時代をリードしていた日産の高性能モデルを振り返る

 16年ぶりに復活した日産「スカイラインGT-R」、そして「Z32型 フェアレディZ」が登場したのが1989年(平成元年)です。バブル景気で日本がわいていた頃で、日産も勢いがありました。

日産の黄金期を支えた高性能車たち

 一方、スカイラインGT-RやフェアレディZの登場前後にも、日産は高性能車を矢継ぎ早に開発しており、人気を獲得。

【画像】ターボ命!超イケイケだった頃の日産車をささっと見る!(23枚)

 そこで、スカイラインGT-R復活直前の高性能な日産車を3車種ピックアップして紹介します。

●マーチスーパーターボ

国産車では唯一無二のツインチャージャーエンジンを搭載した「マーチスーパーターボ」

 1982年に発売された日産の次世代コンパクトカー「マーチ」は、欧州市場も視野に入れた世界戦略車としてデビュー。

 巨匠ジウジアーロが手掛けた外観のデザインは、シンプルな造形ながら機能的で、安価なベーシックカーの枠を超えた存在でした。

 1985年にはターボ時代に同調するため、最高出力85馬力を発揮する1リッター直列4気筒SOHCターボエンジンを搭載した「マーチ ターボ」をラインナップ。加速性能に優れ「ベビーギャング」とも呼ばれました。

 また、当時日産は国内外のラリーに力を入れていたため、1988年にモータースポーツベース車両の「マーチ R」を発売します。

 レギュレーションの関係から排気量を987ccから930ccにダウンサイジングし、ターボチャージャーとスーパーチャージャーの2種類の過給機が装着された、日本初のツインチャージャーエンジンを搭載しました。

 最高出力110馬力を絞り出し、低回転域ではスーパーチャージャーによる過給でレスポンスの良い瞬発力を持ち、高回転域ではターボチャージャーの過給により余裕のあるパワーを発揮することで、上位クラスにも負けない走行性能を獲得。

 実際にクラス最強のマシンとして、ラリーをはじめモータースポーツシーンで活躍しました。

 そして、1989年にはマーチRと同じエンジンを搭載し、普段使いできるように装備が充実した「マーチ スーパーターボ」が登場。

 ハイパワーなFF車ですがパワーステアリングは装着されていないなど、じゃじゃ馬なドライブフィールがいまも語り継がれる存在です。

●ブルーバードSSSアテーサリミテッド

スタイリッシュかつ高性能なスポーツセダン「ブルーバードSSSアテーサリミテッド」

 1987年に発売された8代目「ブルーバード」は、スポーツセダンとして一気に進化したモデルです。ブルーバード初となるビスカスカップリング付きセンターデフ方式を採用したフルタイム4WDシステム「ATTESA(アテーサ)」を採用し、「技術の日産」を強くアピールしました。

 外観は7代目が直線基調のやや重厚感のあるデザインだったのに対し、8代目は角に丸みを持たせたスマートかつ軽快感のあるフォルムに変貌。

 トップグレードである「1800ツインカムターボSSSアテーサリミテッド」に搭載されたエンジンは、1.8リッター直列4気筒DOHCターボで、最高出力175馬力を発揮。

 フルタイム4WDシステムに加え、4輪操舵システム「HICAS」と「STC-Sus」(スーパー・トー・コントロール・サスペンション)の採用によって、高い旋回性能と安定した走りを実現しています。

 さらに、オーテックジャパンがモータースポーツベース車として開発した「SSS-R」は、専用のピストンやカムシャフト、ターボチャージャーの採用により185馬力にパワーアップし、トランスミッションのクロスレシオ化とロールケージが標準装備されるなど、すぐにでも競技に使える仕様でした。

 1989年のマイナーチェンジでは、トップグレードとSSS-Rのエンジンが2リッター直列4気筒DOHCターボの「SR20DET」に変更され、最高出力は205馬力まで高められ、高性能なスポーツセダンというポジションを盤石なものにします。

結果が残せなかった不遇の高性能モデルとは!?

●パルサーGTI-R

コンパクトなボディに高性能エンジンという、ラリーに参戦するために生まれた「パルサーGTI-R」

 日産は1958年にオーストラリア1周1万6000kmを走破する「豪州ラリー」でのクラス優勝から始まり、世界ラリー選手権(以下WRC)ではサファリラリーなどで数々の勝利を重ねてきました。

 そのWRCの出場において、最後のベース車両となったのが1990年に発売された「パルサーGTI-R」です。GTI-Rは4代目パルサーの高性能モデルとして、当初からWRCへの参戦を目的として開発されました。

 エンジンは2リッター直列4気筒DOHCターボの「SR20DET型」を搭載し、最高出力は230馬力を発揮。トランスミッションは5速MTのみで、駆動方式はフルタイム4WDシステム「アテーサ」が採用されています。

 外観ではボンネット上のインタークーラーへ走行風を導入するダクトと、巨大なリアルーフスポイラーを装備しているのが特徴で、迫力あるフォルムを演出。

 ブルーバードに比べショートホイールベースのコンパクトな車体に、強力なエンジンを搭載しており、ラリーカーとして高いポテンシャルを秘めていましたが、主戦場であるグループAでのラリーでは、最高位が総合3位と結果を残せませんでした。

 結局、参戦からわずか2年の1992年シーズンをもって日産はWRCから撤退を表明。5代目パルサーでは、GTI-Rに匹敵する高性能なターボエンジン車は設定されず、パルサー自体も5代目が国内市場で最後のモデルとなりました。

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 日産は1980年代の終わりから1990年代初頭にかけて、5代目「シルビア」や、初代「プリメーラ」、初代「セフィーロ」など、ほかにも高性能かつヒット作を生み出しています。

 また、初代「シーマ」にパイクカー3兄弟なども、この時期に出ていますので、本当に勢いがあったということでしょう。

 しかし、バブル景気にわいていた頃にも関わらず、日産の財務状況はすでに悪化が始まっていたといいます。その後、日産の経営は立ち行かなくなり、1999年にルノーの傘下となりました。