JR九州の新たな観光列車「36ぷらす3」(撮影:尾形文繁)

JR九州に新たな観光列車「36ぷらす3」が登場した。9月29日、北九州市内にあるJR九州の車両センターでその姿が公開された。2017年3月にデビューした「かわせみ やませみ」以来、同社にとって3年半ぶりの観光列車となる。デザインを手がけたのはJR九州の車両デザインを一手に引き受けている水戸岡鋭治氏だ。

会場の右手に、JR九州の特急列車787系が止まっていた。1992年にデビューしたこの列車は水戸岡氏が特急用車両として初めてデザインを手掛けた。当時のJR九州の看板列車であり、水戸岡氏にとっても自信作だ。JR九州の社員の間でも「787系がいちばん好き」という声が多い。そして、36ぷらす3は787系を改造して誕生した。

青柳俊彦社長の挨拶に続き、36ぷらす3が姿を現した。メタリックな黒い塗装に金の縁取り。報道陣の間から小さな歓声が上がった。

「ななつ星より難しかった」

「787系を造るときにできなかったことが、36ぷらす3でできた」と、水戸岡氏は感慨深げな表情で話す。

36ぷらす3の隣に並んでいる787系の外観はダークグレー。水戸岡氏は、「本当は黒にしたかった」という。当時は「黒は鉄道に使わない」という理由でダークグレーになったが、その後、観光列車「はやとの風」やディーゼル機関車にも外観の塗装に黒が使われ、JR九州において黒はタブーではなくなった。

内装も787系はモダンな洋風だが、36ぷらす3はクラシックな和の雰囲気だ。1990年代の列車のデザインは洋風が当たり前だったが、30年がかりで、ようやく和風デザインが当たり前の時代になったわけだ。

ただ、完成に至るまでの道のりは一筋縄ではいかなかった。「今回はななつ星や新幹線800系よりも難しかった。どうしたらいいか、わからなかった」と水戸岡氏が回想する。

2年ほど前に初めて新たな観光列車に関する企画会議を開いたとき、最初のプレゼンテーションは「JR九州で初めて」(水戸岡氏)却下されたという。「なぜ却下されたのか」という問いに対して、水戸岡氏は、「当時は“ああ、却下されることもあるんだ”と思いました」と話しはじめたが、その後、青柳社長が引き取って、こう続けた。「その理由を水戸岡さんに聞くのは酷かな。デザインが理由なのではなく、コンセプトが固まっていなかった」。

九州のエピソードをぎゅっと詰め込んで、毎日違うおもてなしをして、世界に九州をアピールするオンリーワンの車両というコンセプトが決まった後、車両デザインが固まった。列車は6両編成で、1〜2号車がグリーン個室。3号車がグリーン個室とビュッフェ、4号車が「マルチカー」と呼ばれるフリースペース、5〜6号車がグリーン席という構成だ。

1・6号車の床は「畳」

水戸岡デザインの列車の内装にはいつも驚かされるが、36ぷらす3の“驚き”は、1号車と6号車の床が「畳敷き」という点にあった。「畳で設計する人も人なら、了解する会社も会社だね」と、青柳社長が笑う。

水戸岡氏は6月に行ったインタビュー時に「畳の材料のいぐさは対湿性、殺菌効果、消臭効果があるという万能の草。こういうよいものが日本には昔からたくさんあるので、自然の力をもう一度見直して、私たちの生活空間に持ち込めばいい」と話していた(「『ななつ星』デザイナーが考えるコロナ後の世界」)が、今にして思えば、36ぷらす3に畳を使うことを想定しての発言だったようだ。

さらに5・6号車のグリーン席の座席は800系新幹線の座席をベースとしたものだ。「800系の座席の完成度が高い」(JR九州)ため、新たに座席をデザインせず、800系タイプの座席を使うことになった。当初は廃車となった新幹線車両の座席を再活用するという構想もあったが(「観光列車の座席に?『廃車新幹線』意外な使い道」)、「新品でいこうということになった」(同)。

36ぷらす3というユニークな名前は、九州が世界で36番目に大きい島ということに由来する。「ぷらす3」とは、JR九州によれば「驚き、感動、幸せ」または「お客様、地域のみなさま、私たち」を表すという。ちなみに「“ぷらす”はひらがなにしたらどうかとK会長(唐池恒二会長)から提案があった」と、青柳社長が秘話を明かしてくれた。

スタッフ訓練は車両完成前から

36ぷらす3は5日間かけて九州を周遊し、総走行距離は1198kmに及ぶ。5日間のルートは次の通り。木曜日は博多→鹿児島中央に向かう。金曜日は鹿児島中央→宮崎、土曜日は宮崎空港・宮崎→大分・別府、日曜日は大分・別府→小倉・博多、月曜日は博多と長崎を往復するというものだ。

責任者を務める鉄道事業本部営業部営業課の堀篤史担当課長は、「1日単位で乗車できるので、お客様にあった旅のスタイルを見つけていただければ」と話す。運行開始は10月16日金曜日。つまり初出発の地は鹿児島中央駅だ。

観光列車の魅力は車両だけでない。食事、さらに車内スタッフによる乗客のおもてなしも不可欠の要素だ。これがないと、どんなに豪華な車両も一瞬で色あせる。観光列車戦略で一日の長があるJR九州はその点をよくわかっている。36ぷらす3が完成してから客室乗務員の訓練をするのでは間に合わないと判断し、36ぷらす3のベースとなった787系を使って、実際のダイヤに合わせて乗務員の訓練運行を行った。

8月9日、大分駅に姿を見せた787系の試運転列車にJR九州の従業員約40人が乗り込んだ。博多や鹿児島の拠点から集められたよりすぐりの人材だ。

【2020年9月30日8時23分追記】初出時、JR九州従業員の記述に誤りがありましたので、上記のように修正しました。

走行中の車内では接客の訓練だけではなく、至る所で車掌や乗務員たちが議論を重ねていた。

「何を話し合っているのですか」。乗務員の一人に尋ねると、接客マニュアルでは乗車した客の切符の確認を一通り終えた後に改めて乗客にパンフレットを配って回ることになっているが、実際にやってみると、切符の確認とパンフレットの配布を同時に行うほうがいいのではないかと感じたのだという。では同時に配布するとしたら、パンフレットをどうやって携帯すべきか。このように、机上で作成したマニュアルが現場の声を受けて修正されることはよくある話のようだ。

ほかにも、時速120kmという観光列車としては速いスピードで走るため、接客中によろけたりすることがないよう、客室乗務員は少し足を広げて立ったほうがいいといったことを話し合っているグループもあった。

車両公開の当日、車掌や客室乗務員の制服も発表された。女性はスカートからパンツスタイルに。「高速で走って揺れることや畳に座る可能性があることも考慮してスカートではないほうがいいという意見があった」とJR九州の担当者が話す。制服のデザインも現場の意向を反映して作成されるという好例だ。

口元が隠れても笑顔が伝わるように

弁当を配る訓練では、乗客に丁寧に食材の説明をするという前提で、タイミングよく配り終えることができることができるかということも確認する。スムーズに配っていかないと食事を楽しむ時間が減ってしまうからだ。

その模様をスマートフォンで録画している客室乗務員もいた。「自分たちの所作が客観的にどう見えているのかを後で確認し合う」という。車窓を流れる風景をビデオカメラで録画している客室乗務員もいた。これも沿線の説明をするために使われる。

コロナ禍において、接客で工夫している点はあるかと尋ねてみたら、「マスクで口元が隠れた状態でも、目で笑顔を伝える練習をしている」とのことだった。コロナの影響ではなく、元々からあった研修の一つだという。

駅に到着すると、すべてのドアでホームとの隙間や段差を計測する。「実際の列車を入線させて、お客さまが安全にご利用できるかを確認しています」と、堀課長が説明する。客室乗務員は、エレベーターの位置や観光名所までの所要時分などの確認に余念がない。

5日間にわたるコースということは、それだけ接客の負担が増える。5つの観光列車を同時に作り出すくらい大変といってもよい。だが、生みの苦しみが深いほど、新たに生まれた列車の旅はより大きな感動をもたらすに違いない。