新宿にある高級デパートの野菜売り場でのことだった。手に取ったトマト3個入りパックを、手提げ袋の中に忍ばせ、店を出た。

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「成功したと思いました。それがきっかけでお店の物は“とれる”んだって気づきました」

 目の前に座る81歳の京子さん(仮名)は、万引きに初めて手を染めた20年前をそう振り返る。

 グレーのジャケットにスラックスという、きっちりした身なりで丁寧に話す几帳面さからは、万引き常習犯という「裏の顔」はまったく想像できない。

何度捕まっても万引きがやめられない

 初犯の成功体験が発端となって以来、京子さんは現在に至るまでスーパーなどで万引きを繰り返してきた。見つかって警察に勾留され、過去にも多数の逮捕歴があり、3度服役しているが、出所すると再び犯行に及んでしまう。

 最後に万引きをしたのは昨年4月下旬。関東地方の大型ショッピングセンターで、インゲン豆や大福餅などの食品に手がのびた。

「ドキドキした緊張感はありましたが、取ってしまいました。でも、インゲンなんて普段、台所で使わないのに……」(京子さん)

 買い物はほかにしていない。京子さんは保安員に見つかって在宅起訴された。

 一緒に暮らす息子や娘は公判に出廷し、上申書も書いてくれたが、再犯を繰り返す常習累犯であったため、裁判では懲役3年の実刑判決を言い渡された。現在、控訴中だ。決して経済的に困窮しているわけではないが、万引きがやめられない。

「あまりぜいたくはできないけれど、物を取らなくても生活は成り立っていました。だから自分でも、どうしてそういう行動に出たのかがわからないんです」

 依存症の専門治療を行う赤城高原ホスピタル(群馬県渋川市)の面会室で、京子さんは時折、か細い声を震わせ涙ながらに語った。

 京子さんが初めて受診したのは1回目の服役後のこと。そのとき、クレプトマニア(窃盗症)との診断を受けた。クレプトマニアとは、飲酒をコントロールできなくなるアルコール依存症のように、万引きや窃盗をやめたいのにやめられず、繰り返してしまう精神疾患である。

 現在、ここには京子さんのようなクレプトマニア関連の患者約40人が入院し、うち65歳以上の高齢者は9人。毎日、当事者同士で窃盗の問題や悩みについて話し合う「ミーティング」のほか、回復者の話に耳を傾ける「メッセージ」などの治療プログラムを受けている。

クレプトマニアという「病気」

 法務省が発表した「令和元年版犯罪白書」によると、高齢者(65歳以上)の刑法犯検挙人員は約4万8800人で、2008年をピークに高止まり状態が続いている。罪名別では、全年齢層に比べて窃盗の割合が7割と高く、女性に限っては9割にも達し、その大半が万引きだった。総人口に占める高齢者の割合も増えているとはいえ、高齢女性による窃盗が目立っている。

 加えて、窃盗罪で服役した元受刑者が出所後5年以内に刑務所に戻ってくる再犯受刑率は、覚せい剤取締法違反の48・5%に次いで43・7%と高い。つまり1度発症し、適切な治療が施されなければ、刑務所を出たり入ったりといった悪循環から抜け出せなくなる。

 こうした受刑者の中には京子さんのように、窃盗以外の反社会的行為がない常習窃盗者が含まれており、彼女らはしばしばクレプトマニアの問題を抱えている。

 これまでに常習窃盗者を約2000人診察してきた赤城高原ホスピタルの竹村道夫院長は、クレプトマニアについてこう解説する。

「窃盗は犯罪だから、病気だと認識されにくいかもしれませんが、治療可能な精神障害です。単純に罰すればよいというものではありません。刑務所で服役させても高い確率で再犯する。それでは社会的にも損失を与えるので、きちんとした治療が必要です」

 竹村院長によると、クレプトマニアの有病率は女性が男性の2〜3倍も多い。その理由のひとつとして、女性は男性に比べて買い物に行く頻度が多いためと考えられている。

 クレプトマニアには研究の蓄積が少なく、実態の解明は遅れているが、摂食障害との合併率が高いのが特徴だ。この傾向は若年女性で顕著だが、老年女性にもみられるという。

「摂食障害の人は、自己肯定感が低く、変身願望があってダイエットにしがみつく。拒食や過食嘔吐によって生理的に慢性的な飢餓状態にあるだけでなく心理的にも、ありのままの自分を受け入れてもらいたいのに、それがかなわないという飢餓感を抱えています。このため食品やお金などを貯め込み、減るのを恐れて万引きに走るケースが少なくないのです」(竹村院長)

 クレプトマニアに陥るもうひとつの要因として竹村院長が指摘するのが、60代ぐらいの女性に訪れるライフサイクル上の危機だ。加齢による心身の衰え、家族や身近な大切な人を亡くす、子どもが家から巣立つ……。そうした変化から生じる孤独感や喪失感を背景に、発症する傾向があるという。

孤独感や喪失感も発症の要因に

 前出・京子さんの初犯は60代前半のころ。きっかけは夫の死だった。

「私は主人にかわいそうなことをしてしまいました。好きになれなかったんです。それでも子ども2人を育て、主人は子煩悩でしたから子どもを可愛がっていました。家族でよく遊びにも出かけましたが、私は主人を好きじゃなかった」(京子さん、以下同)

 夫とは、上司の紹介で知り合った職場結婚だった。だが、一緒に生活を始めると、食器選びひとつ取っても好みが合わない。価値観の相違から次第に夫との距離を感じた。そんな京子さんの気持ちを察してか、夫は単身赴任を続け、70歳を目前にしたある日、滞在先のアパートで病に倒れた。

「主人は一生懸命に働き、家を建ててくれましたが、単身赴任でほとんど家にいることはなかった。だから亡くなったとき、なんと申し訳ないことをしたんだろうと、鬱々した日々を送りました。私と結婚しなければもっといい人生を歩めたはずです」

 竹村院長によれば、夫に先立たれた当時の京子さんは「夫の死によって軽いうつを発症し、それによって過剰な罪悪感が引き起こされていた」という。そんな状態が高じて、京子さんは新宿のデパートで最初の犯行に及ぶ。罪の意識はあるが、万引きをやめられず、自己嫌悪に陥った。

「私の人生は本当にだらしなく、いいかげんだったと思います。あんなにやさしい主人を大切にできなかった。自分勝手でプライドばかりが先行してしまいました」

 一般にクレプトマニアの患者は、幼少期の生育環境や成人後の家族関係に何らかの問題を抱え、心の傷を負っていることが多い。

 一昨年の秋に入院した恵さん(仮名=65)は、東北の貧しい家庭で育った。父親は靴店や雑貨店などの商売を手がけるも、ことごとく失敗し、鼻をつまみながら古米を食べた苦い思い出がある。恵さんが言う。

「家が貧しく、小さいときから欲しいって思うものも欲しいと言えなかった。友達の家に遊びに行っても“貧乏人とは付き合えない”と私だけ帰されました」

 厳しい父親からは叱られてばかりで、口答えは一切許されなかった。学校の成績で褒められた記憶もない。そんな抑圧された幼少期を送ったため、他人に認められたいという承認欲求が人一倍、強くなったという。

 恵さんは、30歳を前にして生まれ故郷を離れ、結婚のために上京した。そして間もなく、万引きに手を染めてしまう。

「義母から財布を預かって食材の買い出しに行っていました。最初は普通にお金を使っていましたが、消費が多いと思われたくなかったので万引きをしました。手にした喜びというよりは、経済的負担を軽くできたという安心感を覚えました」(恵さん、以下同)

 経費をかけず、料理が作れる良妻賢母にならなければという強迫観念に駆られた。その結果、万引きはどんどんエスカレートした。

「役に立ついい嫁でなければ意味がないっていうか。最初は週1回ぐらいのペースでしたが、頻度が増えました。やがてスーパーに通うたびに何か取っていました。たぶん500回ぐらいはやっていると思います」

 万引きの対象も食品だけにとどまらず、インテリアなどの装飾品にも及んだ。

 これまでに警察に逮捕され、裁判で有罪判決を受けたのは3回。最初は罰金30万円、続いて執行猶予つきの懲役刑で、服役の経験はない。40代になると過食症も合併した。

「普通の人であれば、他人の物を無断で自分の物にするっていう考えは浮かばないはず。捕まったときには怖いし、もう2度としたくないって思いました。だけど時間がたつと、また始まるんです」

 恵さんは昨年10月に逮捕され、現在は保釈中の身。近々、裁判所で判決が言い渡される。

治療にたどり着けない常習犯も多い

 再犯を繰り返すクレプトマニア。病院で治療プログラムを続ければ、完治は可能なのだろうか。

 竹村院長が答える。

「クレプトマニアの場合は“完治”という考え方はあまりなく、“回復”という言い方をします。ここで治療に取り組むようになってから、5年間以上、再犯をしていない患者が30人以上います」

 日本国内には現在、クレプトマニアを専門に治療する医療機関が限られており、治療にたどり着けない常習犯は多い。

刑罰を科せば解決する問題ではない

 そんな常習犯の中に、30代半ばから万引きを繰り返し、刑務所を出たり入ったりした期間が22年にわたる57歳の女性がいる。

 その女性、さくらさん(仮名)の法的支援を行っているリバティ総合法律事務所(大阪市)の西谷裕子弁護士によると、さくらさんは、出所しても数か月以内に再犯してしまうのだという。これまでに服役した回数は7回、服役期間は合計18年。現在は8回目の服役中だ。

 この間にさくらさんの父親は自殺してしまい、母親は現在、関西で生活保護を受けながら細々と暮らしている。このため身内に頼ることもできず、適切な治療を受けられないまま、再犯と服役を繰り返す悪循環に陥っている。

 しかも10年間のうちに懲役刑が4回以上になると、罪名が窃盗罪から常習累犯窃盗罪に変わり、法定刑の最下限は3年になる。この規定を踏まえ、西谷弁護士は問題点を指摘した。

「常習累犯は窃盗団のような悪質な犯罪を想定していますが、実際に適用されるのは精神疾患を抱えた人たち。再犯を繰り返したからといって、厳罰を科せば解決する問題ではない。治療が必要なことは当然として、そもそも罪名自体を見直す必要があります」

 治療プログラムを試みようとする刑務所も一部にはあるが、まだ確立したプログラムはなく、服役による回復は期待できない。それでも刑務所で対応せざるをえないのは、クレプトマニアを犯罪以前に病気と認め可能な限り社会で治療していこうという考え方が十分周知されていないためだ。

 さくらさんの状況をさらに複雑にさせるのは、社会復帰への支援が乏しいことだ。西谷弁護士が続ける。

「さくらさんは長年、社会から断絶された生活を送り、職務履歴書も真っ白なため、社会的な対応能力に不安があります。出所時に生活保護や医療につなぐなど、公的機関は彼女に出所後の道筋を示す必要があるでしょう。司法も含めてクレプトマニアの対策を実施しないと、ほかの常習犯もさくらさんと同じ轍を踏むことになりかねません」

 万引きは窃盗罪に当たり、店側に被害を及ぼす明らかな犯罪行為だ。しかし、ここまで再犯を繰り返す高齢者たちを単なる犯罪者として裁き続けるのが、適切な対応なのだろうか。

「常習累犯窃盗罪の法定刑は懲役3年以上。再犯を繰り返すと必然的に長期服役になります。その中には京子さんやさくらさんのような、重症のクレプトマニアが多く含まれている可能性があります」(竹村院長)

 服役すれば年間の経費は約300万円かかると言われる。同じ税金を投入するのであれば、生活保護を受給させ、適切な治療を受けられるようにするほうが得策ではないのか。

 いま1度、対応の見直しが求められている。

(取材・文/水谷竹秀)

《PROFILE》
水谷竹秀 ◎日本とアジアを拠点に活動するノンフィクションライター。1975年、三重県生まれ。カメラマン、新聞記者を経てフリー。開高健ノンフィクション賞を受賞した『日本を捨てた男たち』(集英社)ほか、著書多数

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専門医がアルコール依存症、薬物依存症、クレプトマニアの治療を行う。相談は昼の時間帯に、以下の番号(0279-56-8148)に電話を。