西良太さん(仮名・37歳)は、子供時代に自分を苦しめてきた両親と距離を置いて暮らしている。だが23歳のとき、父の死を知らせる市役所からの連絡で過去の記憶がフラッシュバックしたという。ノンフィクション作家の菅野久美子氏が話を聞いた――。

※本稿は、菅野久美子『家族遺棄社会 孤立、無縁、放置の果てに。』(角川新書)の一部を再編集したものです。

写真=iStock.com/Wacharaphong
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Wacharaphong

■ふと苦々しい記憶がフラッシュバックした

「青森県の某市役所の者です。お父さんが波打ち際に打ち上げられて亡くなっていました。海に身投げして自殺したみたいです」

西良太(仮名・37歳)の携帯電話に青森の市役所の職員から連絡があったのは、23歳の暑い夏の日のことだった。

その言葉を聞いた瞬間、一粒だけ涙がこぼれた。

オヤジ、死んだのか──。

悲しみなのか、怒りなのか、よくわからない感情が込み上げ、良太の胸はぐちゃぐちゃになった。

ふと、頭の片隅に父親の顔がフラッシュバックする。父親の記憶は、どれも苦々しいものだった。良太にとって、父親は絶えずギャンブルや女性に溺れていた身勝手な存在という記憶しかない。

良太の父親は、かつては電車の整備員をしていた。しかし、友人の会社の保証人になり、多額の借金を抱えたことで一家の転落が始まっていく。父親は借金の返済のためにギャンブルにハマり、良太が3歳の時にマイホームを失い、一家は路頭に迷ってしまう。

父親が電車の整備員の仕事を辞めると、一家はある会社の寮に移住することになる。父親はそこで社員たちの調理師兼管理人として住み込みで働くことになった。しかし、父親のギャンブル癖は止むことはなかった。パチンコにのめり込み、借金は見る見るうちに膨れ上がっていく。父親は不倫も繰り返していて、家に帰ってこないこともよくあった。

しまいには良太が小学三年生の時に、不倫相手の女性とともに蒸発。残された家族には借金だけが残り、清掃員の母親がわずかな給料から月々返済していくという貧乏を絵にかいたような日々が続いた。それでも借金は払いきれずに、家に借金取りが押し寄せ、生活は火の車だった。

■泥酔した母親を警察から引き取った中学生時代

良太には、今でも忘れられない思い出がある。

貧困のため母親の給料だけでは給食費を払えず、何度も、職員室に後から納めに行ったこと。小さい頃に買ってもらったボロボロの自転車を、体が大きくなるまで乗り回していたこと。

自分の家は、なぜ、他の家と違って貧乏でお金がないんだろう──。なんで自分たち家族はこんな思いをしなくてはいけないんだろう。

お父さんさえ、しっかりしていれば──。理不尽な思いが良太の中で募っていった。そんな境遇もあって良太自身、子供の頃から抑うつ症状が現れていた。将来が不安で夜安心して眠れない日々が続いたのだ。

母親も働けど働けど豊かにならない生活に疲れ果てたのか、いつしか酒に溺れるようになっていく。

次第に母親も夜の街に繰り出して、家に帰ってこなくなっていった。良太が中学生ぐらいになると、警察から「母親が道端で寝ていたから引き取りに来て欲しい」という連絡が頻繁に入るようになる。母親はよく、警官に両腕を抱えられ、泥酔していた。そんな母を見るのは何よりも辛く、屈辱的だった。

母親は何とか貧困生活から抜け出そうと良太の反対を押し切って地元でスナックを始めたが、それも立ち行かず借金だけが残った。

良太にとって、ギャンブル中毒の父も、厚顔無恥な母も家族そのものが記憶から消去したい存在だった。自分を苦しめた父も母も、良太は大嫌いだった。

良太は、家族の窮状を受け止めきれず思春期になると自暴自棄になっていく。特攻服を着て、駅前にいるヤンキーの真似事をしたこともあった。

しかし、高校卒業後親元を出て社会人になってからは、真面目に勤めてきたのだった。父の死を知らされたとき、これまでの過去と、様々な交錯する思いが、まるで走馬灯のようにフラッシュバックして、思わず眩暈がした。

■市役所の職員は「家族なら当たり前」といったように…

「それで、お父さんのご遺体もそうですが、お父さんのアパートも車もそのままになっています。それをこっちに引き取りにきて欲しいんですよ」

しかし、すぐに市役所の男性の言葉によって、現実に引き戻された。

電話の向こうの市役所の職員は、家族なら当たり前といったように、良太にそう投げかけてくる。

「いやいや、ちょっと待ってください」

ついカッとして、慌ててそう言い返した。

「申し訳ないけど、そっちで『処理』してくださいよ」
「そう言われても……」

相手は、困り果てた様子で、それでも食い下がってくる。

「知らねーよ!!」

怒りで思わず頭に血が上り、罵倒している自分がいた。市役所の職員によると、父親の最後の勤め先はパチンコ店だった。年齢を計算すると享年63になる。父親は一人暮らしで、最後まで借金は絶えず、一緒にいたはずの女性も姿を消していたらしい。

■なぜ父親は最後まで自分たちを苦しめるのか

なぜ、散々迷惑をかけ、最後には家族を捨てていった父親の面倒を、子供だというだけで自分が見なくてはいけないのか。なぜ、親族というだけで、最後の後始末まで自分が引き受けなければならないのか。なぜ、父親は最後まで自分たちを苦しめるのか。

そう思うと、無関係な職員には悪かったが、大声を上げて拒絶するしかなかった。

「じゃあ、仕方ないですね。わかりました」

結局、長時間の押し問答の末、市役所の職員は根負けする形で引き下がった。それ以降、二度と市役所から連絡が来ることはなかった。

「父親は、最終的に周りに誰も頼る人がいなかったみたいなんです。本当に孤独な最期だったと思いますね。狭いアパートで、一人暮らし。女性もいなかった。借金苦の末に自殺。

でも父ならいつかそんな死に方を、するだろうなと思ったんです。そりゃ孤独な死を迎えるよ。そうなるしかない。人を捨てていった人は、そういう結末を迎えるしかないと思うんです」

私には、良太の葛藤が痛いほどに伝わってきた。良太にとって、父親は決して思い出したくない過去の一つだったのだ。良太はその一件があってから、本格的に「家族を切る」決意をした。

■普通になるために、全てをなかったことにしたい

良太はいつだって、「普通の家族」に憧れていた。お父さんがいてお母さんがいて、お金に苦労することもなく、いつも笑いあって、仲が良くて、みんなが当たり前のように手に入れている、そんな「普通」の家庭──。だけど自分の家族は、明らかに周りとは違っていた。

だから、「普通になるために」父も、母も全てを消し去りたいと思った。そして、できるならば自分の家族の存在をなかったことにしたい。

それを実行するために、良太はあることをしに居住地の市役所に行った。

それは、自分の戸籍を抜くことだった。もう、二度と父親の件で行政などから連絡が来ないようにするために。

「籍を抜きたいんです」そう告げると市役所の職員の年配の男性は、良太の深刻な表情に何か事情があると察したのか、好意的な態度で手続きをしてくれた。戸籍には、初めて見る父方の祖母の名前があった。

職員は、「人生色々あると思うけど、頑張りなさいね」と言って良太に優しいまなざしを送った。戸籍を抜いても法的な親子関係が切れるわけではない。しかし、籍を抜いた瞬間、良太はどこか晴れ晴れしい気持ちになった。

家族を捨てること、それが新たな自分にとっての出発になる、それが長年の良太の願いだった。

■「全てが血縁ベースの社会になっているのが苦しい」

今が幸せだからこそ、自分を苦しめてきた家族とは縁を切りたいし関わりたくない──。その考えは二児の父となり、妻と子供と幸せな家庭を持った今も変わらない。

菅野久美子『家族遺棄社会 孤立、無縁、放置の果てに。』(角川新書)

「全てが、血縁がベースの社会になっているのが苦しいんですよ。だけど、自分の家族も行政もそれが当たり前だと思ってる。そういう意味で、家族は捨てられないのがやっかいだと思うんです。本当のことを言えば家族は全部捨てたいんですよ」

良太を苦しめるのは、亡くなった父親だけではない。良太は酒に溺れ、10年以上会っていない母親とも、その関係を清算しようと考えていた。良太にとって家族とは、まとわりついて離れない生霊のようなものなのだ。自立心のない母親にも、散々振り回されてきた。血縁というだけでその始末が自分に降りかかり、その度に良太は過去のトラウマを思い出し、仕事に手がつかなくなることも度々あった。

良太はかつての家族を清算することで、初めて自分が守るべき、家族と向き合おうとしていた。

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菅野 久美子(かんの・くみこ)
ノンフィクション作家
1982年、宮崎県生まれ。大阪芸術大学芸術学部映像学科卒。出版社で編集者を経てフリーライターに。著書に、『超孤独死社会 特殊清掃の現場をたどる』(毎日新聞出版)、『孤独死大国 予備軍1000万人時代のリアル』(双葉社)、『大島てるが案内人 事故物件めぐりをしてきました』(彩図社)などがある。また、東洋経済オンラインや現代ビジネスなどのweb媒体で、生きづらさや男女の性に関する記事を多数執筆している。
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(ノンフィクション作家 菅野 久美子)