全4回で日本の怪獣文化を「モダンアート」との関係性から考える特集、第3回の対談テーマは「怪獣デザインのバロック化」と「成田亨の切ない自意識」。
文・構成/ガイガン山崎
写真/安田和弘
企画/飯田直人
デザイン/桜庭侑紀
怪獣放談シリーズ一覧(全4回)

バロック化していく怪獣

これまで初期のウルトラ怪獣について語っていただきましたが、70年代以降のウルトラマンシリーズに関してはいかがでしょう。
山崎 第二期ウルトラマンシリーズですね。僕自身は、そっちのほうが断然好きなんです。『ウルトラマンタロウ』(1973、以下『タロウ』)がマイ・ベストウルトラマンで、『ウルトラマンA』(1972)に登場する超獣(従来の怪獣を超越した存在と設定された、本作独自の怪獣群)のフィギュアは、どんな高額商品だろうと海賊版だろうとなんでも買ってしまうくらいですから。ただ、中学生くらいになったとき、マニア向けの雑誌とかムックを読むようになったら、ここら辺の作品と怪獣がムチャクチャにこき下ろされてたんですよ。成田亨と池谷仙克の怪獣は崇拝されてるんだけど、超獣に関しては“外見的にケバケバしいだけ”みたいなことを書かれてて、本当にビックリしたんです。「……レッドジャック、そんなにダメ?」みたいな(笑)。
『ウルトラマンA』より黒雲超獣レッドジャック
小谷 僕もビジュアルや物語だけ取り出したら、『帰ってきたウルトラマン』(1971)が最も親しみやすい。70年代以降の怪獣デザインって、成田さんや池谷さんが作った怪獣の素材やエレメントみたいなものを、もう1回掛け合わせてみたり、あるいは分解してから再び組み合わせたりするっていう不思議な手法になっていくんですけど、つまりシュルレアリスム的にはコラージュの意味合いがより強くなってるんですね。成田さんのときは、むしろデペイズマン(あるものをまったく別の環境、文脈に放り込む手法。くわしくは本特集#1を参照)のほうが主体に置かれてたんだけど。
山崎 その極地というか、極端な例が合体怪獣タイラントですよね。
『ウルトラマンタロウ』より暴君怪獣タイラント。その頭はシーゴラス、そしてその腕は超獣バラバ、胴は恐るべき宇宙大怪獣ベムスターのものだ
小谷 そうそう。で、やっぱりテクスチャの作り方とかが、非常にデコラティブになっていく。超獣は、鉱物とかを参考にしてたのかなぁ。他ではあんまり見ない感じですよね。で、『ウルトラマンレオ』(1974、以下『レオ』)くらいになると、逆にデザインが放ったらかしになってシンプル化される感じがあって、意外と僕は好きだったりする。
山崎 メインの怪獣デザイナーが、井口昭彦さん鈴木儀雄さんから大沢哲三さんに変わったという点も大きかったかもしれないけど、デコラティブの極みだったタロウ怪獣が行き着くところまで行っちゃったこともあって、またシンプルなラインに戻っていくんですよね。
小谷 『レオ』のノーバの赤いてるてる坊主のような要素の削ぎ落とし感は秀逸。頭部も大きくて圧力がある。これがバランスよく小さいと怖さが半減すると思います。本当に手を抜いたようなデザインなんだけど、これはもう逆にぶっきらぼうで怖くないかっていうところまで突き抜けちゃってる。
『ウルトラマンレオ』より円盤生物ノーバ
山崎 第二期ウルトラマンの怪獣でも、きちんと評価されてるものが1体もないわけではないんですよ。ベムスターを筆頭に、プリズ魔、ベロクロン、バキシム……たしかにシンプルで美しい。僕からすると、綺麗にまとまり過ぎてて、ちょっと食い足りないんだけど(笑)。
『ウルトラマンA』より一角超獣バキシム
山崎 ベムスターは別ですが、残りはメカゴジラをデザインした井口昭彦さんの仕事です。井口さんの怪獣は、評価の高低差がスゴいんですよ。ただ、井口さんの怪獣って、評価が高いものもそうでもないものも、どうしてそういう形になったのか、はたから見ていてもわかりやすいものが多い。でも一方の鈴木儀雄さんに関しては、本当によく分からないものばかりなんです。どうしてこんな形なのか? どうしてこんな色なのか? そして、どうしてこんなにもトゲやツノを生やしまくるのか?(笑) で、以前実際にご本人に訊いてみたんですよ。
小谷 あっ、訊いたんだ! スゴいな(笑)。
山崎 でもね、本人もよくわかってなかった(笑)。とにかく時間に追われていて大変だったと言ってましたね。ツノやトゲの数についても、そのほうが強そうに見えて子供が喜ぶと思ったからって。たしかに強そうでカッコいいんですよ。口の悪い人に言わせれば子供騙しなんだろうけど、思いっきり騙されてましたから。いや、いまだにこれがいちばんカッコいいと思ってる。
山崎さんが、ご友人と一緒に作られてる怪獣もツノとかトゲがいっぱい生えてますよね。
山崎 みんながみんな、シンプルなゴジラもどきばかり作ってても仕方ないですから。それに成田さんのテイストは、本家ウルトラシリーズも含めて、いろんな人が現代に継承しようとしてる。だから僕らは、“外見的にケバケバしい”奴らを復活させることにしたんです。
山崎氏が主催する「我が家工房」で製作されたオリジナル怪獣たち。極彩色のボディに、ツノ、トゲ、イボといった過剰な装飾がなされている。
山崎 それと鈴木さんは、『タロウ』に出てくるZATメカとかウルトラマンAも手掛けられてるんですが、いろんなところに穴が空いてるデザインが多いんです。あと、変な球体とかイボとか、とにかく“空間恐怖症”みたいに丸いパーツが敷き詰められてたりもする。で、これも理由を訊いてみたら、「いや、丸はササッと描けるじゃない。だから、ちょっと寂しいなと思ったら、とにかく丸を描いてたんですよ」って。これまた何も考えてなかった(笑)。
『ウルトラマンタロウ』より宇宙大怪獣ムルロア。身体の至るところに、“丸”が配されている。
小谷 たぶん、そこが第一期と第二期の怪獣の違いですよね。成田さんの本を読んでると、子供向けの番組ではあるけど、子供向けには絶対にしないという基本方針があったことが分かります。ツノをいっぱい生やせば、たしかに子供は喜ぶかもしれない。でもたぶん、そういう発想が一切なかったんですよ。そういうストイシズム、ある種の抑制みたいなものが、成田怪獣のひとつの特徴になってるのかなというふうに思います。それがシリーズを重ねるにつれて、わりとサービス満点の怪獣が出てくるようになっていき、そうなると当たりも出るけれど、一方でユルかったり、ヘンなものも生まれやすいと。
山崎 たぶん、その当たりっていうのが、さっきのバキシムとかベロクロンなんでしょうね。怪獣よりも強い超獣っていうコンセプトが、極めてシンプルなかたちで成立してる。たしかにあいつらは、レッドキングとかアーストロンよりも強そうに見えるんですよ。だから、僕の好きなファイヤーモンスだ、ムルロアだ、ロードラだっていうのは、客観的に見るならば一種の珍味なんでしょうね。
『ウルトラマンA』より火炎超獣ファイヤーモンス
小谷 何でもそうなんだけど、見続けていくと、どんどんドープなものがいいっていう感覚になってくるもんなんですよ。あと、均整を保っていたものが徐々に過剰化していく=バロック化していくというのは、美術の歴史を鑑みてもそうなんです。だから超獣みたいなものが生まれてくること自体は、そんなにおかしなことじゃない。しかし……、改めて見るとこんなに汚かったっけ(笑)。
山崎 第二期の怪獣は、基本的に土っぽいですね。実際、そんなふうに現場で汚してたらしいですけど。
小谷 あと、着ぐるみのバランスも変なんだよな。初期のウルトラ怪獣って、きちんと体型の自然さみたいなものも維持していたけど、それが崩れ始めてますよね。
山崎 たぶん、怪獣ブームで番組数も一気に増えてきて、マンパワー不足に陥ってたんでしょうね。「ちょっと足が短く見えるけど、とりあえずカッコはついたから納品しちゃおう」みたいな。もう細かいことにこだわってる余裕はなかったのかも。全国でアトラクションショーもやってたから、そっちの着ぐるみを作らなくちゃいけないし……。ただ、僕はビックリマンシールやSDガンダムの直撃世代だからか、こういうずんぐりむっくりしたボディバランスが好きなんですよね。
小谷 そのあとのシリーズ……『ウルトラマン80』(1980)あたりの怪獣って、ほとんど覚えてないなぁ。
山崎 この頃になると、ハリウッドのSFX映画の影響を受けて、ちょっとクリーチャー的なハードディテール路線に入りつつ、シルエットそのものはシンプルな感じに戻りますね。作品的にも、そういう原点回帰が狙いとしてあったでしょうし。
『ウルトラマン80』より吸血怪獣ギマイラ、だだっこ怪獣サンドリアス、再生怪獣サラマンドラ。いずれも初期のエピソードに登場する怪獣だ
小谷 そこも現代美術っぽい流れですね。一度行くところまで行って、海外の影響をモロに取り込んだりして、また少し原点に戻ってくる。でも原点回帰しようとはするんだけど、やっぱり少し違うんだよね。
山崎 結局、これはこれで地味すぎるってことで、後半でまた派手になっていくんですよ。たった1年間の放送で、これまでのウルトラの歴史が再び繰り返されるっていう。それが『ウルトラマン80』……ちなみに僕は、後半の80怪獣が好きです(笑)。

その後の成田亨

ちなみに成田亨さんは、のちのウルトラマンシリーズには関わられてないんですか?
山崎 80年代後半に再接近してるんですが、その話は流れちゃったんですよ。晩年は、巨大な鬼のモニュメントとか作られてましたよね。鬼といっても、ウルトラ怪獣みたいな独創性に満ちた凄まじい鬼ではなく、みんなが思い浮かべるような普通の鬼です。酒天童子とかね。
小谷 最後、あそこに行き着いたっていうのは、彫刻家としての屈折を感じますね。ただ、ああいうモニュメントを群像と呼ぶんですが、あれこそが近代彫刻の考え方において一種の到達点みたいなところがあるんですよ。彫刻家の菊池一雄や高村光太郎の「乙女の像」などは意識下にあったのでは。
高村光太郎『乙女の像』 Photo:marho
小谷 やっぱり成田さんって、「自分は彫刻家なんだ」という意識を強く持たれていた方だけに、最後に塑造というトラディショナルな手法で群像を作ることによって、作家としての自分の到達を見たいというこだわりがあったんじゃないかな。
山崎 その一方で、ウルトラマンシリーズとは関係なく、新しい宇宙人や怪獣を創作されたりもしてたじゃないですか。バルタン星人をよりメカニカルな方向性で深化させたメバとか、あの方向性を突きつめていけば、ひょっとすると誰も見たことがないものを生み出せたんじゃないかっていう気もするんですけどね。
小谷 気がしますよねぇ。ただ、それまでの創作の流れと彫刻というものを固く見つめてしまうと、ああならざるを得ない部分があったんだと思う。だから成田さんって、特撮の現場においては、有機的なフォルムに数学的、面的構成を入れるなど、いろんな怪獣や星人のアーキタイプを作ったという意味で比類なき功績を残してるんだけど、作家としての苦悩みたいなものが最後まで残ってるんですよ、たぶん。
山崎 だって、1枚も楽しそうにしてる写真が残ってないですもん(笑)。どの写真を見てもムッツリしてて……まぁ、それは冗談としても、この人は最後まで怒り続け、そして悩み続けてたんでしょうね。
小谷 成田さんは晩年、一度だけ現代美術の世界にバッと引っ張り出されたことがあったんです。『日本ゼロ年』(1999〜2000年、水戸芸術館で開催)という展覧会なんですが、当初はウルトラ怪獣の原画を出したいというオファーに対して、成田さん自身はまったく乗り気じゃなかったらしいという話を聞いたことがあります。だから、やっぱりそこは彫刻家としての葛藤があったんだと思います。怪獣とか関係なく、作家としての自分を見てくれという気持ちと、やっぱり俺の作った怪獣はスゴいだろっていう気持ち。その両極端な振り子が、ずっと動き続けてた感じがする。
山崎 やっぱり成田さんの生み出した怪獣って、永遠のスターじゃないですか。円谷プロダクションと1968年に喧嘩別れしたあと、いろんな人が無数の怪獣を生み出していったけど、それでもバルタン星人やゼットン、ゴモラを超えるスター怪獣は出てこなかった。で、子供が手に持ってる人形は、何十年経っても俺がデザインした怪獣じゃないかって。やっぱり、そこに慰められたり、プライドを感じてたりした部分は絶対にあったと思うんですよ。だからこそ、自分のアトリエにファンを招待したりしてたんでしょうしね。もちろん、俺にはウルトラマンしかないのか。もっとやれるはずだっていう気持ちもあったはずで、その心中を察するだけで切ないものがあります。スゴいことをやってのけたはずなのに、そのことを誇りきれない感じ……。
小谷 成田さん本人は彫刻家としてのプライドや自らの境遇を悲嘆しているような感じが、自伝を読むと伺い知れる。結果的にその悲哀はシーボーズやジャミラみたいな怪獣に投影されているように見えることもある。成田さんのこの人生のねじれは、この国の美術という概念そのものが抱え込んでしまったねじれと重ねて考えることも可能だと思いますね。成田さんが怪獣や星人の概念を作ったのって、日本の彫刻史を考えるならば、インドや中国、朝鮮半島からやってきた仏像という概念を日本流に解釈し、取り込み続けた構図とよく似ている。この融合力は日本人の感性そのものだと思ってます。もはや単純に特撮とか映画の中だけの話として片付けられない部分がある。きちっとした文化に移行しているわけで、成田さんが思ってる以上に芸術的価値が出てしまってるんですよね。
怪獣放談シリーズ一覧(全4回)

次回は1/31(金)に公開