第21代天皇・雄略天皇(ゆうりゃく てんのう)は、「大悪天皇(はなはだあしき てんのう)」と呼ばれるほど残虐な天皇だったと伝わっています。その人となりは、「自分の心だけに従って、間違えて人を殺していた」と日本書紀に書かれるくらいなので、かなりヒドかったのでしょう。

記紀が伝える雄略天皇の残虐ぶり

初期のころの天皇は、その実在性が定かではありません。しかし、雄略天皇は「倭の五王」の一人だという説があることから、実在していた天皇ではないかとされています。※「倭の五王」とは、中国史書に記された倭国の五人の王を指す

雄略天皇(Wikipediaより)

日本書紀には、「天皇は自分の心が正しいとしており、誤りで人を殺すことが多く、天下の人々は誹謗して「大悪天皇」と言っていた」とあります。

天皇、以心爲師、誤殺人衆、天下誹謗言「太惡天皇也。」

※日本書紀より

先代の安康天皇(あんこう てんのう)が後継者を決めずに亡くなったことで、後継者争いが起こります。野心に燃える雄略天皇は、同母兄の八釣白彦皇子(やつりのしろひこのみこ)を生き埋めにして殺害。

しかも、立ったままの八釣白彦皇子を埋めていくと、腰まで埋まったところで両目が飛び出て死んでしまったと古事記が伝えているのです。

掘穴而隨立埋者、至埋腰時、兩目走拔而死。

※古事記より

両目が飛び出るほどの恐怖を感じたのでしょう。想像しただけでかなり迫力がありますね。さらに、同じく同母兄の坂合黒彦皇子(さかいのくろひこのみこ)も焼き殺しています。

兄たちを殺害した雄略天皇の勢いは止まりません。同母兄を始末したあとに狙うのは従兄弟です。市辺押磐皇子(いちのへのおしはのみこ)を狩りに誘い出し、猪を撃つ振りをして皇子を射殺しました。

皇子が死んでしまい、嘆き悲しんだ皇子の従者も殺害した雄略天皇は、晴れて天皇の座を得たのです。

浮気相手を始末するときも容赦がない

天皇になった雄略天皇は、百済からやってきた池津媛を妃にしようとしていました。しかし、池津媛は石河楯という人物と密通していたことが発覚。身内にさえ残虐な殺し方をする雄略天皇が、浮気など許すはずがありません。

猪狩りをする雄略天皇(Wikipediaより)

浮気を知った雄略天皇を、日本書紀では「大怒」と描写しています。よほどの怒りだったのでしょうね。

百濟・池津媛、違天皇將幸、婬於石河楯。舊本云「石河股合首祖、楯。」天皇大怒、詔大伴室屋大連、使來目部、張夫婦四支於木、置假庪上、以火燒死。

※日本書紀より

雄略天皇は大伴室屋大連という部下に命じて、2人のもとに来目部を遣わせます。池津媛と石河楯は両手足を木に縛られたうえ、床に置いて焼き殺されたのです。

このように、残虐な行いが日本書紀や古事記に書かれている雄略天皇。すべてが史実だったのかどうかはわかりません。ですが、このようなエピソードが残っていることからも、気性の激しい性格だったのでしょうね。

参考サイト

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