京都の観光客の数は年々減少し続け、同時に日本人宿泊数も減少傾向にある背景には何が起こっているのだろうか(写真:YiuCheung/iStock)

「部屋が取れない。取れても高くて泊まれない」などと言われてきた近年の京都であるが、実は日本人宿泊数はここ数年、毎年数%ずつ減少し続けている。あの京都から日本人観光客が減った理由とは?

社会学者の中井治郎氏による、京都を襲う「観光公害の今」を明らかにした新書『パンクする京都 オーバーツーリズムと戦う観光都市』から一部抜粋して、お届けする。

いつもはいけ好かない京都人が、得意のいけずも通じない観光客の大群に困り果てる様子に留飲を下げたい! そんな「京都ぎらい」が、読者のなかにいないとも言い切れないが、そんないじわるな読者のためにも、ここで1つ重大なタネ明かしをしておかなくてはいけない。京都の観光客の数は、実は「いうほど増えてへん」のである。

観光客の引き起こすさまざまな問題に京都の市民が悲鳴を上げるオーバーツーリズム的状況が大きく問題化されるようになってきたのは、2015年前後からであるといわれている。しかし京都を訪れる観光客数が5000万人を突破した2008年以降、その数がピークを記録した2015年でも5600万人ほどなのである。しかも、その後は減少傾向にあって2018年には5275万人まで数字を下げている。


(出所:京都市観光総合調査)*2011、2012年度の入洛観光客数は調査手法の変更により推計せず

なぜ京都の観光客は増えていないのか

つまり観光客数は「いうほど増えてへん」うえに、近年ではむしろ減りつつあるのである。ではなぜ、前回、前々回と紹介したように、京都のオーバーツーリズム(観光公害)は深刻化したのだろうか。

そのカラクリにおいて重要なことは「量」ではなく「質」への着目である。つまり、「どれくらいの人が京都に来ているのか?」ではなく、「どんな人が京都に来ているのか?」という視点だ。

京都における観光産業の主役だったのはもちろん日本人観光客だった。この日本人観光客が減っているのだ。例えば、お宿バブルといわれ「部屋が取れない。取れても高くて泊まれない」などといわれてきた近年の京都であるが、実は日本人宿泊数はここ数年、毎年数%ずつ減少し続けており、とくに主要ホテルの日本人宿泊者数は2018年には9.4%も減少したという。

また、2019年の7月に発表された「じゃらんリサーチセンター」による2018年度の宿泊旅行調査結果では、京都の宿泊者数は全国7位であり、「大人が楽しめるスポットや施設・体験が多かった」では5位と健闘するものの、「地元ならではのおいしい食べ物が多かった」29位、「地元の人のホスピタリティを感じた」18位など、例えば8分野のうち4分野で1位を占める沖縄に比べるととても「日本一魅力的な観光都市」などと胸を張れるものではない。さらに前年度に比較しても8分野中6分野で順位を下げているのである。

近年は日本全体で国内旅行者数が減少傾向にあるとはいえ、これらのデータや調査結果からは、「日本人の京都ばなれ」がひそかに進行しているさまを見て取ることができるかもしれない。

京都から日本人が減った理由

すっかり決まり文句となった「若者の〜ばなれ」が往々にして「若者ではない人」の一面的な物事の捉え方を示すものでしかないように、「日本人の京都ばなれ」にも、その言葉に安易に乗っかる前にその背景に目を向けることも重要である。

例えば日本人宿泊者数の低下の背景としては、「お宿バブル」を引き起こした宿不足の結果、外国人観光客と日本人観光客の間で部屋の奪い合いが起こっていることが指摘されている。気軽な国内旅行として京都を訪れようと思う日本人観光客と、一大イベントである海外旅行として京都を訪れようと思う外国人観光客では、宿を予約するタイミングが違うのだ。

つまり「よし、はるばる日本にいくぞ!」という意気込みの外国人たちが旅行の数カ月も前に部屋を押さえてしまうため、「来月の連休、ちょっと京都でも行ってみようか」とふと思い立った日本人が宿を取ろうとホテル予約サイトを開く頃には、時すでに遅し。希望の日程と適当な予算でプランを検索してもどこも満室。「仕方ない、京都は諦めるか」と、また違う観光地の名前で検索し始めることになってしまうのである。

また日本人にとっての京都の魅力・人気の低下に関しても、京都市の発表した平成30年度「京都観光総合調査」にその背景をうかがわせる調査結果がある。

実際に京都を訪れた日本人観光客への調査で、9割を超える人々が「京都観光に満足した」と答えている一方、「京都観光中に残念なことがあった」と答えた日本人も4割を超え、その多くが「観光客が多すぎて観光を楽しめなかった」「観光客のマナーが悪い」「いつも道路が混んでいる」などオーバーツーリズムに起因すると思われるものなのだ。

これはつまり満員電車の乗客の悲鳴と同じで、京都がそのキャパシティーを超えた観光客を受け入れていることへの苦情ともいえる。

ホテルの部屋数やバスの本数、また観光空間の広さなど、観光に関するさまざまなインフラ的要素との兼ね合いのなかで、どれだけの観光客を受け入れられるかという観光地のキャパシティーは有限である。

ホテルの予約合戦に負け、多すぎる観光客のために観光を楽しめない日本人観光客。そこには京都に押し寄せる外国人観光客と限られた観光インフラを奪い合い、「負けて」押し出される日本人観光客という構図が見え隠れする。「日本人の京都ばなれ」というより「京都から日本人が押し出されている」というほうが実状に近いといえるだろう。

そして、日本人観光客が減り、外国人観光客が増えるというのは、京都を訪れる観光客数という「量」はそれほど変わらなくても「質」が徐々に入れ替わっていることを意味する。京都におけるオーバーツーリズムをめぐる問題は、実は単に観光客の数が増えたことによるものではなく、全体の観光客数はそれほど変わらなくても、その中身が外国人観光客に取ってかわったことで惹起しているのだ。

「外国人観光客の増加」がもたらしたもの

全体の観光客数は変わらなくても、そのなかで外国人観光客の比率が増えることで起こる問題はさまざまにあるが、まずは「集中」に関するものと「文化」に関するものとが挙げられる。


外国人観光客の比率が高くなると必然的に「京都ははじめて」という人が多くなる。そうすると、清水寺や金閣寺など、日本人観光客であれば「修学旅行で1度行ったから、もういいかな」と思ってしまう京都のゴールデンルートといわれる「ド定番」スポットに観光客が集中することになる。またバスの1日乗車券などを使用する人が多いため、限られた交通機関に観光客が集中してしまう。

また、文化に関する摩擦は「マナー違反」という形で問題化されることが多い。「試食をすべて食べてしまう」「ほかの店の食べ物を持ち込む」「何も頼まずに居座る」など飲食店での振る舞い、ゴミのポイ捨て、トイレの使い方、道端で座り込む、落書きなど、この種のトラブルは観光地ごと、街ごと、お店の形態ごとに枚挙にいとまがないほど多種多様な形をとることになる。

もちろん「旅の恥はかき捨て」的な非日常ゆえの大胆さに起因するマナー違反もあるが、主にこのような異文化接触時の摩擦がマナー違反問題の根底にあると思ってよいだろう。

また定番の観光名所だけでなく、地元の人々の暮らしを観光対象とする「まちなか」観光の人気が生む問題もある。

市民の生活のための場所だった錦市場が観光化されていく問題や、舞妓パパラッチという形で問題化されている祇園や花街における外国人観光客のマナー違反の問題も、そもそもは「一見さんお断り」で知られる敷居の高さで日本人観光客が遠慮を感じていた祇園界隈に、そんな「敷居の高さ」という感覚を共有しない外国人観光客が押し寄せていることが問題の根本である。これもある種の異文化接触の問題といえるだろう。

いずれにせよ、京都でオーバーツーリズムが問題化し始めた2014年から2016年の間に外国人宿泊客数は3倍も増加していた。このことからも観光客の「質」の変化が京都の地域社会にどれほど大きな影響を与えたかをうかがい知ることができるだろう。

訪日外国人の内訳

では現在、外国人旅行者として日本を訪れているのはどのような人々なのだろうか。現在、訪日外国人の5人に4人はアジア人であり、欧米人は10人に1人ほどである。2018年のデータでは中国(26.9%)、韓国(24.2%)からの旅行者だけで全体の5割を超え、これに台湾(15.3%)、香港(7.1%)を加えると東アジアからの観光客だけで73.5%も占めることとなる。

とくに年々数を増し続ける中国人の存在感は大きく(2008年の訪日中国人は100万人ほどだったが、2018年には約838万人)、「3人に1人は中国人」といってもいいくらいである。彼らこそ日本の外国人観光客急増の原動力といってもよい。


(出所:日本政府観光局〈JINTO〉)

また、今や世界中の海外旅行者の5分の1を占めるといわれ、日本のみならず世界中の観光地に押し寄せ、世界中の観光地にオーバーツーリズムをもたらす「主役」とされることも多い中国人旅行者であるが、ツーリズムの世界でそれだけの存在感を示す現時点でも、パスポートを発給されているのは中国の全人口約14億のうちわずか5%ほどにすぎないという。

中国のパスポート所有者は今後年間1000万単位で増えていくともいわれており、そのポテンシャルは計り知れない。