推薦合格者は、東大内でも「別格に頭の良い人たち」と認識されているようです(撮影:梅谷秀司)

「『自分の頭で考える』って、どういうことなんだろう?」「頭が良い人とバカな自分は、いったいどこが違うんだろう?」

偏差値35から東大を目指して必死に勉強しているのに、まったく成績が上がらず2浪してしまった西岡壱誠氏。彼はずっとそう思い悩み、東大に受かった友人たちに「恥を忍んで」勉強法や思考法を聞いて回ったといいます。

「東大生は『生まれつきの頭の良さ』以前に、『頭の使い方』が根本的に違いました。その『頭の使い方』を真似した結果、成績は急上昇し、僕も東大に合格することができたのです」

頭の良い人は、頭をどう使っているのか? 「自分の頭で考える」とは、どういうことなのか? 「頭の良い人」になるためには、どうすればいいのか? 

そんな疑問に答える新刊『「考える技術」と「地頭力」がいっきに身につく 東大思考』が発売4日で5万部のベストセラーとなった西岡氏に、「頭の良い人とそうでない人を分ける習慣」を解説してもらいました。

東大内でも「別格扱い」な推薦入試組

「え! 東大って推薦入試があるんですか!?」


僕が出会ってきた「すごい東大生」の話をするたびに、こんなふうに驚かれる方がいます。そうなんです、実は毎年100人に満たない人たちが、「推薦合格組」として東大に入学しているのです。

はっきり申し上げて、この人たちは本当にすごい人たちです。東大の中でも「推薦合格の人ってやっぱり、普通に合格した人たちとは全然違う、社会に出ても活かせる頭を持っているすごい人たちだよね」と評価されています。

東大の推薦入試において、勉強ができることはただの前提条件でしかありません。共通試験の成績はもちろん評価されますが、それに加えて高校時代の課外活動や学術的な実績(例えば高校時代に論文を書いたとか)が評価されます。

そのうえでグループディスカッションやプレゼン、さらになんと直接、東大教授と面談をして一定の評価を得ないと、「推薦合格」は得られないのです。

面白いのは、そんな「超狭き門」の東大推薦入試に合格しているのは、超名門校出身者ばかりというわけではないところです。東大合格者がそこまで多くない地方の高校から推薦合格した人もいて、逆にそういう人ほど、大学に入った後で精力的に勉強し、いろんな活動をして周りにプラスの影響を与えている場合が多いです。

はたして彼ら彼女らは、どのようにしてこの「狭き門」を潜り抜ける頭の良さを手に入れたのでしょうか?

今日は、地方から東大に推薦で合格した人たちに取材をして見えてきた、「本当に頭のいい人の考え方」をみなさんに共有したいと思います。

結論から先に申し上げると、東大推薦合格者の人たちは「普段から常に考える習慣を持っている人たち」であり、そういう高校生をこそ、東大は求めています。

東大推薦入試の「普段から考える姿勢」を問う問題

東大推薦入試の問題は、どれだけ物事を記憶しているか、どれだけのことを「知っているか」を問うのではなく、どれだけ学問として難しいテーマと向き合ってきたかでもなく、普段の日常生活を送る中で、いかに考えて生きているのかを問う場合が多いのです。

東大の推薦入試からは、私たちが日常生活に立脚して、きちんと普段から「考えている」かを問う姿勢が垣間見えます。

推薦入試のやり方は学部によって異なるのですが、たとえば法学部の推薦入試では1つのテーマに関する85分のグループディスカッションを行って、グループで結論を出す、という形式が取られています。

「法学部の推薦って言ったら、すごく難しい法律の解釈の話とか、国の政策の話とか、そういう話題なんだろうな……」と思われる方が多いと思うのですが、実はそうではないんです。

2018年度の推薦入試では、以下のようなテーマが出ていました。

各種イベントのチケットの転売規制について、あなたは、どのように考えますか。「チケットの転売」を規制することには、誰にとって、どのような意味をもつのか、また、それにはどのような限界や問題点があるかについて、議論してください。

どうでしょうか? すごく身近なテーマですよね。チケット転売のニュースは頻繁に耳にするものですし、自分でチケットを手配した経験があれば自然と目にします。

そのときに、法律の限界や問題点、誰を救って誰を救えないのかといった法律を勉強するうえで重要な視点から「考えて」いれば、この問題に対応するのはそう難しくはなさそうです。

ですが、おそらくほとんどの人は、転売のニュースを聞いても「ふーん、そうなんだ」で済ませて、「考えて」はいないと思います。そういった人がその場でいきなりこの問題に対処するのは、かなり大変だと思います。

これ以外にも、工学部の推薦入試では「あなたが特に独創的であると感じた発明や発見を1つ取り上げ、なぜそう感じたか、説明しなさい」という問題が出ています。

他の学部でも、少し難しめの文章を読ませた後で「今の内容に関して、自分自身の体験や現代社会の諸事例を挙げながらあなたの考えを述べなさい」という問題を課していました。

このように、東大の推薦では自分たちの日常と結びつけることを求める入試問題が出題されているのです。

僕は、こういう「日常から学ぶ能力の高い人」こそが、「頭の良い人」だと思っています。

そもそも勉強というのは、身の回りにあることを学ぶためにやるものです。「りんごが落ちるのはなぜか?」という日常の中の疑問から、ニュートンは万有引力を発見したと言われています。

同じように、日常の中で、ニュースや現象に対して、「どうしてこうなんだろう?」「この問題はどうやったら解決できるんだろう?」と思考を巡らせることができると、それが自ずと「学問」になっていく、というわけです。

僕は偏差値が低いとき、こういうことをまったく考えていませんでした。勉強は机の上でやるものだと決めつけて、勉強と日常を結びつけるとか、普段から考えるとか、そういうことはまったくしておらず、成績が伸び悩んでいました。

そういう人間ではなく、「普段から考えている人」をこそ、東大推薦では求めているのです。

頭の良い人は「何を、どのように」考えているのか?

でも、「普段から考える」というのは、どうすればできるようになるのでしょうか? これについて推薦合格した人たちに取材したところ、こんな答えが返ってきました。

「マクロとミクロ、両面から考えることが大切」

どういうことか、先ほどのチケット転売の問題を例にご説明します。

いきなり「国としては」「法学的には」と考え始めるのは難しいですよね。だからまずは「自分の立場だったらどうだろう?」と、自分1人の目線(=ミクロ)から考えをスタートしてみます。「行きたかったコンサートに行けなくなると嫌だよな」「転売はずるい、って考えてしまうよな」と個人の感情を考えてみるのです。

そういう個人の感想を考えたうえで、今度は広い視野(=マクロ)で考えてみます。たとえば「でもだからって、『安く仕入れて高く売る』のは商売の基本だよなぁ」「それを規制してしまったら、国民が自由な経済活動をする権利を、国が侵害してしまうことになるかも」と、ミクロな立場で考えたことと、あえて逆の立場・逆の意見を考えてみるのです。

ここで大切なのは、偏った意見にとらわれないように注意することです。「転売ずるい!」という個人の意見だけではあまりに幼稚ですし、「国に国民の経済活動を侵害する権利はない!」という大枠の意見だけでは現実離れした空論になってしまいます。

両方の立場、対立する2つの考えに目配せした上で、「じゃあどうすればいいだろう?」と考えていくのです。

「誰にとって、どのような意味をもつのか、また、それにはどのような限界や問題点があるかについて、議論してください」

これが問題文だったわけですが、「誰にとって」というのはまさに「ミクロな立場とマクロな立場、両方で考えて」ということです。この2つの視点から始めて、「限界や問題点」を考えていく必要があるのです。

「マクロとミクロを行ったり来たりする」こと。これは、何かを考える時に非常に大切な考え方です。僕は、頭が良くなるために必要なのはこの視点だと考えていますし、同じことが読解力の研究で著名な新井紀子先生のベストセラー『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』でも述べられていました。

僕たちは「難しいこと」「スケールの大きなこと」を考えるのは大変です。でも、自分のこととか、自分の周りの人のこととか、自分の住んでいる地域のこととか、日常で身の回りにあることとか、そういう内容であれば、少しずつ考えることができるかもしれません。

逆に、何か新しく大きなスケールの話や難しいことを聞いたときには、「自分に当てはめて考えるとどうだろう?」「身の回りに、これと同じことはないだろうか?」と、自分の体験に落とし込んで考えていくことで、理解が早くなることがあります。

具体的で自分に近い話=ミクロの話と、抽象的で自分から遠い話=マクロの話。この2つを普段から意識して思考する習慣があるかどうか。これが東大の推薦入試で求められることの本質であり、また「頭が良くなるための本質」なのではないでしょうか。

いかがでしょうか? 東大推薦合格者たちの、「ミクロとマクロを行ったり来たりして考える習慣」は、参考になる部分が多い気がします。みなさんもぜひ、実践してみてください!