SC相模原・稲本潤一インタビュー@前編

 新型コロナウイルスの影響であらゆるスポーツの活動が休止となるなか、最近は過去の名シーンを振り返る映像や文章を見る機会が増えた。当時の情景を思い出し、胸躍るような興奮や感動が蘇った方も少なくはないだろう。


24年目のシーズンを迎える稲本潤一に今の心境を聞いた

 2002年の日韓ワールドカップを題材としたものも多かった。

 なかでも主役としてクローズアップされたのは、ベルギー戦、ロシア戦と2試合連続ゴールを決めた稲本潤一だろう。人差し指を自らに向けて「俺が決めたんだ」と誇らしげにアピールする姿は、あの大会のハイライトとして今も脳裏に焼きついている。

 あれから18年の月日が流れた。当時22歳のヤングスターは、すでに40歳となった。現在はJ3のSC相模原に籍を置き、現役を続けている。

 母国開催のワールドカップで国民的英雄となり、欧州でも十分なキャリアを積んだ。多くの栄光を掴み取り、充足感もあるだろう。にもかかわらず、稲本はサッカー選手であることを辞めようとはしない。


 カテゴリーを下げてまで現役を続ける理由とは、いったいどういうものだろうか。

「サッカーが好きだから。その気持ちだけ、ですね」

 その答えは、いたってシンプルだった。アラフォーとしては若々しさを保っているが、やんちゃなイメージを醸していた若い頃の雰囲気はない。年相応の落ち着いた空気を身にまとい、稲本は淡々とそう言った。

 もちろん、好きという気持ちだけでは現役を続けられない。必要としてくれるクラブがなければ、その時点でキャリアは終わってしまう。

 2018年シーズン終了後、稲本は4年間在籍した北海道コンサドーレ札幌を契約満了となった。しかし、それでも「引退」の二文字は頭の中にまったくなかったという。

「ケガとかでどうしようもできないなら、あきらめもつきますけど、まだまだやれる身体だったので。コンディションさえ整えば、試合ができると思っていた。辞めるという選択肢は、まったくなかったですね」

 そんな稲本に真っ先に声をかけたのが、相模原だった。


「一番初めに声をかけてくれたのは、ありがたかったですね。もちろん上のカテゴリーのほうがよかったんでしょうけど、40歳の選手を取りたいチームなんて、ほとんどないでしょうから」

 サッカーを続けられるのであれば、カテゴリーなど関係なかった。稲本は迷うことなく、相模原と契約を結んだ。

 もっとも、J3の環境は想像以上に過酷なものだったという。

「ある程度は想像していましたけど、環境面だったり、コンディション面は厳しいものがありましたね」

 なによりネックとなったのは、練習環境である。これまでに経験のない人工芝のピッチだったからだ。

「人工芝だと、やっぱり身体に負荷がかかりますから。おかげで去年は、ケガが多かった。その影響もあって、出場試合も少なかった。まったくチームに貢献できなかったので、消化不良でしたし、申し訳ない気持ちが大きいですね」

 加入1年目の昨季は、わずかに9試合の出場にとどまった。


 たしかに貢献度は低かったが、それでもピッチに立てば、さすがのプレーを見せている。6月15日に行なわれたガンバ大阪U−23戦では、決勝ゴールをマーク。キャリアをスタートさせた古巣の若手チームに貫禄を示し、J3における最年長得点記録を更新した。

「まあ、相手はほぼユースの選手でしたからね。僕より20歳以上も下の15、16歳くらいの選手も出ていましたし。でも、そういう選手たちとプレーできるのも、J3ならではで面白かったですよ」

 そうした面白みを感じる一方で、もどかしさもあったという。環境だけでなく、レベルの面でもJ3は高いと言えるものではなかったからだ。

「運動能力だったり、フィジカル的に優れている選手はいますし、面白い選手もいます。でも、技術の部分だったり、質の部分ではJ1、J2に比べれば、やはり劣ると感じました。そこでパスミスしちゃうんだ、とか。僕らのチームもそうですし、対戦相手でもそういうことはよく見られましたね」

 技術よりもフィジカルが重視されるサッカーでは、ベテランにとっては厳しい部分もあるという。それでも稲本は、だからこそやれることがあると考えている。


「40歳になって、当然スタイルは変わってきました。その分、人を動かす能力だったり、技術の部分がより重要になってくると思っています。

 この年齢から足が速くなったり、持久力が上がったりすることはないじゃないですか。でも、技術やポジショニング、考え方といったサッカーの本質の部分では、まだまだ成長できると思っています」

 サッカーがうまくなりたい。その欲求は40歳となっても、衰えることはない。飽くなき向上心を胸に秘め、稲本は今季もプレーを続けることを決めた。

 サッカーとは、やはり技術である。それは同じく現役を続ける同級生の姿を見ても感じることだ。小野伸二(FC琉球)と遠藤保仁(G大阪)の存在は、10代の頃から変わらず稲本の刺激になっているという。

「長く続けるなかで思うのは、最終的に技術がある選手は残りやすいということ。ヤット(遠藤)なり、(小野)伸二はしっかりとした技術をベースに20年以上やって来た。そこは息が長い要因でしょうね。


 ただ、僕に関しては彼らより技術があるとは思っていないので、ほかの部分でカバーしていかないといけない。身体が動かない分、頭を使ってやらないと90分持たないですから。そういうところは年を重ねるごとに伸びていると思いますし、技術の部分でもっともっとうまくなれると思っている。

 普段の練習から、どれだけ意識してやれるかどうか。もちろん今までやってきたけど、より高い意識を持ってやっていかないといけないと思っています」

 肉体は永遠ではない。モチベーションもいつかは尽きるだろう。その時は決して遠くない未来にやってくるはずだ。それでも稲本は、現時点で潮時を考えていないという。

「わからないですね。やれるならばやり続けたい。チームからいらないと言われたらどうしようもないですけど、今の気持ちではやり続けていきたい、というのはありますね」

 だから次のステージも、明確にはイメージできていない。一般的な進路とすれば、指導者や解説者、あるいはその知名度を考えれば、テレビでタレントとして活躍する手もあるだろう。


「それを見つける作業はまだ難しいですよね。B級ライセンスは持っていて、指導者の道に進むのが今のところ確率は高いかなとは思いますけど、別に決めているわけではない。

 去年、テレビの解説をやりましたけど、やりがいがある仕事とは、その時は感じませんでした。正直、何をすれば楽しいかがわからないんですよ。サッカーしかやってこなかったですから(笑)」

 つまり稲本は、サッカーを辞めることなど微塵も考えていないのだ。

「さすがに、カズさんみたいに50歳までとは考えていないですけど、身体が動くかぎりは現役を続けていきたいです」

 6月27日、Jリーグがようやく再開する(J1は7月4日)。開幕前に中止となっていたJ3にとっては、待ちに待った新シーズンの幕開けである。

「まずはこの状況なので、体調管理が大事になってくると思います。夏場の連戦も厳しくなると思う。J3はナイター設備のないところもあって、夏でもデーゲームがある。バス移動も多いので、大変な部分はあるけど、とにかくコンディションを整えて、いい状態でシーズンを過ごしたいですね」


 当面の間、適用される無観客試合は、過激なサポーターが多いことで知られるガラタサライ(トルコ)時代に何度か体験済みだ。それも、多くの経験を積んできた稲本ならではのアドバンテージだろう。

 遅れてやってきた新シーズンの開幕前に感じるのは、やはりプレーできるという喜びにほかならない。

「自粛期間が長かったので、あらためてサッカーをやれる楽しさだったり、喜びというのは、すべてのサッカー選手にあると思う。やれる環境を整えてくれた人たちに感謝したいですね。

 正直、サッカーができない時は、歯がゆい部分がありました。SNSで発信したりできる時代にはなりましたけど、それが僕たちの本来の仕事ではないですから。

 サッカーをして、観てくれる人を楽しませるのが、サッカー選手としてやるべきこと。それを3カ月近くできなかったのは苦しかったけど、この期間を前向きに捉えれば、サッカー選手の価値をあらためて見直すいい機会だったかなと思います」

 サッカーへの渇望と、支えてくれる人たちへの感謝の想いを抱き、日本中を熱狂させた名ボランチは、24年目のシーズンをスタートさせる。

(中編につづく)

【profile】
稲本潤一(いなもと・じゅんいち)
1979年9月18日生まれ、大阪府堺市出身。1997年、ガンバ大阪の下部組織からトップチームに昇格し、当時最年少の17歳6カ月でJリーグ初出場を果たす。2001年のアーセナル移籍を皮切りにヨーロッパで9年間プレーしたのち、2010年に川崎フロンターレに加入。その後、北海道コンサドーレ札幌を経て、2019年よりSC相模原に所属する。日本代表として2000年から2010年まで82試合に出場。ポジション=MF。181cm、77kg。