魔女狩りというと中世ヨーロッパのイメージが強いものですが、アメリカでも大規模な魔女騒動である「セイラム魔女裁判」が起きたことがあります。アメリカの歴史に暗い影を落とし、司法制度の在り方に絶大な影響を及ぼしたといわれる魔女騒動について、YouTubeの教育ビデオチャンネルTED-Edがアニメーションで分かりやすく解説しています。

What really happened during the Salem Witch Trials - Brian A. Pavlac - YouTube

犯してもいない罪で裁判にかけられ……

否認すれば罪人として処刑されます。

しかし、うそでも自白をして代わりに誰かをやり玉に挙げれば罪は免れます。

これがマサチューセッツ州にあるセイラムの村で、1692年2月〜1693年5月の間に現実に起きた「セイラムの魔女裁判」です。

この事件で魔女として弾劾された人々は、超常現象に対する被害妄想、誤った方向に進んだ宗教的熱狂、真実よりも悔い改めさせることを重視する司法制度の犠牲者でした。

事件の要因は、セイラムの村の成り立ちに端を発します。セイラムはもともと、イギリスでの弾圧から逃げ延びた清教徒(ピューリタン)が1626年に興した村です。

セイラムでは、ネイティブアメリカンやフランス人入植者との争いは日常茶飯事でした。

そのため人々の生活は厳しく、村人同士ですらぎくしゃくした関係でした。

そんなセイラムの人々を襲ったさらなる悲劇が、1692年の大寒波です。この年の冬はそれまでの記録の中で最も寒い冬でした。

最初に異常をきたしたのは、9歳の少女ベティ・パリスとそのいとこである11歳のアビゲイル・ウィリアムズです。

2人は奇妙な行動を見せましたが、医師は2人に身体的な異常を見つける事ができませんでした。

そこで医師が下した診断が「2人は邪悪な者の手にとらわれている」というもの。

これは、当時のピューリタンたちの「悪魔は自らの代理人、つまり魔女を通じて世界に災いをもたらす」という世界観に基づいています。

村に悪魔にとりつかれた人が出たという知らせが広まると、村人の間に異常な症状も広がりました。

初期の記録では、「病にかかった」とされた12人の少女が体の異常なねじれや発作などの症状を呈し、肌のチクチクした痛みを訴えたと報告されています。

少女12人のうち4人は、3人の村人が自分たちを苦しめていると訴えました。

告発を受けた3人は、何かしらの難癖をつけて「よそ者」とのレッテルを貼られ、次々に投獄されていきました。幼い娘を持つ貧しい妊婦サラ・グッドは、魔女のまじないを行ったとして1692年2月29日に逮捕され……

サラ・オズボーンはしばらく教会に行かなかったかどで逮捕されました。

ベティ・パリスの家にいた女性奴隷ティトゥバは、魔女の話を子どもに聞かせたという理由で裁判にかけられました。

最初に自白をしはじめたのは、ティトゥバです。当初は「子どもを苦しめてなどいない」と否認していたティトゥバですが、その後「悪魔の命令で魔術の練習をした」と告白。また、そうするよう自分に強制したのはグッドとオズボーンだと証言しました。

グッドとオズボーンは身の潔白を訴え続けましたが、ほどなくしてオズボーンは獄死してしまいます。

グッドの夫ウィリアムは妻をかばうどころか、法廷で「彼女は魔女か、すぐに魔女の一員になるだろう」と証言しました。

また、グッドの4歳の娘ドロシー・グッドも母親と一緒に投獄されて尋問を受け、最終的には母親に不利な証言をしました。

グッドは獄中で出産しますが、生まれた子どもはすぐに死んでしまいます。

それから間もなくグッド自身も有罪判決を受け、絞首刑により命を落としました。

一方、2人の女性を告発したティトゥバは5月に釈放されました。

その後も、うその告発の犠牲者は増え続けました。取り調べに関する記録の中には、「罪を告白しなければ絞首刑になり、告白すれば解放される」と明言されたとの記述も残っています。

裁判に携わった人たちは、告発の内容を調査することには少しも興味を示さず、ただ被告人が罪を認めて許しを請い、2度と魔術に手を出さないと約束することだけを求めました。

法廷はどんなに怪しい証拠も受け入れました。その中には、夢や幻影で魔女の犯行を見たと主張する「霊的証拠」も含まれています。

裁判所の機能不全に拍車をかけたのが、陪審員の多くが告発者の親族だったことです。これにより、裁判における客観性はないも同然になりました。

魔女裁判に関与することを嫌って判事を辞めたナサニエル・サルトンストールのような人物もいましたが、ごく一握りでした。

翌1693年の春ごろまでに100人以上が投獄され、14人の女性と6人の男性が処刑されました。このころになると、魔女裁判はセイラムの周囲にあった村や町にも及ぶようになります。

フランシス・デーン牧師のような聖職者でさえ非難の対象となりました。

最終的に、妻が逮捕されたマサチューセッツ湾直轄植民地の初代総督ウィリアム・フィップスが「霊的証拠」の採用をやめるよう裁判所に命じることで、ようやく事態は収束に向かいました。

一体何がセイラムの魔女裁判を引き起こしたのかは判然としていませんが、告発者となった少女らは「菌類による食中毒や脳腫瘍が原因となる幻覚」に苦しんでいたのではないかと指摘する人もいます。

1つはっきりしているのは、子どもによる支離滅裂な告発を大人が確たる証拠として扱っていたということです。

「現代でも、セイラムの魔女裁判は集団心理や誰かをスケープゴートする心理の危険性と、人間の認識をゆがめてしまう恐怖心の力についての教訓となります」とムービーは締めくくられています。