全4回で日本の怪獣文化を「モダンアート」との関係性から考える。最終回の対談テーマは、世代や育った地域によって異なるそれぞれの「怪獣観」について。
文・構成/ガイガン山崎
写真/安田和弘
企画/飯田直人
デザイン/桜庭侑紀
怪獣放談シリーズ一覧(全4回)

“再放送世代”

おふたりの怪獣原体験というと、どんな作品になるんですか?
山崎 僕は1984年生まれなので、これまで挙げてきた作品にはひとつも間に合ってないんです。『ウルトラマン80』(1980)どころか、『アンドロメロス』(1983)にすら間に合わなかった人間が、よくここまでウルトラマン好きになったなと言われることもあるんですけど(笑)、朝とか夕方に名シーンを取り出した帯番組はやってましたし、衛星放送や早朝の再放送もありましたからね。オモチャ屋に行けば、怪獣のソフビ人形がいっぱい吊るされていたので、当時のウルトラには新作がないわりに一種の現役感があったんですよ。
小谷 たぶん、そこで70年代の怪獣にハマる下地ができあがってたんでしょうね。僕だって、別にリアルタイム世代ではないですから。夕方5時くらいから初代『ウルトラマン』(1966)がやってて、それが終わったら『ウルトラセブン』(1967)、その次は『帰ってきたウルトラマン』(1971)、『ウルトラマンA』(1972)、『ウルトラマンタロウ』(1973)みたいな感じで、ず〜っと繰り返しやってた。で、それぞれ楽しんでましたけど、それでもやっぱりハマったのは成田怪獣だったわけです。これ、どうしてかはわからないですけどね。だけど、究極的な話をすると、東宝のバランとかのほうが好きだったりする(笑)。
『大怪獣バラン』(1958)より、むささび怪獣バラン。画像提供:株式会社キャスト
山崎 なるほど。僕もまぁ、“ガイガン”山崎ですしね(笑)。そういう意味では、平成ゴジラ世代なんですよ。これはもう、完全にリアルタイムです。
小谷 ゴジラの好みも、どこからどこまでをよしとするかでけっこう分かれてきますよね。
山崎 それこそ僕の大好きなガイガンとかメガロとかジェットジャガーなんて、蛇蝎(だかつ)のごとく嫌ってる人も珍しくない。ウルトラマンシリーズからの影響を受けた、非常にテレビ的な派手さを与えられた一群ですね。
『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』(1972)より未来怪獣ガイガン
小谷 確かに70年代の怪獣って、テレビでも映画でも少し特殊ですね。一方で造形的には、やたらとクオリティが高いものも出てくる。『ゴジラ対ヘドラ』(1971)は怪獣の基本である災害をテーマにしながらも、ドラッグムービー的な、新時代のニュアンスがある名作です。だけど、あれはヘドラの造形に支えられてる部分も大きいでしょう。正直な話、デザイン画の段階では、そこまできちんと描かれていなかったのに、造形師はあれをよくぞここまで解釈して作り上げたなと。
山崎 『ゴジラ対ヘドラ』って、まずテーマが明確だし、表現もソリッドで尖りまくってる。一方で、ちょっと映画としてはダルい部分もけっこうあると思うんですけど、ヘドラの迫力で押し切っちゃってますよね。
さっきのバランというのは?
山崎 『大怪獣バラン』というモノクロ映画に出てくるムササビのような怪獣です。とてもカッコいい怪獣ですが、なかなか渋い趣味とも言えるかもしれない(笑)
小谷 バランもそうだし、バラゴンも好き。シンプルなんだけど、和のテイストもあるじゃないですか。
山崎 バラゴンの顔は、ちょっと狛犬が入ってますよね。
『フランケンシュタイン対地底怪獣』(1965)より地底怪獣バラゴン。画像提供:株式会社キャスト
小谷 そうそう、あの絶妙な和テイストに対して興味があるんですよね。まず海外では見られないニュアンスの顔だし、見る角度によって顔つきが違っていて、イメージが不安定。そのせいか未だにフィギュアとか欲しくなる(笑)。ガイガンもね、デザイン的に非常に優れたものがありますよ。70年あたりから『メカゴジラの逆襲』(1975)までのゴジラ怪獣は、後期ルネサンスのマニエリスム(技巧的な洗練が追求された様式)にあたると思う。なんか、それまでどこにもなかったマニエラ(手法)が前面化した不自然で、反自然的な意匠が、ボコッと突然出てきてて、あれがゴジラシリーズ後半の起点になってるように思います。あとは何だろうな、チタノザウルスなんかもスタイルがいいですよね。着ぐるみなんだけど、(女優の)菜々緒さんの首みたいで、着ぐるみを少し超えたような美しさがありますよ。
『メカゴジラの逆襲』より恐龍怪獣チタノザウルス
山崎 ゴロザウルスとかチタノザウルスの皮膚感というか、ディテールの密度のちょうどよさってありますよね。平成ゴジラになると、『ウルトラマン80』以上にハリウッド映画からの影響が顕著になってきて、ゴリッゴリのディテールが入ってたりするんだけど、そのせいでかえって作り物感が強調されちゃってる感がなきにしもあらずかなと。
『キングコングの逆襲』(1967)より原始怪獣ゴロザウルス。
画像提供:株式会社キャスト
小谷 うん、ちょうどいいんですよね。やっぱり映画に出てくる造形物だから、テレビの怪獣よりも丁寧に彫刻されてるじゃないですか。テレビの『流星人間ゾーン』(1973)に、ガイガンがゲスト出演してる回があったけど、やっぱり貫禄があったもの。

アメリカのゴジラ観

ちなみに記録的大ヒットを果たした『シン・ゴジラ』(2016)は、どのように観られました?
山崎 僕は正直、「ん?」と思うところが多かったです。アニメが嫌いなわけじゃないけど、いくらなんでもキャラクター造形がアニメっぽすぎる……。でも大ヒットしましたね。普段、アニメを観ない人たちは、アニメっぽいかどうかなんて気にならないのかも。
小谷 僕はやっぱり初代ゴジラを核にしつつ、特撮の現場にあったいかにも日本人の琴線に触れそうな要素を抽出し、これでもかと置いていく展開に驚きました。逆に海外の怪獣ファンは、ここまで日本人向けに作られたもの、もはや異物をどう受け止めるんだろうなと感じました。どんなジャンルであれ、コアな層になればなるほど、好みの原理は、ズレてるものじゃないですか。原理が深く根ざしているほど、ちょっとしたことで批判的になり、受け入れ難くなってくるというか。
山崎 映画監督でも、『GODZILLA ゴジラ』(2014)を撮ったギャレス・エドワーズも、『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』(2019)のマイケル・ドハティも筋金入りのゴジラファンで、海外の人とは思えないくらいくわしいんだけど、やっぱり日本怪獣ファンとはツボが少し違う感じがしましたね。
左:『GODZILLA ゴジラ』(2014)ギャレス・エドワーズ監督
右:『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』(2019)マイケル・ドハティ監督
小谷 『キング・オブ・モンスターズ』を観たとき、まさにそんな想いを抱きました。これが向こうの求めてるゴジラ映画なんだろうなと。同じものを観ても、同じような解釈にはならないんですね。やっぱり彼らの背景にはキリスト教があって、そういう神々しさを求める文化なんでしょう。
山崎 『キング・オブ・モンスターズ』のキングギドラは、ウィリアム・ブレイクの描くサタン(『巨大な赤い龍と太陽の衣をまとった女』)にそっくりでしたもんね。宇宙からやってきた悪い怪獣を、堕天使と解釈するのは面白い発想だなと思いました。ただ、あんなに平成ゴジラっぽい映画を、僕よりも10コ上のアメリカ人が撮ってることにいちばん驚きましたよ。物語の辻褄とか関係なく、とにかく見せ場、見せ場、見せ場で構成されてて、こんな脚本がハリウッドでも通るのかと。
『巨大な赤い龍と太陽の衣をまとった女』ブルックリン美術館蔵
小谷 あの大迫力の見せ場だけをつないでいく大味な感じは、たしかに平成ゴジラっぽい。そういう意味では、ギャレス版のほうが誠実に作られてるように感じましたね。
山崎 ドハティの見せすぎ感に対して、ギャレスはもうちょい見せてもバチは当たらないんじゃ……ってくらいギュッと見せ場が圧縮されてる感じでしたね。
小谷 あの抑制されてる感じが好きでしたね。でもまぁ、どっちも評価が分かれますわな。
山崎 足して二で割ったら、ちょうどいい感じになるかもしれない(笑)。ギャレス版は、最後にゴジラが海に帰っていくシーンがよかったです。もっとリアルに作れるはずなのに、着ぐるみでプールに飛び込んだような水しぶきを上げてて、急に『ゴジラ対メガロ』(1973)みたいな絵面になるんです。たぶん、あれがギャレスの抱くゴジラのイメージなんだろうな。そういやギャレスには一度取材したことがあって、いつも彼は初代『ゴジラ』(1954)がいちばん好きだと語ってるんですが、こっちもマニアだから腹を割って話そうと詰めたら(笑)、実は『怪獣総進撃』(1968)がフェイバリットなんだと言ってましたね。
小谷 『総進撃』といえば、凱旋門の下から現れるゴロザウルスが美しくて……。僕らの知ってる風景が、異物によって破壊されて現実が変貌してしまう。これこそシュルレアリスムの手法なんだけど、そういう要素がハリウッドのゴジラシリーズからは感じられないんだよな。
山崎 『三大怪獣 地球最大の決戦』(1964)に、キングギドラがカメラ手前の鳥居を破壊する名シーンがあって、『キング・オブ・モンスターズ』でもオマージュを捧げたカットが出てくるじゃないですか。ただ、鳥居が十字架に置き換えられていて……まぁ、そのアプローチ自体は洒落てていいなと思うんですけど、オリジナルにあった超現実的な画作りという感覚は消えちゃってますよね。
小谷 昔のキリスト教の絵画じゃないけど、光と闇みたいな感じになっちゃってますからね。その流れで、最後の最後にいろんな怪獣がゴジラにお辞儀するでしょう。あれを観たとき、ガクッとなった(笑)。怪獣に礼儀は要らないし、安っぽい日本へのオマージュも要らない。怪獣は災害のメタファーであり、カオスの象徴のはずですから、そのシリアスさの採用こそオマージュ。僕ら日本人は、もう少し怪獣というものに現実を透視しながら見てる。でも向こうの人は、もっと非現実的なところにベースを置いてるのかもしれないなぁ。本家のシュルレアリスムに戦争の影があるように、怪獣というシュルレアリスムにも戦いの不条理があると思います。
山崎 なるほど。ちなみに昭和のゴジラ映画って、アメリカの配給会社に権利を安く買い取られて、街の小さな映画館の二本立て興行にかけられたり、土曜日の午後とか深夜のB級映画枠で繰り返し放送されてたらしいんですけど、向こう(海外)の怪獣ファンは『ゴジラ対メガロ』とかが大好きっぽいんですよ。だから、日本の怪獣ファンとは真逆といっていいかもしれない。
小谷 海外のメガロ感はすごくわかるなぁ。じゃあ、ガイガンとかメガロが好きな山崎さんはアメリカ的な趣味の持ち主ということですか。
山崎 そうそう。僕に関していえば、日本人よりもアメリカ人の怪獣ファンのほうが話が合うかもしれないです(笑)。
小谷 なるほどね(笑)。
山崎 で、あっちの人からすると、怪獣同士が荒野でプロレスしてるチープでキッチュな感じこそがゴジラ映画で、それをゴージャスにすると『キング・オブ・モンスターズ』になるのかも。あのお辞儀だって、『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』(1967)や『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』(1972)の擬人化された怪獣たちの延長線上にあると思えば、なんとなく腑に落ちるものがあるじゃないですか。ギャレスはまぁ、初代『ゴジラ』も好きだと語ってるくらいだから、その辺のバランス感覚がよかったんでしょうね。日本のうるさ型ファンと近い感性を持ってるというか、どの世代のファンにも目配せができていた。
小谷 そうか、そうか。『流星人間ゾーン』とかに出てた頃のゴジラが、彼らの原体験なのだとすれば、僕との溝はなかなか埋まらないでしょうね。そりゃあ海底にゴジラの家を作ったりもするわな(笑)。ただ、今度公開される『Godzilla vs. Kong』(2020)は期待できると思ってるんです。オリジナルの『キングコング対ゴジラ』(1962)自体が、完璧にエンタメ方面に舵を切ってる作品だから。
山崎 あれはコメディですもんね。
小谷 あの「東宝チャンピオンまつり」(1969年から10年間続いた怪獣映画の興行プログラム)的雰囲気は、向こうの世界観に持ち込んでもうまくいくんじゃないかっていう気がするんですよ。
山崎 あと、最初の『キング・コング』(1933)には、超現実的なシーンがいっぱいあるじゃないですか。前半は秘境探検ものだけど、後半からみんなの知ってるニューヨークが大変なことになってしまうという。
映画『キング・コング』より 写真:ゲッティ
小谷 うんうん。キングコングが、エンパイア・ステート・ビルディングに登っていくところなんて、まさにそうですよね。あれは本当に興奮する。たしかにあの映画は、現実の部分がうまく描かれてるんですよ。ハリウッド版ゴジラには、なぜかそういう部分が欠落しているので、少しピンと来ないんだと思う。ピースが足りてないように感じてしまう。
山崎 向こうに住んでると、また感じ方も違ってくるのかもしれないですけどね。ラスベガスがぶっ壊されたところで、僕らにとっては他人事ですもん。
小谷 たぶん、それは『シン・ゴジラ』を観た外国人も同じだろうから、逆もまた然りというヤツですよ。だから次こそは、お互いのピースがバシッとハマった感じの作品になるといいですねぇ。
怪獣放談シリーズ一覧(全4回)