新型コロナウイルスの国内感染者が増える中、企業活動にも影響が出始めている。ジャーナリストの溝上憲文氏は「国民を不安に陥れる大きな天災や疾病に対して賢く対処できるかどうかで、企業トップの本当の能力がわかる」という--。
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■今回もマスクをつけないと取引先の出入りできない事態になるか

新型コロナウイルスの感染拡大が多くの国民に不安を与えている。メディアの報道や政府の対応を見ていると、2009年の新型インフルエンザでの騒動を思い起こす。当時を振り返りつつ、新型コロナ対策で企業がすべきことを考えたい。

2009年4月25日、メキシコで発生した新型インフルエンザは後に弱毒性のH1N1型であることが判明するが、日本でも大騒ぎになり、国民や企業もパニック状態となった。

国内感染者が発生した大阪地区では、マスクを必死になって買い求める人々の姿がテレビでも映し出された。

【2009年新型インフルエンザでの企業の教訓1:社員にマスクをつけさせるべきか問題】

当時、大手IT企業のインフルエンザ対策担当の部長は筆者の取材にこう語った。

「社員のマスク着用は必須ではなく推奨レベルだったが、取引先に着用しないと出入りできないと言われ混乱した。社内では罹患(りかん)した人がマスク着用することで感染拡大を防止できるが、健康な人が着用してもそれほど効果はないと説明していたが、公衆衛生に関する世間や顧客との認識のズレに驚いた」

今回の新型コロナ騒動では、企業の方針として外部の人が「マスクをしていない人の入場お断り」という現象は起きているように見えないが、2009年のIT企業の取引先のような判断がなされる恐れもある。

また2009年に大手製薬会社の総務課長はこう語っていた。

「感染そのものよりも風評被害も大きいと感じました。弱毒ではあっても社員が感染した場合、事業所を閉鎖しないと世間から非難を浴びるのではないかという懸念も拭えませんでした。世間が見てどう思うのかという観点と、事業を継続していくことの難しさを痛感しました」

今回の新型コロナ対策でも、各企業が事前の行動計画に基づき、冷静な対策を実施しても、取引先や世間との認識ギャップにより業務に支障を来す恐れもある。

■「国の動きは遅い」を前提に早め早めの慎重な判断する企業

【2009年新型インフルエンザでの企業の教訓2:国の判断を待たずに迅速に動けるか問題】

前出の大手IT企業の部長は、2009年当時、「日本政府の(新型インフルエンザの)情報は何もなく、アメリカのCDC(疾病管理予防センター)の情報をベースに判断した」とも語っていた。

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当時同社では、メキシコでは感染者の死者が多数出ている一方、アメリカは1人もいなかったことから、通常の季節性インフルエンザ並みの軽度被害として対応。ただ、どう変異するかわからないために、予防策として業務出張や個人旅行はできるだけ見合わせることにしたという。

国の動きは遅いということを前提に早め早めの慎重な判断をすることが企業の生命線となるのだ。

今回の新型コロナは現在、政府は「国内発生機早期」としているが、今後、「国内感染期」に入る。世間の動向をにらみながら対応を企業は迫られることになる。

■新型コロナ対策をいち早く打ち出した日本の企業

新型コロナ対策で企業は具体的にどんな動きをしているのだろうか。

一部上場企業の人事担当者は内部で検討している対策を明かしてくれた。その主なポイントはこうだ。

・社員に対して、個室に50人以上が集まる集会や宴会への参加自粛要請・時差通勤や在宅勤務を奨励し、国内外の出張も規制
・中国からの帰国者は14日間の健康チェックを受けないと出社禁止(中国現地法人への出張も原則禁止)

この人事担当者によれば、やはり国や自治体の指導方針を待っていては遅いため、独自の自己防衛手段を検討し実行する方針だが、それでも危惧している点があるという。

「クライアントなどとの打ち合わせが制限され、会議や業務が困難となれば受注している仕事の納期が遅れ、大打撃を受けるかもしれない」

■なぜ、在宅勤務を導入する企業が増えなかったのか

ところで、今回の新型コロナに対する企業の対策では、在宅勤務などのテレワークを活用した事業の継続を図っているのが大きな特徴となっている。

在宅勤務は災害時の本社機能がダウンした場合などに備えるBCP(事業継続計画)の中核の対策に位置づけられている。

BCPとは大地震、テロ、疫病などの発生時に本社機能の分散による指揮・命令系統の確保や従業員の安全と事業の損害を最小限に抑えるための行動計画だ。

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1995年の阪神淡路大震災で注目され、それ以降、現代にいたるまで少しずつ災害時にBCPの策定に乗り出す企業が増えてきた。

■在宅勤務をすすめるGMO、NTT、武田薬品工業……

例えば、東証1部上場のGMOインターネットグループだ。今回の新型コロナによる影響で、中国国内に駐在・出張中の従業員に対し、強制帰国の指示を出すとともに、1月27日から2週間をめどに全従業員4000人を在宅勤務とした。

同社の熊谷正寿グループ代表はブログでこう述べている。

「2011年より、大地震、大災害、戦争、テロ、疫病の蔓延などの有事に備えて、本社機能の移転、在宅勤務体制の構築、N95マスク、ヘルメットなど災害用品の備蓄、そして年に一度の避難&在宅訓練など、いわゆるBCP(事業継続計画)を行ってきました」(2020年1月29日)

同社以外でも今年2月17日にNTTグループがテレワークや時差通勤を推奨。武田薬品工業も国内全拠点の最大5200人超に対し在宅勤務を推奨している。このほかにも新型コロナ対策として在宅勤務を推奨する動きが相次いでいる。

■在宅勤務を「育児と仕事の両立支援策」として始めた

この「在宅勤務」はもともとBCPの一環としてアメリカ企業で始まった。とくに2011年の東日本大震災以降、関心を示す企業が増えたが、問題点がひとつある。

なぜか日本では天災や疾病などのBCP対策というより、どちらかといえば「育児と仕事の両立支援策」としての在宅勤務が全面に押し出されたのだ。

政府の「働き方改革実行計画」(2017年3月)ではテレワークについて「時間や空間の制約にとらわれることなく働くことができるため、子育て、介護と仕事の両立の手段となり、多様な人材の能力開発発揮が可能となる」とうたっている。この時点で、BCPの本質とはズレが生じている。

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課題は他にもある。

このテレワークを導入する企業がこれまでなかなか増えなかったのだ。政府は目標(KPI)として2020年にテレワーク制度導入企業34.5%、雇用型テレワーカー15.4%の達成を目指しているが、政府のかけ声とは裏腹にテレワークの導入率は低いままだ。

総務省の「平成30年通信利用動向調査」によると企業のテレワーク導入率は19.1%にすぎない。また、国交省の「平成30年度テレワーク人口実態調査」によると、雇用型テレワーカーの割合は10.8%となっている。

近年はセキュリティを含めたICTの進化とコストの低下もあり、在宅でも社内イントラネットの活用やウェブ会議といったコミュニケーションツールも利用しやすい環境になっている。それでも政府目標には遠いのが実態だ。

■「在宅勤務は育児する社員の福利厚生。生産性向上に結びつかない」

なぜここ数年、「働き方改革」が叫ばれる中、「育児・介護」向けとしている在宅勤務を導入する企業が増えないのか。

大手医療機器メーカーの人事担当役員はこう話した。

「テレワーク(在宅勤務)の要諦は生産性の向上にあると思っています。だが実際は育児中の社員のための福利厚生策となっている。それでは生産性の向上には結びつかないので当社では導入していない」

筆者の取材では、在宅勤務の取得理由を限定していない企業でも週1日、月4日程度の利用しか認めていない企業も多い。

■在宅勤務をうまく導入し機能させる企業は今後も有望

ただ、今回の新型コロナが企業活動に弊害をもたらし始めている中、在宅勤務に踏み切る企業が増えている。

災害時の在宅勤務とは、自宅を拠点にデスクワークをこなすだけではなく、ICTのツールを駆使して職場の会議や取引先との商談はもちろん、場合によっては顧客先に出向くこともある。感染の拡大によっては長期に及ぶこともある。

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在宅勤務制の導入増加は、いわば新型コロナを逆手にとった戦略だ。だが、これまで育児・介護など一部の利用者に制限して制度を運用してきた企業が今回、一般社員にまで制度の利用を拡大して機能させることができるかどうかは不透明だ。

ましてや週に1日程度の在宅勤務の経験しかない社員が、数週間にわたって自宅を拠点にビジネスを継続することは難しいのではないか。結局、在宅勤務を実施しても、長続きせず、出社を命じるはめになってしまう可能性もある。

裏を返せば、在宅勤務をうまく導入し機能させる企業は今後も有望なのではないか。

新型コロナの市中感染の広まりは国民を不安にさせているが、その対策を経営トップがいかにするか。企業の能力を測るリトマス試験紙となっているのかもしれない。

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溝上 憲文(みぞうえ・のりふみ)
人事ジャーナリスト
1958年、鹿児島県生まれ。明治大学卒。月刊誌、週刊誌記者などを経て、独立。経営、人事、雇用、賃金、年金問題を中心テーマとして活躍。著書に『人事部はここを見ている!』など。
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(人事ジャーナリスト 溝上 憲文)