貿易摩擦は雇用問題に直結した

 日本車をチェーンソーでぶった切ったり、火をつけたり。そうした光景をテレビのニュースで見た。そんな記憶をお持ちも方も多いはずだ。日本とアメリカの間で、いわゆる貿易摩擦がこれまで何度か過熱した。

 たとえば1980年代、日本車がアメリカで販売好調が続き、その結果としてアメリカメーカーの労働者が雇用を失うとして、日本車排除の過激なデモンストレーションを行った。

 事態を収束するため、日本政府は日系自動車メーカー各社にアメリカ、またはアメリカと貿易協定を結ぶカナダやメキシコなどでの日本車・現地生産を推奨した。その結果、いまやアメリカで販売されている日本車の多くは、北米生産となり、日本からの直接輸出数は減少している。

 近年でもトランプ大統領が「バイ・アメリカン(アメリカ製品を買おう)」「ハイア・アメリカン(アメリカ人を雇おう)」と主張するように、アメリカ国内で雇用し生産し、それを買う。こうした保護主義的な動きはトランプ政権のみならず、アメリカという国の基本姿勢に思える。

日本でのアメ車の販売台数は極めて少ない

 一方、日本ではアメリカに対してアメ車の輸入制限をしたり、関税を高くするといった方針は取っていない。ところが、日本でアメ車の販売台数はアメリカでの日本車販売台数の数百分の一と、極めて少ない。

 こうした状況に対して、アメリカ政府は長年に渡り、非関税障壁という言葉を使って日本を非難してきた。要するに日系自動車メーカーや自動車販売企業、さらにはマスコミや地方行政機関らによるアメ車排除の動きがあるのではないか、という発想だ。もちろん、そんなことはない。

 要は日本人が好むアメ車は、たとえば80年代にブームとなったシボレーアストロやジープチェロキー。90年代後半から2000年代初頭に流行ったハマーH2。さらには、定番としてコルベット、エスカレード、エクスプローラー、カマロなど。最近ではジープラングラーが躍進といった、大型で個性があるアメ車が売れるのだが、マーケットとしては小さい。

 一時、アメリカ政府としてはより多くのアメ車を日本で売りたいと考え、日本のマスマーケットである小型セダンや小型クーペに向けて、アメ車メーカーの日本進出を後押ししたことがある。

 モデルとしては、GMのサターン、ダッジのネオンが代表格だろう。だが、新車価格、クルマとしてのクオリティ、さらに下取り価格で日本車とはまったく勝負にならず、あえなく撤退。欧州フォードが手掛けたフォーカスは、価格やクオリティの面では善戦したが、フォード全体としての収益が見込めず日本法人としての撤退となったことが、記憶に新しい。