――その香川選手とも話をされたんですか。

「メールしましたよ。『この試合の解説をするぞ』って。そしたら、『あれは生涯最初で最後のFKです』と返事が来て。いやいや、まだ現役なのに、最後って決めるのは早くないかと思ったんですけど」

――海外移籍について、播戸さんに話をしたりしていた?

「それはなかったですね。セレッソ行くって決まった2009年の年末に、たまたまあいつと会ったんですよ。そこで『海外移籍の話が出てるやないか。俺はお前と一緒にやりたい』と言ったら、『実はあと半年後に行くことになりました』と。「じゃあ、あと半年は一緒に頑張って楽しもうぜ」という話をしていた。で、実際に同じチームでやったら、上手いし、一緒にやってて面白いんですよ。だから、『真司、もう半年残れ、年末まで残れ』と言ったんですけど、『俺は行きます。勝負します』と決意は固かったですね」
 
――香川選手の後にも、セレッソから家長選手、乾選手、清武選手が海外へ羽ばたいていきました。何か理由があるのでしょうか?

「もちろん、第一に彼らにはタレントがあった。それが大前提ですよね。若くて能力の高い選手が多かった。第二に、それを上手く使うレヴィーがいた。若いやつらを上手く乗せてましたから。実績のある選手を獲ってくるんじゃなくて、若手に賭けたクラブの方針もある。3つ目は、その若手がのびのびやれる環境があったということですね。ベテランもいなかったし、ガミガミ言う選手も少なかった。その3つが良かったと思いますね」

――このシーズン、香川選手が抜けながらも、最終的に3位。昇格1年目でアジア・チャンピオンズリーグの出場権を獲得しました。

「真司が抜けるっていうのは、シーズン初めからだいたい分かっていたので、清武を獲っていた。そのあたりが上手いですよね。レヴィーも真司が抜けるのを見越して、キヨをちょいちょい使ってて、『お前が真司の代わりをやるんやぞ』と言っていた。この試合も最後に真司をキヨに代えるじゃないですか。

 その点が上手く移行できたのと、真司がいなくなったことで乾やアキ(家長)も『自分らがやらな』みたいな気持ちになったと思いますね。守備のほうでも、茂庭と上本(大海)という移籍1年目のセンターバックコンビのコンビネーションが深まっていった。チームが成熟して、成績がどんどん上っていった感じでしたね」

取材・文●江國 森(サッカーダイジェストWeb編集部)
協力●DAZN