菅新首相の肝いり政策の1つである「ワーケーション」。ゴルフ業界もこの流れに乗ろうと、実証実験を始めます(写真:ARTvertize/PIXTA)
信用調査会社の帝国データバンクによると、新型コロナウイルスに関連した倒産件数が全国で533件に達したという(9月16日現在)。業種別では「飲食店」が最多の77件。これに次ぐ件数となったのが「ホテル・旅館」の55件だ。
打撃を受けた観光業や地方経済の立て直しという観点から、安倍前政権が進めてきたのが「ワーケーション」。ワーク(仕事)とバケーション(休暇)を合わせた造語だ。リゾート地や地方など、普段の職場とは異なる場所で働きながら休暇を過ごすことを意味し、新しいスタイルとされる。
このワーケーションを推進してきたのが、新首相に就任した菅義偉氏である。官房長官時代の7月29日の記者会見で、「観光は地方創生の切り札。まずは国内観光を楽しんでもらう環境をつくることが重要だ。新しい旅行や働き方のスタイルとして普及に取り組みたい」などと話している。
ワーケーションは、コロナ禍によって急に出てきた話ではない。地方創生や観光振興のため、昨年11月に和歌山県や長野県を中心となり「ワーケーション自治体協議会」を設立。当初はあまり認知が進んでいなかったようだが、コロナ禍によってテレワークが急速に広がったことで脚光を浴びるようになった。
そんなワーケーションに、ゴルフ場を活用できないか――。足元で、こうした動きが出てきている。
クラブハウスがオフィスになる
ゴルフ場はいわゆる「3密」になりにくい空間で、スポーツとしてもハードではない。それゆえ、運動不足解消のためにゴルフをする人は、コロナ下でも存在した。
しかし、多人数のコンペはどのゴルフ場でも軒並みキャンセル。自粛解除後、個人客は戻ってきているが、経営を圧迫していることには変わりない。コロナ関連倒産とみられるゴルフ場も出てきた。
こうした中で、ワーケーションの場としてゴルフ場の適性を探るための実証実験が始められることになった。日本プロゴルフ協会などとも契約している矢野経済研究所が、長野県佐久市のサニーカントリークラブ(CC)とワーケーションに関して議論する機会があり、具体的な企画へと発展したという。
実証実験は、サニーCCで9月下旬から10月上旬の平日に3回、2泊3日の予定で行われる。ゴルフ場クラブハウス内をはじめとする各施設、宿泊施設(ロッヂ、コテージ)をリモートオフィスとして貸与する。パソコンを持参すれば、Wi-Fi環境は完備されている。
参加費用はクラブハウス内のロッヂ宿泊でシングル2万2000円から(税込み、以下同)、別棟のコテージ宿泊の場合は4人利用で1万7600円から、などとなっている。
実験期間中の特典として、ゴルフ場内の練習施設「サニーCCゴルフレンジ」を無料で利用できる(ボール代は別)。また、18ホールをプレーする場合は優待料金6300円、薄暮プレー3490円で利用できる。「仕事場でゴルフもできる環境」ということになる。
ゴルフ場では通常「レストラン以外に食事ができない」「コンビニが遠い」などがネックになるが、今回はレストランとは別メニューながら3食がついている。「ゴルフを趣味としている」人を優先的なターゲットと考え、「こんなサービスがあったらいいだろう」という視点で今回の特典を設けたという。
実証実験の終了後、「労働生産性」「業務上の問題や改善点」「自宅や会社での仕事との比較における差異(主にストレス面)」などに対するアンケート調査への協力が必須となる。また、参加者には「参加前の検温」や「3密を避けた行動」など、感染防止のための一定の制限を設けている。
実証実験を進める両者の思惑
矢野経済研究所スポーツ事業部の三石茂樹氏によると、今回の実証実験には4つの背景があるという。
1つが、ゴルフ業界の事情だ。コロナ禍によってゴルフ場産業も負の影響を受けている。とくにインバウンド需要がゼロになったことは大きい。三石氏自身、かねて在宅勤務とゴルフ場施設の親和性の高さを感じており、「コロナ禍における新たなビジネスモデル」としての可能性を感じていたそうだ。
2つ目が、参画する企業側の事情。ウィズコロナの状況が長引けば、「新たな働き方」を模索する動きは加速するとみられる。同時に、「健康経営」という言葉に代表されるように、従業員の心身の健康を実現することで従業員満足度を向上させ、業績改善につなげようという動きが盛んになっている。
3つ目が、参加者の視点だ。ゴルフ好きにとっては、ゴルフ場が仕事の傍らにあるのは夢のような環境。一方、ゴルフ未経験者にとっては、コロナ禍の中で低下しがちな体力の向上につながるうえ、ゴルフの魅力に気づくきっかけになる可能性もある。
4つ目が、地方創生の観点だ。都市部と地方の交流人口が増加すれば、地域の活性化につながる。政府を筆頭に、業績もワーケーション推進へ舵を切っている。この流れが加速すれば、将来的には移住人口の増加も期待できる。
そのうえで、三石氏はワーケーションの場としてゴルフ場を使うメリットを次のように解説する。
「ゴルフ場は基本的に市街地から離れた場所にあるため、夜の街に繰り出してコロナを広げるリスクや感染リスクが低いという優位性があります。また、夜の街的な“誘惑”も少ないため、従業員は業務に集中して、心身ともに健康かつ健全なワーケーションの実施が可能となり、企業にとっても安心です」
ただし、メリットばかりではない。ゴルフ場は総じてネットワーク環境が脆弱だ。ゴルフ場までの足の確保、環境がよすぎて逆に仕事に身が入らない、企業側の就業規則改定の必要性、近所にコンビニがない、食事提供の仕組み化などの課題もある。
今回の実証実験は、ゴルフ関連企業を中心に呼びかけているという。ゴルフ場との親和性の高さや、今回の実験に一定の理解を示してくれる(参加者を出してくれる)だろうという仮説に基づくものだ。
ただし、それでは「単なる内輪ネタ」で終わってしまう。次回以降は、柔軟な働き方を実践している企業や、トーナメントに協賛しゴルフに対して好意的な企業にも声掛けをしたい意向だ。今回の実証実験でエビデンスが取れれば、ほかのゴルフ場への水平展開も視野に入る。
それでは、今回の実証実験を引き受けたサニーCCには、どのような思惑があるのか。広報担当の高野進一郎氏は「練習施設と宿泊施設を完備しているため、ワーケーションの施設として進めたいと思っていたところでした」と明かす。
コロナ禍によって長野県内の客は例年に比べて30%増えたが、県外客は半減。緊急事態宣言が発出されていたゴールデンウイークには、予定していた大学体育の課外授業や都心からのレッスン合宿が全滅した。
そんな中、業務提携しているるサザンクロスカントリークラブ(静岡県伊東市)が、併設するリゾートホテルを利用した「素泊まりテレワークプラン」という滞在型の商品を売り出したところ、約30件の需要があり、1週間の長期滞在もあった。
サニーCCにはロッヂ19室、コテージ8棟の宿泊施設がある。「コロナ禍によって、会社で仕事をするという概念も崩れてきました。来春からワーケーションパックの案内も予定しているため、実験をお受けすることで、料金が妥当なのか、Wi-Fi環境は大丈夫か、長期滞在の場合の食事や洗濯はどうするかなど、受け入れに向けての課題をクリアしたい」(高野氏)。
費用の自己負担比率が焦点
宿泊施設を持っているゴルフ場は多い。宿泊料金が収入の柱になっているところもある。ワーケーションという「新しい生活様式」の中で活用できるようになれば、ゴルフ場の可能性も広がる。
ワーケーションは休暇が「主」、仕事が「従」の関係で、交通費や宿泊費が自己負担というのが基本だが、今回の実証実験では参加に当たって出張扱いにするなど、自己負担の軽減を参加企業に要望している。
この先、ワーケーションが根付いていくには、企業と社員の負担の割合や休暇の扱い方などの取り決め・線引きも必要になる。菅新政権が本腰を入れて推進するのであれば、当初は「Go To トラベル」と区別して「Go To ワーケーション」のような別建ての補助・支援を行う予算措置があるといいかもしれない。
「休暇なのに仕事をさせられる」「仕事なのに遊びに行く」という否定的な意見も当然あるだろう。ただ、やってみて、社員のストレスが減り、仕事の効率も上がるという効果が得られたら、企業の福利厚生の一環として導入されていくかもしれない。
NTTデータ経営研究所がJTBや日本航空と連携して行ったワーケーション効果検証実験では、「経験することで、仕事とプライベートの切り分けが促進される」「情動的な組織コミットメント(所属意識)を向上させる」「実施中に仕事のパフォーマンスが参加前と比べて20%程度上がるだけでなく、終了後も5日間は効果が持続する」などの結果が出たという。
今回のゴルフに特化した実証実験でポジティブな結果が得られれば、ゴルフ界、とくに宿泊施設を持っているゴルフ場が活路を見いだす明るい材料になるはずだ。