※本稿は、加谷珪一『日本はもはや「後進国」』(秀和システム)の一部を再編集したものです。

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■日本の1人あたりGDPは先進7カ国で下から2番目

組織の中で人が余っている状況を放置し、その人材を有効活用しないと、経済全体に深刻な影響が及びます。最終的には社会の豊かさにも大きく影響してくることになります。

社会の豊かさをもっとも的確に示す指標は1人あたりのGDP(国内総生産)ですが、この指標については「本当の豊かさは測れない」の意見もあります。しかしながら、それは単なる思い込み、あるいはそうあってほしいという願望でしょう。現時点において、1人あたりのGDPほど的確に社会の豊かさを数値化できる指標はありません。

海外に行ったとき、たいていの人が、空港から出た瞬間にその国がどの程度、豊かなのかすぐに実感できると思います。人間の五感というのはたいしたもので、建物や道路などの各種インフラや走っている車、人々の服装などを総合し、あっという間にその地域の経済水準を推測することができます。実際に試してみるとよく分かると思いますが、空港を出てすぐに感じた私たちの直感と、その国1人あたりのGDPの数字はおおよそ一致しているはずです。

日本の1人あたりGDPはかつて世界2位になったこともあり、以前の日本社会はかなり豊かでした。しかし、日本は年々順位を落としており、今となっては先進7カ国で下から2番目となっています。

■日本の就業者数は先進国の中でもかなり高い

先進7カ国で唯一、日本と同レベルとなっているのがイタリアですが、どういうわけかイタリアは日本から見るとかなり豊かに見えます。

1人あたりのGDPが日本の1.6倍もあり、大卒の初任給が50万円を超えることも珍しくない米国や、社会保障が充実しているドイツやフランスが豊かであるのは当然だとしても、数字がよくないイタリアが、なぜ日本よりも状態がよく見えるのでしょうか。

もちろんイタリアにも失業や貧困など様々な問題があり、欧州の中では問題児とされていますが、それでも日本より事態が深刻であるとは思えません。実際、イタリアの相対的貧困率は13.7%と日本よりも低い状況です。

イタリアの状況がそれほど悪くないのは、企業の生産性が高く、社会全体として効率よく稼ぎ出す仕組みが出来上がっているからです。

イタリアの1人あたりGDPは日本よりも低い状況ですが、1人あたりのGDPというのはGDPを総人口で割った数字なので、稼ぎを得るために働いている人の数は関係しません。

日本は1億2700万人の人口に対して、仕事をしている人は6400万人を超えています。総人口に対する就業者の割合は50%を超えており、これは先進国としてはかなり高い数字です。

■イタリアは5人に3人が無職なのに豊か

子どもや高齢者、病気を抱えている人は労働していないという現実を考えると、日本の場合、働ける人はほぼすべて働きに出た状況といってよいでしょう(こうした数字からも、専業主婦という存在はもはや幻想にすぎないことが分かります)。

しかしながらイタリアの場合、5900万人の人口に対して働いている人はわずか2300万人であり、就業者の割合は40%以下となっています。

要するにイタリアでは、5人に2人以下しか働いていないわけですが、このわずかな労働者の数で、日本に近い富を稼ぎ出していますから、仕事をしている人の生産性は極めて高いということになります。

実際、イタリアの労働生産性は日本と比較すると高い数字です。

日本生産性本部の調査によると、1人あたりの労働生産は、日本が8万3000ドルだったのに対して、イタリアは10万3000ドルでした(どちらも購買力平価ベース)。少ない人数で効率よく働き、残りの人は仕事をしないで生活するというのがイタリア流ということになるでしょう。

イタリアは若年層の失業率が高いことでも知られていますが、国全体として日本に近い稼ぎを得られているのであれば、無理に労働する必要はなく、これが失業を長期化させている面もあると思います。

■生産性の低さを認識しないと介護制度にも影響が及ぶ

生産性の違いは、高齢化社会において避けて通ることができない介護の問題にも大きく影響してきます。日本の介護制度がうまく機能していないのは、生産性に対する基本的な認識が誤っているからです。

イタリアは欧州の中では家族主義的な傾向が強く、前近代的な風習を残してきました。北欧では完璧な福祉制度が確立しており、高齢者のケアもすべて個人単位となっていますが、イタリアの場合にはカトリック圏ということもあり、家族が面倒を見る比率が高いといわれます。

家族が高齢者の面倒を見るという点では日本と近い部分がありますが、イタリアの場合には、日本とは比較にならない数の無職の人たちがいます。

人口の6割が働いていない状況であれば、家族や親類の誰かが介護できる可能性が高いですから、老人のケアは日本ほど大きな問題にはなりにくいわけです。

欧州の場合、北欧やドイツなどプロテスタント圏を中心に発達した「自立した個人として豊かさを実現する」という考え方と、南欧カトリック圏を中心とした「家族主義的に相互ケアする」という考え方の2種類があると解釈できます。

■日本は就業率が高すぎて手が空いている人がいない

北欧やドイツでは、就業率も生産性も高く、個人が責任を持って自己の経済力を確立するシステムになっています。特に北欧の場合は、国民負担が大きい分、福祉はすべて政府に任せることができるという話は、多くの人が知っていることでしょう(精神的な満足度はともかくとして)。

加谷珪一『日本はもはや「後進国」』(秀和システム)

一方、イタリアでは、働ける人だけが効率よく働き、残りはあまり働かないシステムですから、家族や親類の中で手が空いている人が、介護などの諸問題に対処していると考えられます。

ところが日本の場合、北欧やドイツ並みに就業率が高く、全員が労働するという状況ですが、生産性が低いので、余剰の富で福祉をカバーすることができません。一方、就業率が高すぎるため、手が空いている人がおらず、家族が介護することにも限界があります。現実には、政府による福祉制度に頼れないので、家族が介護せざるを得ず、これが貧困を招いているケースが多いと考えられます。

企業が多くの余剰人員を抱え、生産性が低いことは、ビジネス上の問題として捉えられがちですが、それだけではありません。

経済圏全体では、必要な分野に人が配置できないという事態を引き起こし、社会保障の分野にまで大きな影響を与えているのです。

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加谷 珪一(かや・けいいち)
経済評論家
1969年宮城県生まれ。東北大学工学部卒業後、日経BP社に記者として入社。野村証券グループの投資ファンド運用会社に転じ、企業評価や投資業務を担当。その後独立。中央省庁や政府系金融機関などに対するコンサルティング業務に従事。現在は経済、金融、ビジネス、ITなど多方面の分野で執筆活動を行うほか、億単位の資産を運用する個人投資家でもある。
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(経済評論家 加谷 珪一)