古来「牛飲馬食」と言うように、およそ大食いなんてものは下品と相場が決まっております。しかし、滅法やたらに腹へ収めたが勝ちという単純明快さ、そして何より山のような料理や海のような盃がみるみる消えていく迫力は、庶民にとって大きな娯楽であるようです。

そんな心情は昔の人も変わらないようで、今回は江戸時代の大食い記録を紹介したいと思います。

お酒の部

「ちょいとアンタ、呑み過ぎじゃありませんか?」

まずは芝口にお住まいの鯉屋利兵衛(こいや りへゑ)さん38歳から。

こちらは一斗九升五合、およそ35リットルという大酒を呑み干したという記録が残されています。水だって35リットル飲むのは大変なのに、一体どういう身体をしていたのでしょうか。

※ちなみにこの利兵衛さん、その場に酔いつぶれた後に酔い覚ましとして茶碗で水17杯(※1杯一合として、一升七合≒約3リットル)を飲んだと言われます。

余談ながら、大きな盃を「武蔵野(むさしの)」と言いますが、その意(こころ)は「野見尽くされぬ」⇒「呑み尽くされぬ(呑み切れない)」。昔の武蔵野は果てしない野原だったため、そんな駄洒落が生まれました。

甘味の部

甘味の部・これでもかと腹に詰め込む選手たち(イメージ)。

続いて甘味の部は、色んなモノを同時に食べていてランク付けが難しいため、一挙に紹介します。

神田の勘右衛門(かんゑもん)さん53歳
まんじゅう50個、羊羹7本、薄皮餅30個、お茶19杯

八丁堀のいすや清兵衛(せいべゑ)さん65歳
饅頭30個、うぐいす餅80個、松風30枚、沢庵漬け5本(丸ごと)

丸山片町の足立屋新八(あだちや しんぱち)さん45歳
今坂餅30個、煎餅200枚、梅干し2升、お茶17杯

麻布の亀屋佐吉(かめや さきち)さん43歳
甘酒50杯、菜の漬物3把

皆さん甘いものばかりでなく、しょっぱいもので口直しをしながら挑戦しています。しかし沢庵漬けを丸ごと5本とか、梅干し二升とか、単位は不明ながら尋常ならざる塩分摂取。その後の健康は大丈夫だったのでしょうか。

あえて勝者を決めるなら、ここは塩分に頼らずまんじゅう50個を平らげた勘右衛門さんに軍配が上がるでしょう。

ご飯の部

ご飯の部。「まだまだありますからねー」みんな必死に掻き込む(イメージ)。

炊き立てご飯をハフハフ言いながら勢いよく掻き込む姿は、まさに大食いの王道と言えるでしょう。

ここでは駿河町の万屋伊之助(よろづや いのすけ)さん50歳によるご飯68杯&醤油2合(約360cc)、そして浅草の和泉屋吉兵衛(いずみや きちべゑ)さん73歳によるご飯50杯&唐辛子5把がツートップに挙がりました。

ご飯2杯を一合とすると、伊之助さんが三升四合(約12キロ)、吉兵衛さんが二升五合(約9キロ)も平らげたことになります。絶対量では伊之助さんの勝利ですが、23歳の年齢差を考えると、どちらに軍配を上げるかは少し難しいところです。

また、味つけに醤油はともかく、あえて唐辛子をチョイスする辺り、吉兵衛さんはよっぽど唐辛子が好きだったのでしょうね。

蕎麦の部

「へいお待ち!」次々と蕎麦を平らげる五左衛門さん(イメージ)。

江戸庶民の定番食と言えば、蕎麦を外すことは出来ませんが、こちらの記録は新吉原の桐屋五左衛門(きりや ござゑもん)さん45歳が保持しており、もり蕎麦63枚とのことです。

落語「そば清(せい)」で主人公の清兵衛(せいべゑ)が挑戦して果たせなかった60枚を、五左衛門は見事にクリアしたのですが、よい薬草でも見つけたのでしょうか。

また、記録にはありませんが、味つけは単に蕎麦つゆだけだったのか、それとも葱や山葵をうんと入れたのか、あるいは他の具材(天ぷら、油揚げ等)も入れたのか、とても気になるところです。

終わりに

以上は文化十四年3月23日、両国柳橋の「万八楼(まんぱちろう。正式名は万屋八郎兵衛)」で開催された大飲大食会の記録とされていますが、本当にこんな量を食べられたのか、いささか眉唾ものではあります。

※そのせいか、万八楼を元からあった「万八(まんぱち。嘘の別称)」の語源とする俗説まで唱えられました。

しかし「本当に食ったのか」「食っておらねば嘘だ許さぬ」などと責めるのも野暮と言うもの。それよりも開けっ広げに「俺はこんなに食ったぜ」「あいつはあんなに平らげた」「すげえ!」と景気よく盛り上がった方が、人生は楽しく過ごせます。

苦しい思いで腹に無理やり詰め込むのは食べ物も勿体ないですし、こうした無邪気な駄法螺を明るく楽しむ江戸人の大らかさは、何かと世知辛い昨今における一服の清涼剤にも感じます。

※参考文献:
杉浦日向子『一日江戸人』新潮文庫、平成二十二年6月10日 第21刷