アルゼンチンの古豪アルヘンティノスの下部組織から代表戦士にまで上りつめたディエゴ・プラセンテ。欧州の舞台でも活躍した左SBが、その人生を振り返った手記を紹介する。

 第2章となる今回は、カテゴリア77(※77年生まれの選手によって構成された下部組織のカテゴリー)でトップチームに上がれなかったストライカーや、チーム屈指の技術を誇っていた“ウィチ”との思い出について語っている。

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 アルヘンティノスの「カテゴリア77」からトップチームまで辿り着いたのは4人だけだった。ニコ・ディエス、「エル・モノ」・マルキッチ、パブロ・ロドリゲス、そしてこの僕だ。

 一方で、なぜプロになれなかったのかといつも不思議に思う仲間がいる。もし、彼らがトップチームに入っていたら一体どんな人生を送っていただろう、と。

 その彼らのことを話そう。
 

【カルロス・ロメロ】

「ヒーマン(アメコミのキャラクター)」みたいな流行りのマッシュルームカットをしたブロンドのセンターフォワードだった。

 カンチャ(※サッカー場)で、初めて彼を見たのは、お互いにまだ6歳くらいの頃。ホセ・レオン・スアレスのクラブ「ホセ・インヘニエロス」と、僕がプレーしていたビジャ・ボッシュのクラブ「エル・ビクトリア」が、バビーフットボール(6対6の試合)で対戦した時だ。

 カルリートス(※ロメロの愛称)は、その頃から普通に話すよりも悪態をつくことの方が多くて、家族に兄貴がいることがすぐに分かるような感じだった。ただ、仲間を奮い立たせるだけでなく、1試合で3ゴールくらいぶち込んでいた。全てが完璧だった。生まれながらのストライカーさ。

 彼を敵にまわしてプレーしたことが、2回あったんだけど、とくに2度目の対戦は今も忘れられない。

 地元の大会の準決勝で、あの界隈では結構いいチームだった僕らが、4−0でリードしていた時だ。カルリートスが遅れて来て(他のところでプレーしていたに違いない。バビーではよくあることだ)、相手チームに入った途端にゲームの流れが変わり、彼の4ゴールで引き分けてしまったんだ。

 彼とは13歳の時、アルヘンティノス・ジュニオルスのプレ・ノベナ(※満13歳のカテゴリー)で再会してから、そのままトップチームに入る寸前までチームメイトだった。

 カルリートスはヘッドでも、エリアの中からも外からも、リバウンドだろうと、本当にあらゆるところからゴールを決めた。
 僕らが3点をリードしていたある試合では、パブリート・ロドリゲスがドリブルで2人抜いてエリア内に踏み込んだところでシュートを打ち、GKが右手で弾いたボールがリバウンドしてカルリートスの後頭部に当たってゴールになったことがあった。

 普通は恥ずかしくて、照れ笑いするだろう。でも、カルリートスはエンブレムにキスをしながら振り向くと、雄叫びをあげながらコーナーに向かって走って行ったんだ。
 
 あれは、魂から湧き出て来るような叫びだった。ゴールを愛する者の叫びだ。だから、ストライカーは常にゴールを探し求めるんだ。それは天賦のもので、カルリートスがストライカーとして生まれた証拠だった。

 彼はAFA(アルゼンチン・サッカー協会)主催の下部リーグで9軍から5軍までずっとチーム一の点取り屋だった。最近になって記録を破られるまでは、エル・ビチョ(※アルヘンティノスの愛称)の下部組織の歴代得点王でもあった。 チャンスがなかったのか、それともチャンスを活かすことができなかったのかは、今もわからない。地方のチームに移籍して、何度か怪我を負ってから、完全に消えてしまった。カルリートスがなぜトップチームでプレーできなかったのか、その理由は未だに僕にもわからない。