ざっくり言うと
- 元SDN48が「おっさん」と暮らした元アイドルを綴った私小説を上梓した
- インタビューでは父親不在の苦しい家計を支えるために芸能界に入ったと告白
- 「おっさん」については「父親、長老、上司のような立ち位置」などと話した
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元SDN48のメンバーで現在はフリーライターの大木亜希子さん(撮影:梅谷 秀司)
最近、歩くたびに金属音がカチャカチャ鳴ってうるさいと思ったら、ヒール先端に打ち込まれた小さなネジが露わになり、もうボロボロである。しかし私は剥げた部分を黒いペンで塗りつぶし、颯爽と見栄えを整える。
深呼吸、深呼吸、精神集中。今日もいける。私は可愛い。
仕事に向かうため、扉をあけた途端に、ふと玄関横に設置した姿見に自分が映った。
アイドル時代からおよそ20キロ肥えた胴体、そしてそこから太々しく生えた首。
丸太のような寸胴が、寂しげにこちらを向いている。
将来の不安を打ち消すために、終業後は合コンに繰り出しては、ロボットのように笑顔を振りまく日々。いつか王子様が迎えにくるはずだ。早いところ結婚して、この終わりのないゲームから逃げ切ればよい。
(大木亜希子著『人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした』より)
ノルマ飯――。男性と出会い、食事をして、恋人候補者の手札を増やしていく行為のことを、大木亜希子(30歳)はそう呼んでいた。自分にノルマを課して、「適齢期」までに結婚できるように必死で調整する。それはかなうことなく人生の伴侶は一向に得られない。会社を辞め、金銭的にも追い込まれた彼女は、とうとう貯金残高が10万円を切ってしまう――。
現在はフリーライターであり、かつてAKB48の姉妹グループとして活動したSDN48の2期生だった元アイドルの大木は、自身2冊目となる新著『人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした』をこの11月末に上梓した。
書名のとおり、「仕事なし」「彼氏なし」で人生に追い詰められた元アイドルが、ある日駅のホームで突然、足が動かなくなったことをきっかけに、姉の紹介で赤の他人のおっさんである通称「ササポン」(58歳)と暮らす日常を描いた実録私小説だ。先行したウェブの連載を含めてSNSを中心に話題を呼んでいる。
「ありのままの、裸の、絶対に格好付けない言葉で私が代弁することで、それに救われる人がいると思うのです」
12月初め、インタビューに応じた大木は新刊に込めた心情を打ち明けてくれた。
もちろん“若い独身女子とおっさんの同居生活”を追った興味深いドラマとして面白く読めるが、本質はそこにはない。華やかな世界に身を置いた元アイドルが、「魂を削る」と言ってもいいほどの力強い言葉で、赤裸々に包み隠さず“人には話せない失敗談”や“自分の本音あるある”を露わにしている。
誰もが抱きながらも普通は口にはしにくい仕事や人間関係、恋愛などに対する葛藤や苦悶に立ち向かう1人のアラサー女子の生き方。彼女と近い世代の女子からすれば、自分にも起こりうるかもしれない。そこに共感が重なるのだ。
大木は今年5月、初めての著書『アイドル、やめました。AKB48のセカンドキャリア』を出版した。かつてのアイドルが「アイドルを終えたその後の人生」で、いかにして一般社会に戻り、別の職業に就き、どのような悩みとともに生き、どんな恋をしているのかをノンフィクションで描いた。そこから半年で2冊目の刊行にこぎつけた。
大木は2010年から2012年まで約2年半、SDN48に在籍した。それ以前に10代前半から女優として活動し、ドラマや映画で大役を演じたこともあった。2012年3月31日をもってSDN48が“一斉卒業”したその翌日から、彼女は“1人のタレント”という立ち位置となった。
過去の栄光にすがりつきながらも、昼は地下アイドル、夜は業界の食事会に顔を出す日々。その後、彼女は芸能事務所を退社する。そして25歳のとき、もともと文章を書くことや読書が好きだった彼女は、地下アイドル時代のファンからの「アキちゃんの文章面白いよ」という言葉を励みに、わらにもすがる思いで、ネットで見つけたライター募集に応募する。そこからライターとしてのセカンドキャリアを歩んできた。
容姿端麗な元アイドルのライターという特異な経歴。大木は確かに目を引く存在だが、ライター歴は約5年。駆け出しというほどではないが、業界の中で見ればまだまだキャリアは浅い。生き馬の目を抜く編集者が認める「本当の実力」がなければ商業メディアにおける継続的な執筆や書籍の出版なんてできない。
大木はもがき苦しみながらも、ライターとしての経験を積み、結果を出している。ただ、ライターとしてがむしゃらに「頑張る大木亜希子」が水を得た魚のような生き方を見いだせたのは、アイドルとしては結果を出せず、「頑張れなかった大木亜希子」がいたからこそだ。
「もともとは芸能界に興味があったわけではありませんでした。働いて、稼いで、母親を助けたい一心でした」
「父親がいたら『やめておきなさい』と言われるであろうことも、父はいなかったのでいい意味でストッパーがありませんでしたね」(撮影:梅谷 秀司)
大木は父が歯科医院を営む裕福な家庭に生まれた。長女、次女、双子の姉で三女の奈津子と四女の亜希子。4人姉妹の末っ子として育った。幼少期は、よくレースのワンピースを着せられ、家族の誕生日にはグランドピアノを囲み、母が「ハッピーバースデー」を演奏する。まるで「人形の家」という戯曲のような、一見すると幸福そうに見える理想的な家庭だった。
ところが、大木が小学校5年生のとき、一家の運命は一転する。父が脳梗塞で倒れたのだ。ふくよかだった父は、体重30キロ台のガリガリの体になり、オムツを付けて寝たきり状態になってしまう。
「変わり果てた父がそこにいました。その姿を見て、人間の人生はあっという間に終わってしまう、絶対的な存在も、いつかいなくなってしまうということを痛感しました。その頃から妙な自立心が芽生えました」
父親の死後、それまで専業主婦だった母親は、学童保育やピアノの先生などいろいろな仕事に携わった。大木は家計を支えるため、姉の友人からのスカウトをきっかけとして芸能界入りを決意。双子の姉・奈津子と共に芸能コースのある高校に入学する。そこでライバルと競争しながら、放課後は区民プールへ行って毎日減量する日々。体重が0.1グラムでも増えたらヤバいという、ある種軍隊のような生活を重ねたが、現実はそう甘くない。
「鳴かず飛ばずで、同級生が次々と仕事で授業を休む中、私だけ取り残されて。『あれ?こんなはずじゃなかった』、と思いました。これで母親のことを助けられると思ったのに、そうではなかったんです。認めたくない敗北を認め、その後48グループのアイドルになってようやく、紅白歌合戦も見切れ組だけど出演でき、少しは親孝行もできたかもしれない、芸能界で花開き始めたのかもしれないと思いましたが、実際はまったくそうではありませんでした」
4姉妹の四女として育った。自分の職業を体当たりでつかみ取る姉たちの姿を間近で見てきた(撮影:梅谷 秀司)
家族を支えるため、芸能界で一旗揚げて成功するという彼女のもくろみは、失敗に終わる。
とはいえ、経験は無駄にならなかった。
「いま世の中で注目されている事象やネタや人物の裏側、反義語、主役じゃない部分に着目することが、癖づいて見えるようになりました。目立っているものの真逆を突き進めて、真実を追求していきたいのです」
大木は自分のライターとしての強みをこう語る。主役ではないポジションにいたからこそ、そのときに感じた思いや視点があり、見ることができた世界があった。彼女は今、自分のすべての経験を体中から絞り出し、自らの体内を通して実感した感情を、ノンフィクションという形で書いている。
「私の視点で、私がいま何に注目してスポットを当てるかを見てくださっていると思うので、私と同じように恋愛や結婚、収入などに悩んでいる人たちに寄り添えるようなルポルタージュを書けるような書き手になりたい。私の恥ずかしい過去を露呈することで共感していただけることが、ライターとしての私の使命です」。
「“元アイドルが文章を書く”ということで面白がってくださる方はたくさんいると思いますが、中には冷やかす人もいます。会社員時代から、『元アイドルなのに請求書なんて作っててウケるね』と外部の方から言われたり、ライターをやっている今だと『元アイドルなのに文章ちゃんと書けるんだね』と言われると超ムカつきます(笑)。
いやいや、『小さな頃から何をやっていたとしても、今、自分はプロの物書きだ!』って思ってしまいます。でも、それは自分に一生ついてまわるものだから、それで注目してもらえることは全然よくて、世の中に対するアンチテーゼでもあります」
アイドルとして実力が発揮できなかった理由を大木は「芸能界で生き残る術、そこで培われる努力の方法がわからなかった」と自己分析する。
「ひと様に手塩にかけてもらい、多くの大人の協力のもと、パッケージ化されて商品として出てくるのがアイドルです。オーダーメイドの衣装を着させてもらい、プロのヘアメイクさんにメイクをしてもらい、マネジメントしてくれるマネジャーや、秋元康さんというプロデューサーがいて、とても多くの方々の支えが必要なのです。私はもともと、それを選べない素質だったのです。そこで、私は演じ切ることができませんでした」
その分、彼女は芸能界における経験を経て自らの力で動けるようになり、裏方視点で物事を見るスキルを得た。今はアイドル時代の経験を生かして、グラビア撮影のディレクションを任されることもある。裏側を見ていたからこそできる、黒子の仕事。もうマネジャーやプロデューサーもいないけれど、自分で動くことのほうに才能があったから、芸能界ではなく、今の仕事で花が開き始めたのだ。それはある種必然のことなのだろう。
「父が亡くなってから本音を言うことがずっとできませんでした。アイドルになってもいつもニコニコして自分の本音を隠しながら自己プロデュースをするという、矛盾したことをしていました」(撮影:梅谷 秀司)
アイドルという職業はうらやましがられる一方で、スキャンダラスで偏見にさらされることも少なくないが、「アイドル業は、内面が育まれる商売である」と大木は語る。
“元アイドル”という大きな十字架を背負うことが、誇りであると同時に大きなコンプレックスであった彼女は、アイドル時代の経験をどのように成仏させたらよいのかわからなかったという。しかし今は、当時の経験すべてが「これからの人生を生きるうえでの糧」となっていることに気がついたのだ。
「48という屋号を手に入れたことによって生まれた憂鬱が、今ようやく成仏し始めています。生まれ変わっても、もうアイドルになりたいとは思いませんね(笑)」
アイドル⇒会社員⇒フリーライターという特殊なキャリアチェンジをしていく中で、内面的にはどのように変わったのかを尋ねた。
「今までは、ありのままの自分を生きていませんでした。昔はモテることや、男ウケを意識するようなメイクやファッション、髪形を意識していました。
男の人に対しても『えー♡すごーい♡きゃー♡』という感情のない、表面上だけの言葉を返しまくっていて、それは相手に失礼なことだと反省し、そんな自分はもう卒業したいと思っていました。
でも今は『どのような自分でありたいか』を考えるようになりました。自分のために、自分が身に着けたい洋服やアクセサリーを選ぶようになり、話し方や仕事の取り組み方なども変わりました。そうなることで、自分が無理しない相手に出会えると思えるようになったのです。
今は、自分がありのままを生きれば生きるほど、そこにふさわしい人が必然的に現れるに違いないと思えますし、たとえ現れなかったとしても、それは自分がどう生きるかの問題だから相手の問題でもありません。結婚できなかったら怖いな、自分だけで収入得られるかな、とか、そんな不安が30代は付きまとうと思います。でも不安や焦りがなくなり、『私は何をしてでも生きていける』と思えるようになりました」
多くの経験を通して、彼女はありのままの自分に誇りを持つことができ、主軸が“他人軸”から“自分軸”に変わったのだろう。そんな彼女を精神的に支えたのは、『人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした』の主役ともいえる登場人物のおっさん、「ササポン」の存在だ。
「ササポンは私にとって、父親、長老、上司のような立ち位置です。絶対的な存在である父親がこの世を去ってしまってから、父に甘えることができなかったので、酸いも甘いも知る長老のようなササポンに、悩みごとを打ち明けることができ、救われていました。本当の父親だったら打ち明けられなかったであろうことも素直に話せましたね。
赤の他人だからこそ、執着しない“つかず離れずの関係”が居心地よかったのです。家族を支えなければいけないという思いで、ずっとがむしゃらに頑張って生きてきたけれど、ササポンから、そんなに『頑張りすぎなくてもいいんだよ』ということを教わりました。
ササポンは、『こうやって若い人と住むことで、若い人の考えやはやりを知れるのが面白いんだよ』と言っています。58歳と30歳の情報交換ですね。ササポンにとっても世界が広がるようです(笑)」
自分が自分らしくいられるシェルターを、家族や恋人でもないところで持つことで救われるのだと大木は語る。
近年、シェアハウスの利用者も増えてきている。電気の点いていない真っ暗な家に帰宅し、自分が抱えている思いを誰にも話さずに1人むなしくカップラーメンをすすって眠りにつくと、その思いは成仏できないままだ。そんな生活よりも、「今日こんなことがあってムカつきました、おやすみなさい」と誰かに言えるだけで、救われるのかもしれない。
最後に、5年後の自分を想像してもらった。
「それを考えるとドキドキしますが、会社員を辞めたときから、人生の安定を捨てているようなものだし、これからも状況が変わることで、視点が変わっていい文章が書けるかもしれないから、それもいいかな、と思います。一度全部を失って、『1からスタートです』という、ありのままの自分がメディアで拡散されていき、それに興味を持ってくださる人の方が多くなりました。人生って不思議ですよね(笑)
昔の自分だったら『年収いくらの男性をこの歳までに捕まえて――』とか計算していました(笑)。ひとりで生きることが怖いという、強迫観念があったんです。今はそこに執着しなくなりましたね。
いちばん大事なのは、自分の心が元気でいること。不安な気持ちもありますが、今を生きるしかないですからね」
最初に就いた仕事で自分の才能や天職を見つけることは、誰にだって難しい。大木のように家庭の事情もあってアイドルを始めたような、本人の本当の意思とは言い切れない道を選ぶ場合もあるだろう。
だからこその失敗や挫折という経験は自分で自分を客観視させ、次のステージで自分の本当の強みや居場所を見つけられるきっかけとなる。そこで自信をつかめれば自己を肯定でき、前向きに取り組め、結果にもつながり、さまざまな出会いを呼び込める好循環につながっていく。これは元アイドルのような特別な職業の人に限られた話ではなく、どんな立場の人にも当てはまりうる。大木亜希子は身をもって実現している。(敬称略)
彼女はアイドル時代に培ったあらゆるスキルを生かしているからこそ、今がある。「私がもっともっと大成することで、それを伝えていきたいですね」(撮影:梅谷 秀司)
外部リンク東洋経済オンライン