ひきこもりに悩んでいる人は罪悪感を抱え込んでいます。なぜそのような心理状態になってしまったのでしょうか?(写真:Pangaea/PIXTA)

ひきこもりが長期化するほど、なかなか外に出ることは難しくなります。というのも、外に出られない期間が長ければ長いほど、自分の欠点ばかりに目がいき、自己肯定感を下げてしまうからです。その果てにどんな事態が待っているのか?

新書『中高年がひきこもる理由―臨床から生まれた回復へのプロセス―』などの著作を持つ臨床心理士の桝田智彦氏が解説します。

誰にでも起こりうるひきこもりだからこそ、他人事ではなく、「自分の事」として捉えることが大切です。そして「自分の事」として捉えるのなら、実際にひきこもっている人たちの心の中でどのようなことが起きているのかを、ぜひ知っていただきたいと思います。

そのことは、ひきこもりという現象自体への理解を深めることにつながりますし、さらに彼らの苦悩を知ることで、彼らへのあなたのまなざしも変わることでしょう。

というわけで、ここからは、ひきこもりに悩んでいる方々の心の中へ分け入ってみたいと思います。

ひきこもり当事者が抱える「罪悪感」

ひきこもりの方々のほぼ全員の心にある気持ち、それは孤独感と罪悪感と言えます。とくに、罪悪感については、「ひきこもりになりたくて生まれてきた人など、1人としていない」ということをお伝えしたいのです。それなのに、ひきこもってしまっている自分……。彼らはそのことへの罪悪感を抱えこんで生きています。

定職に就いて、人並みに結婚して、子どもをつくり、家庭を築くべきだし、でも、そのまえに、とにかく外へ出るべきだし、アルバイトでもなんでもいいから、せめてお金を稼ぐべきだし、といったことは、親や世間の人たちに言われなくても、彼らにはすべて痛いほどわかっています。

私の研究で、ひきこもり状態にある人には「〇〇しなければならない、〇〇すべきである」といった、特有の信念体系があることがわかりました。「〇〇すべき」という信念や思考は不適応状態や心の病の誘い水になることがわかっており、心理学ではイラショナル・ビリーフ(非合理思考)と呼ばれています。

ひきこもり状態にある人たち特有の信念体系であることから「ひきこもりビリーフ」と名付けました。ひきこもりビリーフを、次にご紹介しましょう。


出所:『中高年がひきこもる理由―臨床から生まれた回復へのプロセス―』より

ひきこもり状態にある人たちは、これらのことが「わかっているけれど、できない」から苦しくて、つらいのです。そんな自分のことで、親が悲しんでいることを思うと、罪悪感はいっそう強まり、悲しみと孤独は深まります。

彼らの多くは親や世間が望むように外へ出たいし、仕事に就きたいと思っています。けれども、外へ出て、他者の冷たい視線、無能者を見るような蔑みの視線、不審者に対するような奇異な視線にさらされることが怖くて、家の外へ出られないのです。

さらに、ひきこもる期間が長くなればなるほど、他人の視線がますます気になり、そのため、ますます外へ出られなくなります。なぜなら、自己肯定感が低下するにつれて、セルフイメージ(自分に対する印象)も低下していき、そして、セルフイメージの低い人が最も気にするのが、他人の視線だからです。

セルフイメージが高い人は自信に満ちていますから、他人にどう見られているかをさほど気にかけません。逆に、セルフイメージが低い人は自信が持てなくて、いわば自分の中に自信という「芯」がない状態です。そのため、「ダメなやつだと思われていないだろうか」などと、絶えずビクビクしながら、他人の目を気にするようになってしまうのです。

人一倍、他人の視線が気になるのですから、無職の中高年者が外出することへのハードルは、時を経るにつれて高くなるばかりで、ますます家にひきこもることになると言えるでしょう。

人間は「欠点ばかり」注目する生き物

こうして外へ出られないまま、ひきこもっていると、自分の欠点にばかり目が行くようになります。下の図を見てください。


出所:『中高年がひきこもる理由―臨床から生まれた回復へのプロセス―』より

ほとんどの方が、一部が欠けている円を選ばれたと思います。人間は他者に対しても、自分自身に対しても、欠けているところ、つまり欠点に注目するようにできているからです。

この特性は進化の過程で人類が獲得したものだといわれています。マンモスがいた先史時代、厳しい自然環境の中で、一歩間違えれば命を落としかねない脅威にさらされながら、人間は狩りをし、生活を続けてきました。

自分や自分の子孫たちの命を守るためには、自分自身や狩猟の仲間に欠けている点、住環境の不備など「あらゆるものの欠点」にいち早く気づいて、素早くそれを補い、修正する必要があったと思われます。

このように、人間はもともと自分や他者の欠点に目が行くようにできているうえに、ひきこもりの方たちは世間から隔絶されて孤立し、自分を肯定する要素は1つとして見いだせないまま、罪悪感にさいなまれながら生きています。すると、自分の欠点以外に目が行かなくなり、「ダメな自分」を責め続けるわけです。

欠点だらけで、いいところが何1つない……。自分のことをそのようにしか思えなくなれば、自分でいいという自己肯定感など持てるはずがありません。あるのは、「誰でもない自分」「何者でもない自分」という感覚です。

誰でもない自分、何者でもない自分とは、他者にとって「透明人間」にすぎません。他者にとっては無視する存在ですらなく、それ以前に、彼らの目には映らない、存在すらしていない透明人間、“インビジブルマン”なのです。

「自尊心の喪失」が彼らをさらに苦しめる

このように自分自身を感じるとき、人は生きながら、死んでいるのと同じような心持ちになるのだと思います。


そうなると、服装にも食事にもかまわなくなり、お風呂にも入らなくなり、病気になっても病院にかかる気が起きません。つまり、セルフネグレクトの状態になっていくのです。

ひきこもっている方たちはこうして自尊心を持てなくなり、生きる意欲も欲求も失われていきます。自分が生きていていいとはとても思えなくて、こんな自分は社会にお世話になる価値はないと感じてしまうのです。

ですから、多くのひきこもりの方々は生活が苦しくなっても、社会に助けを求めるという考えすら浮かばない傾向にあります。

社会に助けを求めるという発想すらなく、また、自分には社会のお世話になるだけの価値がないと感じている……。そうなると、最悪、餓死することも考えられるのです。