今や大人気のスーパーハイトワゴンの火付け役となった一台!

 いまや当たり前のように認識されている人気カテゴリーでも、最初から存在していたわけではない。また、前々から生まれていたカテゴリーであっても爆発的な人気につながるには、特定のモデルがきっかけになったこともある。

 今回は、軽自動車のメインストリームといえる「スーパーハイトワゴン」、世界的なムーブメントである「クロスオーバーSUV」の元祖といえるモデルが何だったのかを紹介。さらに、日本の国民車的テクノロジーといえる「ハイブリッドカー」として初めて月間トップとなったモデルや、SUVなどのシャシー系テクノロジーとして採用例が増えている「トルクベクタリング」の元祖的モデルについて紹介しよう。

1)ダイハツタント

 軽自動車でもっとも売れているクルマといえば言わずと知れたホンダN-BOX。ボディサイズの制限される軽自動車において高さ方向にスペースを確保することで居住性を確保したパッケージングがウケ、売れに売れている。そのN-BOXの属するカテゴリーを「軽スーパーハイトワゴン」などと呼び、ダイハツ・タント、スズキ・スペーシア、日産ルークスが四つ巴状態となっているが、その元祖的モデルといえるのがダイハツ・タントだ。

 2003年、まだまだ全高1600mm台のハイトワゴン(スズキ・ワゴンRやダイハツ・ムーヴ)が主流だった軽自動車に全高1700mmを超えるシルエットを提案してきたのが初代タントだった。すでに三菱自動車がミニカトッポという軽セダンベースのハイルーフ版を展開していたが、タントによって現在のスーパーハイトワゴンにつながるシルエットが確立されたといっていい。ただし、初代タントは後席ドアがヒンジタイプで、あくまでもシルエットとしてスーパーハイトワゴンのルーツに当たるというのが正解だろう。

 そんなタントは2007年に誕生した2代目において助手席側だけ後席スライドドア&Bピラーレスの「ミラクルオープンドア」を採用。

 その後、2013年にフルモデルチェンジした3代目ではついに両側スライドドアを採用するに至る。まさにスーパーハイトワゴンへのニーズをくみ取り、具現化していったモデルといえる。

2)トヨタRAV4

 かつて4WDといえば悪路を走るためのクルマであって乗用ユースするのは、ごく一部の隙ものという時代があった。日本では1980年代中盤からのクロカン4WDを軸としたRVブームによって、クロカン4WDを日常使いすることが広まり、そのブームの中で三菱自動車のパジェロが爆発的に売れるようになった。しかし、クロカン4WDはその構造から高価で、快適性の面では乗用車に劣る面もあった。

 そこで、乗用車感覚で使える「クロスオーバーSUV」というカテゴリーが生まれるのだが、そのきっかけとなったのが1994年に生まれたトヨタRAV4だ。車格としてCセグメントに属するRAV4は、スペアタイヤを背負うスタイルはクロカン的だったが、エンジンは横置き、ボディはモノコックと中身は乗用車的。まさにクロスオーバーしていたのだ。当初は3ドアボディだけで、後に5ドアが追加されるが、初代はパーソナル感が強く、新しい乗り物として「こういう選択肢もあるね」という提案型キャラクターを確立していった。そもそも、この段階ではクロスオーバーSUVという分類ではなく、「ライトクロカン」などと呼ばれていた。

 その後、北米を中心にクロスオーバーSUVのムーブメントが盛り上がると、RAV4は一気にマーケットの主役に躍りでる。2代目以降は北米市場のニーズに応じてボディサイズを成長させ、4代目では日本市場ではいったん消滅してしまったが、世界的にはトヨタを支えるモデルのひとつであり続けた。そして5代目へのフルモデルチェンジを機に日本市場に復活。2020年5月には225kW(306馬力)のハイパワーなプラグインハイブリッドSUVとして新たなキャラクターを提案している。

日本の自動車市場をハイブリッドカー中心に変えたモデルも!

3)ホンダ・インサイト

 トヨタ・プリウスが圧倒的に売れている時期があり、日本ではハイブリッドカーでなければ売れないといわれることもある。そんな日本の登録車市場において、初めて新車販売で月間トップとなったハイブリッドカーは、じつはプリウスではない。

 ハイブリッドカーとして初めて登録車販売台数の第1位を獲得したのはホンダ・インサイト。それは2009年4月のことだった。

 ホンダのハイブリッドカー専用モデルであるインサイトがオーソドックスな5ドアボディの2代目へとフルモデルチェンジしたのは2009年2月。ちょうどエコカー補助金といってハイブリッドカーの購入に10万円の補助が出るという制度を追い風に、この月1万481台も販売したのだった。ただしインサイトの好調は、まさに瞬間風速的であり、この後はプリウス(3代目)に販売の主役を奪われてしまうのだ……。

 それでも1.3リッターのマイルドハイブリッドシステムを、空力に優れた専用5ナンバーボディに搭載したインサイトは、日本の自動車マーケットがハイブリッドカー中心にシフトするきっかけになったクルマとして自動車史に残る存在だ。

※参考リンク https://www.honda.co.jp/news/2009/4090511.html

4)三菱ランサーエボリューションIV

 最後に紹介するのは、三菱自動車のラリーウェポン「ランサーエボリューションIV」。このモデルには、リヤタイヤ左右の駆動トルクをベクタリング(移動)することで旋回性能を高める「AYC(アクティブヨーコントロール)」が初搭載されていた。

 いまではスポーツカーだけでなく、クロスオーバーSUVでも「トルクベクタリング」という言葉を多く見かけるようになったが、その考え方の元祖といえるのが1996年に誕生したランエボIVだったりするのだ。なにしろ、トルクベクタリングという用語が世界的に使われるようになったのは2006年ごろが最初といわれている。その10年以上前にトルクベクタリング(トルク移動)を可能にするAYCは市販車に実装されていたのである。

 もっとも、世で言う多くの「トルクベクタリング」はブレーキの独立制御によって見かけの駆動トルクを制御するものであって、本当にエンジン・トランスミッションから伝わってきたトルクを、多板クラッチなどを用いて左右輪間でベクタリング(移動)させているAYCの制御に比べると、同じものと呼ぶには憚られる部分もあるが、それでもラリーフィールドで生まれたテクノロジーであるAYCが市販車に持ち込んだ「駆動力で曲がる」というアプローチは、数々のフォロワーを生み、いまでは当たり前のテクノロジーとなりつつある。