木村拓哉と結婚した工藤静香。第1子──長女のCocomiを授かっての“できちゃった婚”に日本中がどよめいた。’00年11月、木村が開いた会見には300人を超える取材陣が詰めかけた。

【写真】ミニスカ学生服姿のCocomiを高級外車で送迎する拓哉&静香(2015年)

「正直、会場に来た誰もが“本当に結婚するの?”と半信半疑。キムタクが第一声で“結婚します!”と宣言した直後に、レポーターは“お相手は工藤静香さんですよね?”と思わず聞いてしまったくらいで(苦笑)。その質問には、さすがにキムタクも“それ以外、誰がいるんですか?”なんてムッとしていたけど、それくらい驚きでした」(スポーツ紙記者)

メリー喜多川氏は静香に怒り心頭だった

 驚いたのは、ジャニーズ事務所も同じだった。

「静香との結婚を知らされたとき、実質的なトップのメリー喜多川さんは驚きのあまり“妊娠4か月なんて聞いてないわよ!”と、思わず大声を上げたくらい、そうとうな剣幕だったそうですよ」(芸能プロダクション関係者)

 メリー氏が怒ったのも無理はない。ふたりの交際には無論、大反対だったからだ。

「そもそもメリーさんは“結婚するならジャニーズを出なさい”というくらいタレントの色恋には厳しい。このときの会見も“知らない。工藤さんのほうに聞いてください”といっさい知らんぷりだったからね。それくらい結婚を強行した静香に怒り心頭だったんですよ」(同・芸能プロダクション関係者)

 静香に不快感をあらわにしていたのは、メリー氏だけではない。木村のファンもこぞって静香を敵視した。

 それまでも、静香はメディアの前で木村との交際について語ったり、何度も写真誌にツーショットを“撮らせていた”ことで、木村ファンから反感を買っていた。それが一気にヒートアップ。

「会見と前後して静香が不妊治療をしていた、という報道が出た。それもあってか“計画妊娠だ”“拓哉はハメられた”と。さらに静香が自分のブログでマタニティー写真を公開したり、発表直後の自分のライブでSMAPの『らいおんハート』を歌いだしたことも怒りを買ったんです」(前出・スポーツ紙記者)

 うるさい木村のファンを、気の強い静香がわざと煽ったともいわれている。

「そのせいで、静香のイベント運営会社やディナーショーの会場ホテルに、爆破予告や殺害予告がくるまでに」(同・スポーツ紙記者)

メリー氏との距離を縮めた静香の秘策

 当時が今のようなSNS全盛時代だったとしたら、たしかに誹謗中傷どころの騒ぎではなかったに違いない。

 “芸能界の母”には睨まれ、夫のファンには集中砲火を浴びる、まさに四面楚歌──。すると、静香は思い切った行動に出る。敵だったメリー氏に急接近し始めたのだ。

 盆暮れの贈り物はもちろん、季節の挨拶など、何かにつけメリー氏への連絡を欠かさない。大きな転機となったのは’01年5月の長女出産だった。

「Cocomiちゃんが生まれたとき、静香は自分の母親や木村くんの両親よりも先にメリーさんに報告したそうですから。駆けつけたメリーさんにCocomiちゃんを抱っこさせてね。結婚させてくれたメリーさんへのお礼だったわけです。メリーさんは子どもが大好きだから、もうメロメロになってね」(前出・芸能プロダクション関係者)

 以降、木村家とメリー氏の距離は急速に縮まっていく。

「木村くんの自宅をメリーさんが訪ねて一緒に食事をしたり、CocomiとKoki,の誕生日やクリスマスにはプレゼントを贈ったりね。お返しに、メリーさんの誕生日には、ふたりそろってメッセージカードを贈ったって聞いたなぁ。メリーさんは、そういう気遣いができる静香をすっかり気に入っちゃった。あれだけ自分を目の敵にしていた人を、いちばんの味方に変えちゃったんだからねぇ」(同・芸能プロダクション関係者)

 すると、静香の言動にも変化が。テレビでもブログでも木村のことを語らなくなった──“木村色”を出さなくなったのだ。気の置けないママ友との食事会ですら、夫の話は決して出さなかった。静香は、ブログでこう綴っている。

《言いたいことを言わず、何が何でも我慢するしかない時を十年以上も続けていますが、発言したらキリがない》

SMAP独立騒動でキムタクを必死に説得

 結婚以来、我慢を重ねてきた静香が、たった1度、我慢しなかったことがあった。’16年に起きた一連のSMAP独立騒動だ。SMAP“育ての親”である元マネージャーのI氏がメリー氏と対立。SMAPの5人を引き連れて出ていくという、クーデター計画。それが失敗に終わったことは周知のとおりだ。

 その最大の原因は、独立する決意を固めていた木村が翻意したことだった。

「キムタクを必死に説得したのが静香。“家族のために退所しないでほしい”と何度も話し合う一方で、I氏に直接電話をかけて“主人の人生が変わったらどうしてくれるの!?”と詰め寄った。独立させなかったことで、メリーさんに筋を通したんです」(前出・スポーツ紙記者)

 妻の猛抗議に“日和って”長年苦楽をともにしてきたメンバーたちを裏切る形になった木村の言動は、ファンを失望させた。結局、’16年末、SMAPは解散するが、木村はその“戦犯”としてファンから総スカンを食らい、一時代を築いたその地位と人気は見る影もなくなってしまう。

「木村ブランド」を築き上げた辣腕プロデューサー

 だが、静香がその剛腕ぶりを発揮したのはここからだ。SMAPという“冠”、そしてI氏という“重し”がなくなったことで、キムタク──いや、ファミリーを静香が自由に動かすようになる。

「木村くんにSNSを始めさせたり、これまで頑なに顔出しさせなかったCocomiとKoki,を、一転してモデルデビュー、SNSデビューさせた。かと思えば、そのSNSで木村くんとコラボさせて“家族共演”。静香はタイミングの見極めと見せ方、出し方のセンスがズバ抜けてる。娘のデビューにすら、彼はひと言も口を出せなかったみたいだし、メリーさんも大賛成だったって」(前出・芸能プロダクション関係者)

 娘ふたりの急激な人気上昇と“仲よし家族”像に引っ張られる形で、ついには、地に堕ちていた木村の人気までもV字回復させてしまった。

「“すぐに消える2世タレント”と見ていたメディアや“アンチ”すらも最近はすっかりおとなしくなっちゃった。それどころかハイブランドとのタイアップや多才ぶりを見せつけられ“木村家ってホンモノなんだな”と認めだしてます」(前出・スポーツ紙記者)

 すべては、敵をも黙らせてきた剛腕のなせるわざ、か。