英語圏で製作された映画が日本で上映される際に邦題が劇的に変わるのはなぜでしょうか(写真:PanKR/PIXTA)

皆さん、デビットです。最初にうれしい報告です。このコラムでもいろいろ紹介している日本語に対する私の素朴な疑問や誤解をまとめたものが本になりました。『外資系社長が出合った不思議な日本語』です。興味があったら手に取ってみてください。

実は私のPCの「メモ帳」というアプリに15年以上書き留めてきた日本語についてのメモがあり、そのメモはこの本のネタ帳とでもいうべきものです。PCを交換してもこのメモだけは必ず引き継いできた、非常に思い入れのあるメモです。そして「死ぬまでに絶対やりたいこと」の1つとしていつかこれを本にしたいと思ってきました。まさに私の「バケットリスト」の1つがかなったというわけです。

バケットリストってなんだ?

あれ? バケットリストって通じませんか? だって映画は日本でも大ヒットしましたよね? ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンの共演で、天海祐希さんと吉永小百合さんでリメイク版も作られた……そう、邦題では『最高の人生の見つけ方』として知られる映画です。実はオリジナルの題名は『The Bucket List』です。

ちょっと説明しますと、Bucketはバケット、複数形はバケッツ、つまりバケツです。ここではなんでバケツが?ということはとりあえず無視していただき、慣用句としてBucket Listは「死ぬまでにやっておきたいことリスト」という意味です。実は私のようなカナダ人やアメリカ人にとってこのバケットリストを作ることはごく一般的なことです。

エベレストに登りたい、博士号を取りたい、ハワイに別荘を持ちたい、そこは人それぞれですが、個人が明確な目標を持つという欧米型のマネージメントスタイルは、こうしたカルチャーからきているのかもしれません。

問題は「なぜバケットリストというの?」ということかと思います。面白いことに英語圏の人に聞いてもよほどの博学でないかぎり「わからない……そうだからそうとしかいいようがない」と答えるでしょう。
私が今回書いた本はその逆で、私が日本人の方にぶつけてもわからなかった日本語についてのギモンが並べられています。

「隣の芝生は青く見えるものなんだ」「そうですか? 私にはグリーンに見えますよ」
「紅白歌合戦、赤組キャプテンは……」「え? 『紅』組じゃないの?」
「皮肉」皮と肉をどうするのですか?なんだか残酷なものを想像してしまいますが……などなど。

どれも日本人だからといって説明できることではないですよね。真面目な話をすると、外からその国の文化を眺めた人にしか見えてこない疑問というものがあり、その異なる意見に耳を貸すということで改めて自分の属しているコミュニティの文化や伝統を知ることになります。これが昨今重要になってきている「ダイバーシティ」のメリットにほかならないと思います。

で、結局バケットリストの由来はなんなの、という質問に答えると、ちょっとショッキングなのですが、首つりをするとき、台に使っているバケツを蹴るところから「Kick the bucket」=死ぬというイデオムがあります。そこから「Bucket=死ぬとき(までにやりたいことの) List」という言葉が生まれました。まあ、私も辞書で調べて初めて知ったのですが。

邦題が違いすぎて映画談義が難しい

そんなバケットリストですから、背景を知らない日本社会で映画のタイトルにしてもなかなかヒットしそうな感じはしません。邦題『最高の人生の見つけ方』をつけたのは納得できます。それにしても、日本では映画にまったく違う邦題をつけるケースが非常に多く、せっかく同じ映画を見ているのにこの「邦題全然違う問題」が大きな壁となって、なかなか映画談義に花が咲きません。

実は、よく日本人の同僚から相談を受けるのが「アメリカ人と仕事の会話はできるが雑談ができない」「夜の会食の時など何を話せばいいのか」というものです。本来映画などは格好の雑談ネタなのですが、映画の話がタイトルの段階で食い違ってしまうのは痛いですよね。

とは言え、「雑談でNGなもの」もあります。これは注意が必要です。

とくに気をつけたいのが政治と宗教の会話です。日本では時候のあいさつがわりに政治批判をする人もいますが、海外では基本的にビジネスの場に政治信条を持ち込まないというのが暗黙のルールとなっています。とくに私のいるIT業界ではいろいろな国から人材があつまるので、政治や宗教で対立する立場の人同士が一緒に仕事をすることがあります。海外のビジネスパートナーと突っ込んだ政治の話は避けたほうがいいでしょう。宗教の話は言うに及ばずです。

一方で、だからと言って「ウチの会社は○○人お断り」「○○教の信者が経営しているとは取引しません」というは間違っています。私の勤めるレノボでは、取引先企業を決める購買基準として「マイノリティが経営陣に入っているか」「経営陣での女性の割合はどのくらいか」ということも考慮していて、それを公開しています。

こうした姿勢を会社として公開することで、今度はレノボが同じような購買基準を持つ会社から採用いただけることになります。マイノリティの方や異なるバックグラウンドの人を尊重していることが新しい取引を生み、経営として発展してゆくわけです。この循環を作ってゆくことが「持続可能な経営」だと思います。

脱線してしまいましたが、大事なことかと思いますのでご容赦ください。

本題に戻って食事のときの雑談で無難なものは何か、仕事の話は無粋というものですし、やはり映画じゃないでしょうか。ところが、邦題問題です。ちょっと何点か実例を見てみます。

「Sister Act」→「天使にラブ・ソングを」

シスター=修道女とくるよりも前に、妹?姉?と言う言葉が出てくるでしょうし、ACT=芝居をする、ふりをするということもちょっとストレートには入ってきません。そうなると「修道女のふりをして」という邦題を付けてしまいそうですが「天使にラブ・ソングを」はなかなかしゃれていていい邦題ですね。でも逆に邦題から英語で「Love songs for Angels」という映画を観たか?と言っても「君はLAエンゼスのファンなのか?」と頓珍漢な会話になってしまうでしょう。

「Trouble with the Curve」→「人生の特等席」

こちらは「カーブに問題あり」です。クリント・イーストウッド演じるプロ野球のスカウトマンが、データ分析などで評価の高かった新人を見に行って、カーブを打つときに腕が流れてしまうという選手の欠陥に気がつく、というところから付いた原題です。

野球が国民的スポーツのアメリカならば「おーそれは面白そうな映画だ、ぜひ見に行かなければ!」となるかもしれませんが、日本ではやはり別なタイトルが興行的には無難でしょう。親子のすれ違いがこの映画のテーマでもあるので野球観戦と掛けて「人生の特等席」はなかなかの名タイトルと言えます。

日本の映画のタイトルも激変

また、日本映画のタイトルも海外ではまったく違うもので紹介されています。いくつか紹介しましょう。

「海街ダイアリー」→「Our Little Sister」
「千と千尋の神隠し」→「Spirited Away」
「秋刀魚の味」→「An Autumn Afternoon」


どれも、海街=鎌倉という歴史ある海沿いの街が持つ雰囲気、神隠しという言い伝え、サンマという魚の名前から秋を感じられる、などなど日本の社会での共通認識があって初めていいタイトルだな、と感じられるものばかりです。

こうしてみると、邦題全然ちがう問題は単純に翻訳の問題ではなく、それぞれの文化圏の違いということがわかってきます。で、ディナーの雑談はどうしたらいいのか?という相談への回答としては、英語の原題を調べておくことです。その違いについて語り合うだけでもディナーの雑談は盛り上がるでしょうし、お互いのバックグラウンドの違いに対する敬意を深め合えるのではないでしょうか。