声優」という仕事を就職することと同様に捉えてはいけない理由とは?(写真:Fast&Slow/PIXTA)

『攻殻機動隊』シリーズのバトー役や、『機動戦士ガンダム0083』のアナベル・ガトー役など、多くの代表作を持つベテラン声優の大塚明夫氏が語る「声優論」。第1回では、「多くの声優が仕事にあぶれてしまう理由」について解説します。

「声優ブーム」と言われるようになって大分たちました。今がいったい第何次ブームなのかよく知りませんが、声優に憧れる人は相変わらず大変多いようです。現場ですれ違う新人の数も、この10年ほどで把握しきれないほどに増えました。少し前までは、「今の“新人枠”に入るのはあいつやこいつ……」となんとなく顔くらいは浮かんだものなのですが。

声優志望者や若手声優と話していて不思議なのは、「声優になる」ことを、まるで就職でもするかのような感覚で捉えている人が多いことです。

声優志望者の甘すぎる未来予想図

話を聞くと、彼らは極めて無邪気に、こんな青地図を思い浮かべているのですね。

まず声優学校に入り、養成所に進んで、いい声の出し方や演技の仕方を教えてもらおう。そして大手の声優プロダクションに所属し、マネージャーがとってくる端役の仕事をこなしながら“出世”のチャンスをうかがおう。

最初のうちは安い仕事しかないだろうから、アルバイトと半々くらいで声優の仕事をしよう。そのうち大きな役がもらえるようにもなるだろうし、そうすれば後はだんだん軌道にのって、いつかは食えるようにもなるはずだ。

私などからすると、さていったいどこから突っ込んだらいいものやら……と煙草の1本でも吸いたくなってしまう内容なのですが、これを“ベーシック”なルートだと思っている若者は後を絶ちません。

「声優になりたい」。そう思うことは自由です。しかし、「声優になる」ことを「職業の選択」のようには思わないほうがいい。この道を選ぶということは、「医者になる」「パティシエになる」「バンダイの社員になる」なんて道とは根本的に違います。少なくとも、私はそう考えています。

よく考えてみてください。この世界には、「声優」という身分を保証するものは何もありません。資格やら免許があるわけでもない。人様に言えるのはせいぜい、「□□という声優プロダクションに所属しています」「××という作品の○○というキャラクターの声を担当しました」くらい。それだって、誰にでも通じる自己紹介にはなりえません。社会的に見れば極めて頼りない、むしろ存在しないに等しい肩書きなのです。

そもそも、人は何をもって「声優になった」と言えるのでしょう。声優プロダクションに所属できたら? 「いらっしゃいませ」の一言の台詞でも、作品の中で発することができたら立派に「声優」なのでしょうか。

このくらいは皆さんもご承知だと思いますが、「声優になった」からといって、声の仕事が自動的に、毎月のお給料のように舞い込んでくるわけではありません。

1件1件の仕事を、いわゆる「人気声優」たちとも対等に取り合っていかねばならない。その競争は、皆さんが想像する以上に激しいものです。コンテンツの制作サイドからすれば、欲しいのは「ギャラが予算内に収まり、かつ良い芝居ができる人間」であることがほとんどですから、テレビや舞台の俳優を声優として使うことだって自由です。

「声優という肩書きの人間のほうがいい芝居ができる」なんて思い込んでいるのは一部のオタクだけです。

肩書だけでは仕事は得られない

つまり、声優という肩書自体に、「声の仕事を得る」ための効力はないのです。「声の仕事をしている役者のことを声優と呼んでいる」だけなのですから当然です。

この順番を取り違えている新人声優がよく、「声優になったのに仕事がない、おかしい……」と悩んだりするのですが、そこで「なんで僕に仕事がこないんだろう」と真剣に考えられる人ならばまだマシなほう。「就職」気分が抜けない人にはそれが難しいらしく、「仕事がこないのはおかしい」という考えから抜け出せないまま、大小さまざまな失望を抱いてこの業界を去っていくことになります。

そんな人を、私はこれまでに飽きるほど見てきました。出会う新人声優の9割以上はこの顚末をたどると言ってもいいくらいです。ほとんどの声優は、充分な数の仕事になんぞありつけないからです。

普段は、それで困り果てている若者たちを見ても、私のほうからあれこれ口を出したりはしません。そんなに暇でもありませんから。しかし、今回はせっかく皆さんにお話しできる機会をいただいたので、声優という生き方の何がおすすめできないのか、なるべくわかりやすくお伝えしたいと思います。

なぜ、「仕事にあぶれる声優」が多いのでしょう。それは簡単な話で、「声優」の数が増えすぎたからです。「声の仕事」は、現在声優と名乗れる立場の人間の数に対してあまりにも少ない。

日本の「声優」の歴史をみると、1960年頃から洋画や海外ドラマの吹き替えが多く制作され始め、「声だけの芝居をする役者」が大勢求められるようになったことがわかります。声優という言葉自体は1940年代からありますが、戦前は主にラジオドラマがその活躍の場で、今私たちが「声優」として思い浮かべる像とは少し違いました。

例えるならば1960年代は、50しかない椅子に、50人の役者が余らず座っているような状態でした。「声だけが必要とされる仕事」が先にあり、それを埋めるため、各配給会社が新劇の舞台役者や売れないテレビ俳優を引っぱってきていたので余りようがないのです。「声優なんてのは売れない役者の成れの果てだ」と見なされていた時代の話です。

300の椅子を1万人が奪い合う状態

では、今はどうかというと、300脚の椅子をつねに1万人以上の人間が奪い合っている状態です。確かに30年前に比べて、声優が求められる場は多くなったと私も思います。2000年代に入ってからアニメの制作数は激増し、フルボイスのゲームも今や珍しい存在ではありません。

しかしそれでも、です。椅子の数も増えましたが、1万人の声優を食わせられるほどの増え方ではありません。異常に競争率の高い仕事を血眼で奪い合うゲームが続いています。

極端な言い方をすれば、声優になったところで、もらえる仕事自体はろくにないということです。そうすれば当然生計も成り立ちません。しばしば噂されているらしい「声優の多くはアルバイトとの掛け持ちで活動している」という話はまぎれもない事実です。

かくいう私自身、30歳近くになるまで土木のアルバイトを続けていました。幸い私の場合は早々にそうした時期を終えることができましたが、30代、40代になっても「専業声優」になれない人も珍しくありません(もちろん、自分の意志で「ならない」人もいます)。

こんなに商売として成り立っていないものを、安易に将来の「職業」として選ぶのは危険です。即刻やめたほうがいい。実家が裕福でいくらでもすねがかじれるとか、声優が駄目でも実家の稼業を継げばいいとか、いつでもしっかりした勤め人のお嫁さんになれる身分だという人間でない限り、近づかないのが正解です。

ははあ、「もらえる仕事はろくにない」ということは、大塚明夫は「仕事は自分で作れ、甘えるな」と続ける気だな……。そんな想像をされたあなたに言っておきましょう。

声優は、自分で仕事を作れません。

これも、声優という生き方の特殊な点の1つです。私たちの仕事は「声をあてる」こと。その仕事をこなすためにはあてる対象となる映像なり画が、そして読み上げる文章の書かれた台本が必要です。そして、それらを用意するのは私たちではありません。制作会社、脚本家、アニメーターなどのクリエーターたちです。

私たちは、彼らが作り上げた世界に肉声という最後の素材を提供する職人です。自分で脚本を書いて芝居をしたり、店をやったりする声優もいますが、それは厳密には「声優としての仕事」とは異なります。何が言いたいかわかりますか?

私たちは、ただじっと仕事を「待つ」ことしかできない立場だ、ということです。先ほど私は、声優は少ない仕事を奪い合わなければならないものだ、と書きました。しかしこの奪い合いにおいてすら、われわれがすることは「待ち」なのです。店の棚に陳列された商品のように、とにかく誰かに選んでもらわねば始まりません。

これは多くの声優志望者が見過ごしがちな点ですが、実は恐ろしいことです。誰かが何かを作ってくれなければ――「この作品のこの部分でこれを喋ってください」と頼まれなければ、私たちの仕事は存在しないのですから。

もちろん、仕事を待っている間に己を高めることはできますし、そうするべきです。待つといっても、ただ寝転がっていろという意味ではないのです。そんな人間に、マネージャーが仕事を持ってきてくれるわけがない。技術を磨き、知見を深め、少しでも多くの武器を懐に持たねばなりません。そうした努力が、プロデューサーなりディレクターなり、誰かにふと目を留めてもらったときに活きる可能性があるからです。

努力が必ず報われる世界ではない

ただこうした努力すら、「仕事につながる可能性がある」だけで、「必ずつながる」と言えないのがまた厳しいところです。どれだけ多くの刀を丁寧に研いでいようと、その刀を振るう機会があるとは誰にも保証できません。要するに“運”次第なのです。身も蓋もありませんが本当です。


そして、保証されていないからといって何もしないでいれば、いざ刀を振るう機会に遭遇したときナマクラ刀で苦戦を強いられることになる。待つことしかできない。ひたすら待ち続けても無駄かもしれない。やれることといえば密かに刀を研ぐことのみ。

しかしその後何かが起きたとしても、それまでの「待ち」のつらさや鍛錬の苦労がすべてねぎらわれるようなものだとは限らない……。

これが、人によっては死ぬまで続くのが声優という生き方です。自分で仕事を作れないというのは、かくも寄る辺なき状況なのです。