一般社団法人エフエフピー・代表理事の中川拓さん(撮影:ニシブマリエ)
新型コロナがもたらしたのは、経済危機だけではない。ステイホーム期間だった今年4〜5月、全国の配偶者暴力相談支援センターに寄せられた相談件数は前年より2割から3割多かった。「DV被害者は逃げてください」が被害者救済のための基本的な方針だが、コロナ禍ではそれも難しかっただろう。では、加害者はどうだったのか。そもそもDVの加害者は変われないのか。加害者プログラムを今年卒業し、DVや虐待に悩む人たちのための団体を立ち上げた夫妻の話から始めよう。
妻を叩いても「DV」の自覚はなかった
引き金はいつも、取るに足らないことだった。
「カレーには福神漬けとラッキョウ。とんかつにはソース。くだらないことなんですが、こういった約束事が守られていないと、何度言えばわかるんだとイラついてしまって」
DVの元加害者、中川拓さん(52)はそう振り返る。1年間通った加害者プログラムを今年2月に卒業。現在は宮崎県西都市で一般社団法人エフエフピーを夫妻で立ち上げ、自身の経験をもとにDVや虐待の相談を受けている。
拓さんはかつて、妻の亜衣子さん(41)に対し、言葉の暴力やモラハラを繰り返し、平手で叩いたこともあった。
「もちろんケガをしない範囲で。スーパーでお母さんが子どもに『ダメでしょ!』と頭をポンと叩いていることがあるでしょう。あれと同じ。しつけの一環だったんです」
昔からリーダー気質だったという。学校では学級委員や応援団長をこなし、人気者で“モテる”タイプでもあった。
「妻には『俺が上、お前は下』くらいのことを言っていて。今思えば、いろんな刷り込みから、男らしさをはき違えていたんです。決め癖がついていて、夫婦で何かを決めるときも『君はどうしたい?』じゃなくて『これでいいよね?』と決めてしまう。妻はそれに納得していないから、約束したことを忘れることがある。それを指摘するとむくれた顔をするので『やることやってない奴が、何むくれているんだ』と説教を始めるわけです。あくまで自分は正しい側にいる。委縮して何も話せない妻に『なに黙ってんの』とさらに圧力をかけて……。それでも自分がDVをしている自覚はありませんでした」
結婚から3年後の2018年秋。2人は東京から宮崎に引っ越した。大きな庭のあるマイホームが欲しくて、亜衣子さんの生まれ育った宮崎を選んだ。ところが、宮崎に来て1カ月後、亜衣子さんが突如いなくなった。どこに行ったんだといら立ちながら帰りを待っていると、数時間後に「離婚したい。子どもは私が育てる」という趣旨のメールが届いた。
亜衣子さんは、結婚当初に言われた「俺が上、お前は下」を楽観的に捉えていたという。
「やっぱり、夫を“好き”という気持ちがあるので、正直『亭主関白な人なんだな』くらいにしか思わなかったですね」
しかし、結婚直後から亜衣子さんは夫の顔色をうかがうようになった。頼まれごとを忘れたり、少しでも反抗的な態度を見せたりすると、夫に怒りのスイッチが入ってしまう。説教は5時間以上に及び、「死ね」「生きている価値がない」といった言葉の暴力を投げつけられたこともある。
「でも、自分がDVを受けている自覚はなかったんです。言われたことをできない自分が悪い、と。拓さんから言われるのと同じように、自分に対して『生きてる価値ないのかも』と思い始めたりして」
家出は計画的ではなかった。
怒られる頻度は最初、週に一度くらいだったのに、次第に揉め事は毎日のように起きるようになった。限界になった亜衣子さんは「ここを出なければ」という一心で実家に向かった。警察に電話し、いきさつを話すと、「それはDV」と言われ、初めて自分はDV被害者という意識を持った。
DVチェックにほとんど当てはまり、DV加害を自覚
妻に出ていかれ、宮崎の家で1人になった拓さんは、何度もメールで謝罪した。それに対し、亜衣子さんは「離婚する」と譲らない。そんな日が数週間続いた後、拓さんはネットで「DVチェック」という文字が目に入った。「相手が自分に従わないと、いらいらしたり怒ったりしますか」「いつもリードしなければと思っていますか」といった項目の1つでも該当すれば、DVの可能性があるという。その項目のほとんどが自分のケースに当てはまった。
「DVチェック」を通じて、NPO法人女性・人権支援センター「ステップ」(横浜市)の存在を知った。DV・虐待の被害者支援に加えて、全部で52回の加害者向けプログラムを提供しているらしい。九州では、同様のプログラムは見つからない。拓さんが「ステップ」に問い合わせると、オンラインでの参加は認めていない(現在はオンラインも実施)。本来なら週一度・1年間で修了となるが、拓さんは事情を説明し、一度に数回分の受講を認めてもらった。
そして、拓さんは定期的に、宮崎から横浜に通うようになる。
「ステップ」のプログラムでは、参加者がテーマに沿ってディスカッションしたり、パートナーとの近況を報告し合ったりしながら、歪んだジェンダー観を自覚し、被害者の傷つきを学んでいく。参加費は1回3000円。集まるのは各回5〜10人だ。
全回を通じて、参加者は「DV加害は3つの要素からなる」ことを学ぶ。
・まずは依存心
相手に依存しているのはむしろ加害者側である
・次に生育環境
DVや虐待など暴力に近い環境で育った人は、それを再生産する恐れがある
・それから、外的コントロールによる刷り込み
圧力をかけることで他人は変えられるという思い込み。暴力的なシーンが頻繁に登場し、暴力を肯定するかのような劇画などを見て育った人たちは、暴力で勝ったほうが正義という価値観が刷り込まれている
【2020年10月5日8時10分追記】初出時、外的コントロールによる刷り込みについて不適切と思われる部分があったので上記のように修正しました。
中川さん(撮影:ニシブマリエ)
人格を変えるのではなく考え方や行動を変える
拓さんは横浜で何に気づかされたのか。
「DV男は変われないと思われがちですが、『ステップ』や『エフエフピー』でやっていることは、根性や気合いではなく心理学です。人格を変えるのではなく、考え方や行動を変える。例えば、選択理論という考え方を学びます。これは、自分の行動は自分の選択であると自覚すること。『相手が私を怒らせる』のではなく、『私が怒りを選択している』のだと知ることです」
加害者は多くの場合、相手が怒らせるようなことをしなければ、自分は加害者にならずに済んだという被害者意識がある。しかし、選択理論を学ぶと、自分の行動の責任は相手ではなく、自分自身にあると知るようになる。
横浜の「ステップ」でのプログラム修了が近づいた頃、拓さんは「自分は加害者になれた」と考えるようになったと話す。「加害者になれた」とは、どういう意味だろうか。
「プログラム参加者に限らず、関係性の暴力はあちこちにあることに気づいたんです。しかも、それを自覚できている人はそう多くない。加害者にすらなれないで人を傷つけ続けている人がいるんです」
別居から8カ月ほど経った頃、亜衣子さんの提案で2人は再び一緒に暮らすようになった。拓さんは1人暮らしになってから毎日、謝罪の言葉や「ステップ」での学びをメールで報告していた。亜衣子さんは最初、半信半疑だったという。それでも、夫が少しずつ変わっている実感はあった。例えば、呼び方。以前は「おい」や「おまえ」としか呼ばれなかったが、「亜衣子さん」に変わった。食卓にソースが出ていなくても、拓さんは何も言わずに自分で取りに行く。
怒りを乗り越えるのも結局は自分
「私もすぐに許せたわけではなくて、拓さんにやたら腹が立つ時期もありました。でも過去は変えられない。怒りを乗り越えるのも結局は自分だなって。拓さんも初めは肩身が狭そうな感じでしたけど、今では軽い口げんかもできるようになりました」
中川拓さんと、妻の亜衣子さん(写真:中川拓さん提供)
拓さんと亜衣子さんが立ち上げた一般社団法人「エフエフピー」の名称は、「フィフティ・フィフティ・パートナーシップ」の頭文字を取った。いまは10人ほどからDVや夫婦関係の相談を受けている。
亜衣子さんは、DVの被害を受けている人に「まずは被害者になってください」と訴える。自分たちがそうだったように、DVがあっても加害者にも被害者にも当事者意識がない場合が多いからだ。
「まずは自分が被害者にならないと、加害者が生まれないんです。加害者側が自ら気づいて変わるのは難しい。すごく勇気がいることですが、第三者に相談しながら行動を起こしてほしいです。私も渦中にいるときは、被害者が加害者と再び仲良くできることが理解できませんでした。でも私は今、幸せだなって感じます。『うちの夫は変わらない』と諦めず、相談してほしいです」
(取材:ニシブマリエ=フリーライター)
外部リンク東洋経済オンライン