与田剛はルーキーイヤーに最優秀救援投手と新人王を獲得

 プロ野球界で現役最長記録を誇るのは元中日の山本昌氏。50歳までマウンドに立ち続け通算219勝(165敗)の成績を残し2015年に現役を引退した。プロ入りするルーキーたちは「40歳まで現役」という言葉をよく掲げ、長く活躍する選手を目指している。

 ここでは活躍期間はわずかだったが、今でも野球ファンたちの脳裏に残る“太く短く”強烈なインパクトを残した選手たちを振り返っていく。

○与田剛 投手 中日・ロッテ・日本ハム・阪神 通算148試合、8勝19敗、59セーブ、防御率4.58

 1989年のドラフトで中日から1位指名を受け入団。最速157キロの伸びのある直球を武器にルーキーイヤーの1990年は50試合に登板し4勝5敗、31セーブ、防御率3.26をマークし最優秀救援投手と新人王を獲得。球界を代表する守護神として期待がかかったが、その後は成績が低迷し1996年シーズン途中にロッテにトレード移籍、その後も日本ハム、阪神と渡り歩き2000年に現役を引退した。

○伊藤智仁 投手 ヤクルト 通算127試合、37勝27敗、25セーブ、防御率2.31

 1992年のドラフトでヤクルトから1位指名を受け入団。150キロの直球と高速スライダーを武器にルーキーイヤーの1993年に14試合に登板し7勝2敗、防御率0.91の成績を残す。肩の故障で7月から登板がなかったがその年に新人王を獲得。1996年に怪我から復帰し97年には7勝2敗19セーブでカムバック賞を獲得したが、その後は再び右肩に悩まされ2003年に現役を引退した。

○斉藤和巳 投手 ダイエー、ソフトバンク 通算150試合、79勝23敗、防御率3.33

 1995年のドラフトでダイエーから1位指名を受け入団。1997年に1軍デビューを果たすも98年に右肩を手術。2003年には26試合に登板し20勝3敗、防御率2.83と驚異的な成績を残し最多勝、最優秀防御率、最高勝率、ベストナイン、沢村賞と“投手5冠”を達成。その後は2005年に16勝、06年に18勝で2度目の沢村賞に輝き大黒柱として活躍したが08年に右肩手術を行い2012年に現役を引退した。

○近藤真一 投手 中日 通算52試合、12勝17敗、防御率3.90

 享栄高から1986年ドラフト1位で入団。ルーキーイヤーの1987年8月9日、ナゴヤ球場で行われた巨人戦でプロ初登板し、13三振を奪ってノーヒットノーランを達成した。この8月に3勝を挙げて月間MVPを獲得するなど計4勝をマークした。翌1988年は8勝を挙げてリーグ優勝に貢献した。しかし、左肩を痛めて翌1989年に手術、91年には左肘のトミー・ジョン手術を行うなど故障に悩まされ、93年に現役引退した。

パンチ佐藤は登録名を変更した年に戦力外も多くのファンに愛された

○佐藤達也 投手 オリックス 通算262試合、11勝21敗、109ホールド、14セーブ、防御率2.71

 2011年のドラフトでオリックスから3位指名を受け入団。150キロを超す直球とスライダー、フォークを武器にプロ入り2年目の2013年に40ホールド、14年に42ホールドをマークし2年連続で最優秀中継ぎを獲得。その後は登板過多が響いたのか成績を落とし2018年に現役を引退。実働はわずか6年だった。

○越智大祐 投手 巨人 通算240試合、18勝13敗、66ホールド、84セーブ、防御率3.05

 2005年の大学・社会人ドラフトで4巡目指名を受け巨人に入団。2008年に1軍デビューを飾ると68試合に登板し3勝3敗、10ホールド、防御率2.40をマーク。山口鉄也と共に中継ぎ陣を支え2011年まで4年連続40試合登板を記録したが12年に難病である黄色靭帯骨化症を発症し、その後は1軍に戻ることができず13年に現役を引退した。

○パンチ佐藤 外野手 オリックス 通算149試合、打率.273、3本塁打、26打点

 1989年のドラフトでオリックス・ブレーブスから1位指名を受け入団。ルーキーイヤーの1990年に42試合に出場し打率.331、1本塁打、8打点の成績を残したがレギュラー定着とはいかず1994年に仰木監督から登録名を「パンチ」に変更(同時に鈴木一郎はイチローに変更)。だが、同年に戦力外通告を受け現役を引退しタレントに転身した。

 ここでは名前が挙がらなかったが「権藤、権藤、雨、権藤」で有名な権藤博氏は通算82勝をマークしているが、ルーキーイヤーの1961年に35勝(19敗)、62年に30勝(17敗)、投手しての実働はわずか5年間だけだった。

 上記に名前が挙がったのは“剛速球”投手たちが多いが、ほとんどの選手たちが肩、肘などの怪我に泣きユニホームを脱いでいる。また、パンチ佐藤のようにお茶の間に愛される選手も。輝きは一瞬も、“太く短く”強烈なインパクトを残しファンの記憶に残っている。(Full-Count編集部)