ヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞を受賞、太平洋戦争前夜に国家機密を握った男とその妻を描く黒沢清監督『スパイの妻 <劇場版>』が全国の劇場にて公開されています。

 1940年、神戸で貿易会社の福原物産を営む福原優作(高橋一生)は、物資を求めて赴いた満州で、人道に反する恐ろしい国家機密を偶然知る。そして、優作は正義の実現のため、その機密を国際社会で明らかにしようとしていた。

 ある日、憲兵分隊長に任命され神戸へやってきた津森泰治(東出昌大)が、優作の仕事仲間であるドラモンドが、諜報員の疑いがかけられ逮捕されたことを優作へ告げる。泰治は、自身の幼馴染でもある優作の妻・聡子(蒼井優)のためにも人付き合いを考え直すよう勧める。

 ちょうどその頃、対日輸出制限が始まり、アメリカが敵国になるのは時間の問題だった。そんなある日、福原物産の倉庫で優作は国家機密の全貌を聡子に語る。それは国家にとって、あまりに不利益な事実。一度は正義よりも平穏な生活を選ぼうとした聡子だが、やがて「アメリカへ渡りましょう、わたしたち二人で」と言い、正義を貫こうとする優作と運命を共にする覚悟を決める。驚く優作に対し、聡子の瞳は心なしか輝いていた。そして、志を遂げるため、二人は亡命の準備を始める――。

 脚本は東京藝術大学大学院の教え子でもある濱口竜介監督(第71回カンヌ国際映画祭コンペティション部門正式出品『寝ても覚めても』『ハッピーアワー』)、野原位さん(『ハッピーアワー』脚本)が担当。今回は、本作監督の黒沢清さんに制作の経緯や本作に寄せる思いなどについてお話を聞きました。

◆太平洋戦争前夜の個人と社会

――今作は濱口竜介監督の『ハッピーアワー』(’15)がご縁で、黒沢監督と脚本担当として、大学院の教え子でもある濱口監督、野原さんが集結したとのことでした。

黒沢清監督(以下、黒沢):僕が神戸出身なので、プロデューサーからは神戸を舞台にした映画をというリクエストがあって、それを受けて脚本家の濱口(竜介)、野原(位)がプロットを書いて持って来たんです。それはもう、読んでいて本当に面白かったですね。

 前から僕はこの時代をやりたいと言っていたのですが、それが彼らにも伝わっていたのかもしれません。この物語は原作もモデルとなった実在の人物もなく、オリジナルで思い付いたということに感心しました。

 ただ、スケールの大きな物語なので映画化は難しいと感じていました。最初、「お金あるの?」と二人に聞いたら「ありません」と。ただ、彼らはプロデュース能力もあって、各所に奔走をしてくれたこともあり、作品を完成させることができました。彼らの才能と機動力には敬服しますね。

――1940年代を舞台に「個人と社会」の関係を描いていると受け取りました。

黒沢:僕からは「個人と社会」がテーマだとは声高に言ってはいないのですが、自然にそうならざるを得なかったという感じですね。これまで主にホラーものや犯罪ものなどのジャンルの現代劇を撮ってきましたが、物語が何であれ「個人と社会」というテーマは避けて通れません。

 ところが、現代の設定で「個人と社会」を突っ込んで追求しても、社会は一見、個人の自由を保障しているように見えるので、主人公の行動は正しかったのか、それとも間違っていたのか、はっきりしない結末になってしまい、その結果、わけのわからない映画と呼ばれることが度々ありました。 ところが、今回の舞台の1940年代前半だと社会が個人に対して強いるルールがかなりはっきり想定できます。それに対して、個人がどのように対峙するのかを明確に表現できる上に、結果的に社会がどうなったかみんな知っている。全てを描かなくても見る方が現実社会の結末をわかっているんですね。