自衛隊――。それは、雨の日も雪の日も真夏の炎天下でも、弛まぬ訓練を続けて国民の命を守る組織である。陸海空、それぞれ役割の違いはあれど、いずれ劣らず屈強な肉体と精神の持ち主ばかりが集い、過酷な訓練に日夜励む。自衛官など、誰もが気軽になれるような仕事ではなく、選ばれし人だけの世界なのだ……。

と、思っている人も多いかもしれない。たしかに、災害派遣やPKO派遣などを報じるテレビニュースで見かける自衛官たちはいかにも屈強で精悍そのもの。ただ、そんな先入観を自衛官たちと話をすると、「いやいや、みんな普通の人ですよ(笑)」と笑い飛ばす。いったい何が本当なのか。

そこで、男女それぞれ1名ずつの自衛官に話を聞くことにした。対応してくれたのは、現在自衛隊東京地方協力本部で広報官として採用活動などに携わる陸上自衛隊の濱口和紀さんと海上自衛隊の中村絵津子さん。広報官というと事務方の仕事というイメージも強いが、2人とも現場の職場から“人事異動”で現職にやってきた、れっきとした自衛官である。

自衛隊に入るきっかけは「衣食住の面倒を見てもらえる」から!?

――お二人はこれまでどのような仕事をしてきたのですか?

濱口 私が最初に配属されたのは陸上自衛隊の普通科、つまり昔でいうところの歩兵ですね。皆さんがよくイメージされる銃を担いでほふく前進をしたりするような、そういう部隊に所属していました。幹部として自衛官になったので、最初から小隊長として、高校を卒業したばかりの若い隊員から定年間近のベテラン隊員までだいたい28名くらいを率いていたんです。そこでは毎日訓練をやって災害派遣も経験しています。で、幹部の場合はまったく関係ない職種に異動することも多いので、その後は自衛官を教育する学校で教科書を作る仕事をしたり、装備品の研究をしたり。それで今は縁あって広報官をしています。



中村 濱口のように幹部自衛官はいわゆる総合職みたいなものなので、数年ごとにいろいろな職種を経験するんです。ただ、私のような曹士の場合は原則ずっと同じ仕事をするんです。陸海空それぞれ自衛隊には決められた職種がいくつもあって、最初に選んだものをずっとやっていく。で、私は海上自衛隊の音楽職種なので、基本的にはずっと楽器、トランペットを吹いています。最初は舞鶴音楽隊、次に佐世保音楽隊。海上自衛隊ですから、その合間に船に乗って海外に行ったりもしています。で、濱口と同じように縁があって今は広報官。広報官だけはどの職種からも異動してくることがあるんですよ。



――自衛官というと、厳しい訓練だとか屈強な肉体と精神だとか、そういうイメージがどうしても先行してしまいます。誤解を恐れずにいうと、お二人もきっと厳しい方なんじゃないかと……。

中村 いやいや(笑)。私なんて、自衛隊に入るきっかけが“衣食住にお金がかからないこと”に惹かれたからですから。広報官として学生さんとお話をする機会も多いんですが、みなさん自衛隊のことをよく知っていて、「国を守るためには中途半端な覚悟じゃダメですよね」みたいなことを言われる。私はそんな高尚な理想を持っていたわけじゃないから、なんか申し訳ないなあと思いながらお話しているくらいです(笑)。

濱口 もちろん自衛隊ですから訓練はありますし、陸上自衛隊だと駐屯地でずっと待機をしたり、山に出かけて野外で1週間訓練したりすることもあるんです。もちろんその間は風呂にも入れません。でも、やってみると意外とこれが楽しくて。そのときは辛くても、あとからその経験を酒の肴にしてみんなで飲んだりしますから。

――「あれはキツかったなあ」みたいな感じでしょうか。そう聞くと普通の会社でもありそうなエピソードですね。

中村 海上自衛隊だとよく「船に乗ったらずっと帰れないんですよね?」という質問をいただきます。たしかに長いときは半年間とか帰れないこともあるんですけど、普段は1日だけの訓練が中心です。そうなると朝自宅から船に出勤して、夕方には船から降りて家に帰る生活です。私たちも国家公務員ですからね(笑)。もちろん、何人かは当直として船に残らないといけませんが、それ以外の人は仕事が終われば我先にと帰って行きますよ。

濱口 とはいえ、家に帰らないというのも悪いことばかりじゃないんですよ。それこそ食事も出るしお風呂も用意されているし。私は子供が3人いるから、疲れて家に帰ってもそれはそれで大変ですから(笑)。とにかく衣食住すべてが揃っているというのは、自衛隊の大きな魅力だなあと思いますね。駐屯地には食堂も床屋もクリーニング店も、あとは飲み屋まであるので不自由することは特にないですし。


(市ヶ谷地区内のコンビニエンスストア。お土産用の戦闘糧食も売っている)






(床屋やクリーニング店、薬屋も。敷地内にはさまざまなお店が存在している)

中村 頂いたお給料が、生きていく上で必要なものに化けることがほとんどないんです。食事も住むところも支給してくれるので。だから貯まる一方……というか使う一方かもしれませんけど(笑)。

濱口 あとは休みも取りやすいんですよね。最近子供が生まれたので休みをいただきましたし、今は学校が休校になっていて妻が赤ん坊の面倒を見ながら小学生の子供の相手もしないといけなくて大変なんです。なので時短勤務の制度を使って1時間早く帰らせてもらっています。2月には子供の幼稚園の音楽発表会があって、妻から「私は行けないからあなたちょっとお願い」って言われましてね。その時も有給休暇で休ませてもらいました。

中村 隊員本人だけじゃなくて家族もすごく大事にしてくれますよね。自衛隊はいつ何時派遣されるかわからない。そのときに、「安心していってらっしゃい」と快く送り出してもらえるように…ということだと思うんです。いつもほったらかしで、災害派遣だからまたほったらかし、では家族も困るでしょうし。

濱口 結婚記念日、子供の誕生日、もうとにかく休みは柔軟にいただくことができるので、助かっています。私よりも妻の方が助かっているかもしれませんが(笑)。

中村 まあ、上司に恵まれるかどうかもある程度は関係しているんでしょうけど(笑)。



訓練は「全員でカバーしあって、脱落する人を出さずに乗り越えていく」のが目的

――民間企業ですと、こういう休みの制度があっても利用しにくいところもあるようです。誰かが休むと他の人がカバーしないといけなくなるわけで、その辺の軋轢というか……。

濱口 それはないと思います。自衛隊は互いに助け合いながら仕事を進めていくというのが、みんなに染みついている組織ですから。普段から仲良くやっていないと、いざというときに目標を達成できないですから。仕事は個人の目標ではなくて部署の目標。それを最初に訓練で刷り込まれるんですよね。

中村 私たちの仕事の最終的な目標は、国民の命を守ることです。だから、誰が休んだからどうのこうのとか喧嘩をしている場合ではない。みんながお互いに助け合うというのはもう当たり前の事です。

――入隊時からそういうことが叩き込まれる?

中村 曹士で入隊するとみんな教育隊というところに入って訓練を受けるんですが、そこで教官から絶対到達できないような無茶苦茶な要求を言われるんです。そのときは意図がわからないから理不尽だなあ、と思ったんですけど(笑)、実はちゃんと狙いがあって。ひとりじゃできないけど全体で助け合ってなんとかしよう、みんなでやればできるんだということを教えようとしているんですね。例えばタイム設定をされてマラソンをする。10人のグループだとしたら、9人が速いタイムで走っても1人が設定タイムから遅れたら全体としてダメ、意味がないんです。設定ギリギリでもいいから遅れている人を助けて、全員でクリアすることが求められる。自衛隊というのは、そういうところなんですよ。

濱口 災害派遣に出たときに、怪我をした隊員がいるけど先に進まないといけないので置いてきました、というわけにはいかないですからね。訓練は厳しいかもしれませんが、ふるいにかける訓練ではなくて、全員でカバーしあって脱落する人を出さずに乗り越えていく。その考え方が自然と身についているから、誰かが休みを取っても快くカバーする。それがお互いにできるのは自衛隊のいいところだと思います。



――お二人は防衛大学校ご出身ではないとお聞きしましたが、どのような動機で自衛官になられたのですか。

濱口 私は父が自衛官だったんです。で、普通の四年制大学を出てから2年ほどフリーターをしていたんですけど、何かをやるならば自衛隊かなと。子供の頃に父の職場に連れて行ってもらったときに、出会った自衛官たちがみんな楽しそうに仕事をしているのが印象的だったんです。

――自衛官というと厳しい雰囲気の中で仕事をしている印象もありますからね。

濱口 そうなんですよね。でも、思った以上にフランクで。自然体で働ける職場なんだなあと。もちろん肩肘はらないといけない場面もありますが、それはごく一部。実際に私も小隊長として年上の隊員を率いていましたが、上官と部下という関係はありつつもお互い助け合って、お酒を飲んで、いい関係を築くことができましたし。制服を脱げば、部下も人生の先輩なので、いろいろ教えてもらうこともありました。

中村 私の場合は濱口さんよりもっとくだらない理由で自衛官になったんです。友達に「自衛隊を受けるんだけど寂しいから一緒に来て」と言われたのが最初で。もう引率みたいな感じだから自衛隊がどんなところかもよく知らないままだったし、それこそ受けたことも忘れていました。ところが忘れた頃に合格の通知が届いて、そこから調べて広報官にも話を聞いたら「被服は貸与、食住は支給」と。じゃあ入ります!ってなりました(笑)。

――訓練が大変そうだなあとかそういうイメージはなかったのですか?

中村 私が受けたのは任期制の隊員だったんです。陸自だと2年、海自と空自だと3年。任期が終わったら更新してもいいし辞めてもいいし、定年制に移行してもいい。だから、無理だったらやめればいいかなと。なんとか3年働いてお金を貯めればいいかな、くらいの感覚でした。やめて再就職するときも、サポートしてくれるので不安もなかったですし。

濱口 その程度の気持ちで、と言ったら失礼ですけど(笑)、入ってみたら意外と悪くない環境だったんじゃないですか。自衛隊、思ったよりも楽しいな、と。

中村 そうそう、花粉症の薬ももらえましたし(笑)。ただ、しばらくは辞めようとばかり思っていたんですよ。1回任期を更新して、2期目の途中で曹になる選抜試験に合格し、定年制に移ったんですけどそれまでは次の更新で辞めるぞ、とずっと言っていたんです。だけどそしたら「海外に行ってきていいぞ」とか言われて流れに身を任せているうちに定年制になって、今もこうして自衛官をやっています(笑)。

濱口 自衛官ってなったらなったで楽しいんですよ。訓練もそうですけど、私の場合は幹部だからなのか事務仕事もたくさんさせてもらっていて。ゴリゴリの文系人間なのに、装備品の研究では難しい設計図とかも見ていましたから。

中村 それ、見て理解できるものなんですか?

濱口 最初はわからないですよ(笑)。でも詳しい人に聞いて教えてもらったりして勉強していけばなんとかなるものなんです。自衛隊は職種の幅が本当に広くて、いろいろなことが経験できる。それも魅力だと思いますよ。自衛隊に入らないと経験できないこともたくさんありますし。首都圏の部隊にいると海外の要人が来日したときに出迎えの儀式で旗を持って立ったりとか、そういうことができるんです。立っているだけといえばそうですけど、国を代表する、国を感じる仕事ができるのは自衛隊ならではです。

中村 私は音楽学校を卒業して、海上自衛隊での主な仕事は音楽演奏ですが、それでも訓練では実弾を撃ちますからね。これって誰でもできることじゃないんです。それに護衛艦、外国から見たらいわゆる軍艦の上で演奏することもそう。海外に行けば18歳の若い隊員だって日本の代表として向こうの軍人さんたちと交流したり。国家公務員なので異動先は全国ですからいろんなところに友人もできますし。

――その反面、訓練の厳しさに心理的なハードルを感じている学生さんも多いのではないかと思うんです。

濱口 確かにそうかもしれません。でも、最初からできる人は誰もいません。みんな教育を受けて、訓練をしながら成長していくんです。どんな屈強な隊員だって、みんなスタートは同じです。それでいて、先ほども話したようにできない人を切り捨てるようなことは絶対にしない。必ず助け合ってカバーしあって乗り越えていきます。それに、昇進したり職種が変わったりすれば、必ず教育を受けるのもいいところ。いきなり慣れない職種に放り込まれて「さあやれ!」はないんです。

中村 希望すれば、曹士で入隊してから、幹部のコースに移ることもできます。ずっと現場で技術屋さんとしてやってきたけど、みんなをまとめる立場になりたいと思ったら試験を受けて。

濱口 例えば装備品の整備のプロフェッショナルとしてやってきた隊員が幹部になると、整備のことをよくわかっているから効率的に仕事が回るようになりますからね。

自衛官も「ごく普通の人なんだよ」と伝えたい

――幹部と曹士の関係も気になるところです。エリートと叩き上げの関係みたいなイメージで、互いにバチバチしたりすることってあるんですか。

中村 私はずっと楽器を吹いていたいから、幹部のコースに行こうとしている人をみると「よくそんなこと考えるなあ」と思いますね(笑)。幹部はいろいろな仕事を経験するので楽器を吹き続けることはできなくなりますから。だから、たしかに上下関係はありますが、むしろ役割分担という感じであまり意識することはないですね。幹部の濱口さん、どうでしょう?

濱口 そうだと思います(笑)。少なくとも、現場に近いレベルで曹と幹部の間に壁があると感じることはありません。事実、こうして中村さんとも一緒に仕事をしているわけですから(笑)。



――最後に、自衛官になろうか、それとも……と悩んでいる学生さんたちにメッセージをいただけますか。

濱口 説明会とかでも話しているのですが、自衛隊は職種の幅が広くてほんとうにいろんな仕事があるんです。しかも、希望と適性をちゃんと見ます。だから、とりあえず試験を受けてとりあえず入ってみるのも悪くないんじゃないかな、と。それからでもやりたい職種を見つけてそこに進むことは必ずできますし、自衛隊はそういう組織です。それに、ちゃんと見ている人がいて、「きみはこの仕事が向いているよ」と言ってくれることもある。だから主体性がある人もない人も、とりあえず来てください(笑)。

中村 私は自衛隊のことなんてほとんど知らないで入ってきてしまったので、だからこそ自分の目で見て感じたことが事実なんだなと思って、やってきました。でも、今の学生さんたちを見ていると自衛隊のイメージを持ち過ぎているのかなと。テレビなどに出てくる自衛官は、あくまでもほんの一部。一日中書類仕事をしている自衛官だっていますから。だからこそ、私たちのような広報官がみなさんの身近なところで活動していますから、近くの地方協力本部などに連絡してぜひ話をしてみてほしいと思います。自衛官はどんな人なのか、どんな雰囲気で仕事をしているのか。みなさんと同じ、ごく普通の人なんだよということ含めて、実際にお話をすることでわかることは多いはずです。

濱口 航空祭の見学や潜水艦の見学などのイベントもやっていますし、そういうのに参加していただくのもいいですね。潜水艦なんて自衛官でもそうそう簡単に入れるわけじゃないから、学生向けのイベントで航空自衛官の広報官が積極的に引率していくですから(笑)。

中村 今でこそ女性も潜水艦に乗れるようになりました(※)が、私が入隊した頃、女性は乗れなかった。だから入隊直後の見学の時に「女性隊員が潜水艦の中を見る機会は二度とないから」なんて言われてました。それくらい貴重な機会ですよ。
(※)現在は初の女性戦闘機パイロットや初の女性空挺隊員が誕生するなど、ほぼすべての職種が男女等しく解放されています。(本人の希望と適性により配属先が決まります)

濱口 そういえば、海上自衛隊は船の上でスマホを使えないことを心配されている方も多いとか……。

中村 そうなんです(笑)。でもそれは海上自衛隊でも気にしているところでして、新しく改装している船にはWi-Fi設備を導入しています。衛星回線を使っているので、陸上と同じように使うことはできませんが、それでもスマホがまったく使えないわけではない。そこはアピールしておきたいですね(笑)。



我々がイメージする自衛官は、迷彩服に身を包んで銃を抱えて走り回ったり、戦車や戦闘機を操縦したり、大艦隊で海上任務に就いたり……というものだ。が、実際には自衛隊には陸海空あわせて40以上の多様なの職種があり、実にさまざまなジャンルのプロフェッショナルが働いている。その中には、大学や専門学校で学んだ知識を生かせるものもあるし、なんとなく入隊したところから自分の道を見出すパターンもある。

中村さんの言うように、まずはイベントなどで自衛官と話をして人柄に触れてみて、濱口さんの話す通り「とりあえず受けてみる」のもいいのかもしれない。自衛官としての体力や技術、そして精神力はあとから仲間とともに磨いていくものなのだ。

・自衛官募集ホームページ/防衛省・自衛隊


・自衛隊地方協力本部/受験、見学、質問、相談等の窓口


・自衛隊東京地方協力本部/防衛省


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