雰囲気がいかついファンの方が『3150(サイコー)!』とかやってきたら、パパはちょっと引くんですよ。『あ、あ〜』みたいな(笑)」

 最後に、姫月さん本人の話を聞こう。プロボクサー、タレント、アパレル会社社長、YouTuberと、さまざまな顔を持っているが、将来をどう見据えているのか。

「ボクシングはあまり長く続けたくないんです(2018年にデビュー。戦績は6戦5勝〈5KO〉1敗)。それほど好きじゃないし、現役中は恋愛禁止だし。できるなら今すぐにでもやめたいくらい(笑)。ただ、パパのセコンドライセンスが返ってきたら、亀田家復活ということでリングに上がって、パパのセコンドで試合をしたい気持ちはあります。

 YouTubeを始めたのも、パパのライセンスが早く返ってくるようにという思いから。本人のイメージが悪かったら、復帰も遅くなってしまうと思いますし、少しでもパパのイメージをよくできればと続けているんです。世間の方もだいぶんわかってきてくれていると思います。

 本当はおもしろくて優しい人で、昔はキャラを作っていたんだなと。今はひとつのことに集中するのは難しいんですが、最終的にはアパレルに力を入れてやっていきたいかな。将来のことは、むちゃくちゃ計算してますよ(笑)」

 壮絶ないじめに6年間も耐え抜いた姫月。理想の男性を 聞くと、「パパみたいな人。体はごついし、一人でなんでもできちゃう」と、笑顔で答えてくれた。

写真&取材&文・北浦勝広

(週刊FLASH 2020年11月3日号)