アフガニスタンの緑化事業などに精力的に取り組んだ中村医師の死に、アフガン国内には悲しみが広がっている(REUTERS/Omar Sobhani)

アフガニスタンで、緑化事業などに取り組んでいた中村哲医師が殺害された。医療施設拡充や灌漑事業に尽力した「地域の英雄」(アフガンのガニ大統領)が犠牲となった痛ましい事件だ。

9日までに2人が逮捕され、武装グループによる計画的事件ということは判明しているが、「犯人は誰で、なぜ犯行に至ったのか」という点は謎のままだ。当初はイスラム過激派によるテロの可能性が取り沙汰されたが、犯行声明もいまだ出ていない。浮上しているのが現地での「水利権」が悲劇を生んだとの見方だ。

強い殺意がうかがえる犯行

事件が起きたのは4日、パキスタンとの国境に近い東部ナンガルハル州の州都ジャララバードだ。

複数の現地報道を総合すると、中村医師は現地時間4日午前8時ごろ宿舎を出発し、25キロほど離れた用水施設の工事現場に向かっていた。武装グループは自動小銃AK47(カラシニコフ)や拳銃で武装し、2台の車に分乗し、中村医師の車を追走。行く手を遮った後、一斉に銃撃を加えた。まず、ボディーガード4人を殺害し、その後、運転手と助手席の中村医師に発砲したもようだ。

負傷した中村医師が起き上がったところに、武装グループはとどめを刺すように銃弾を浴びせかけ、現場から逃走した。中村医師の日々の通行ルートを把握していた計画性と、確実に命を奪おうとしたことから強い殺意がうかがえる。

犯人像は絞り込めていないが、地元かその近郊出身者であることは確実視されている。武装グループはアフガンからパキスタンにかけて見られる民族衣装「シャルワール・カミーズ」を着ており、地元での主要言語の1つであるパシュトー語で会話していた。ナンガルハル州政府は全員が男で総勢5〜7人程度との見方を示している。

アメリカの同時多発テロを受けた2001年の米英軍のアフガン侵攻以来、アフガンの治安情勢が泥沼化しているのは周知の事実だ。テロや戦闘などによる民間人の死傷者は、2014年から5年連続で1万人を超えた。

反政府勢力タリバンに加え、近年はイスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」(IS)が競うようにテロ攻撃を行う。犯人として念頭に浮かぶのは、このどちらかだ。

タリバンは事件当日、即座に「復興分野で活動するNGO(非政府組織)はイスラム首長国(タリバン)と良好な関係を持っている。それらは軍事的標的ではない」と犯行への関与を否定する声明を発表した。

国際的な反発を招きたくないタリバン

タリバン内部は穏健派から強硬派まで数多くの派閥に分かれており、この「無関係宣言」が即座に信頼できるわけではない。ただ近年、タリバンが海外の支援者を積極的に襲撃することは減っているとされる。

タリバンは自らをアフガンの支配者と認識しており、アメリカ軍をはじめ外国勢力の早期撤収を望む。支援関係者を攻撃することは国際的な反発を招き、逆に外国軍の駐留長期化にもつながりかねない。もちろん、疲弊した国土の回復に海外の支援の手が必要という計算も働く。

ではISの犯行なのだろうか。ナンガルハル州はISの分派である「ISホラサン州」の勢力が特に強いことで知られる。11月以降、アメリカ軍と政府軍による掃討作戦が進み、ガニ大統領はIS勢力を「根絶やしにした」と宣言したが、その言葉を額面どおりに受け取る向きは少ない。数は減ったかもしれないが、影響下にある過激派はなおうごめく。

ISは自らの犯行の場合、傘下メディアとされるアマーク通信などを通じて成果を誇示することが多い。最近だと、11月29日にイギリス・ロンドン中心部のロンドン橋で男が歩行者らを切りつけた事件について、アマーク通信は翌30日に「ISの戦士が実行した」と伝えた。

本当に男がISメンバーだったかについて信憑性は定かではないが、ISは異教徒への攻撃など「利用価値がある」と判断した事件は、自らの犯行として主張することもある。

ところが、中村医師の事件については、本稿の執筆時点(12月9日)まで沈黙を保っており、とくに言及はみられない。

両者以外にも、アフガン国内にはイスラム過激派が存在し、それらの犯行である可能性ももちろん排除できない。だが、犯人像が絞り切れない中、浮上しているのが、中村医師が地元の水利権に巻き込まれたという見方だ。「中村医師の事業に不満を感じる勢力がいたようだ」と、あるナンガルハル州政府関係者は打ち明ける。

中村医師の業績の1つが、パキスタンからアフガンを流れるクナル川から用水路を引いて、アフガン東部ガンベリ砂漠を緑化した事業だ。

流水量に不満を持った人も

地元民放トロニュース(電子版)によると、中村医師はクナル川に大小のダムを建設したほか、一帯で1500カ所以上の井戸を掘削。クナル川からガンベリ地域に至る全長約25.5キロの用水路建設を主導した。砂漠はみるみる緑化され、ナンガルハル州の65万人を潤したという。中村医師が現在携わっていたのも、この用水路の第2期工事だ。

前出の州政府関係者によると、中村医師によって地域の緑化が進む一方、一部住民からは川の流れの変化や、川の流水量減少について不満の声が上がったという。ここで留意したいのは、実際に流水量が減ったかは、定かではない点だ。そう感じる人たちがいた、ということだ。

イギリスのBBC放送(ダリー語電子版)は州政府のミヤキル知事の事件後の発言として、「彼(中村医師)の水関連の仕事に理由がある」と報じた。ミヤキル氏は武装グループの詳細については触れていないが、犯人像を示唆する発言だ。イスラム過激派の犯行という見方は示していない。

アフガン東部一帯は内戦状態の継続や、2000年以降深刻化した干ばつの影響で荒廃が進み、水の確保は重要さを増している。もし一帯で「流れが変わった」「水が減った」などと感じる事態が起きていたのならば、それは殺人の動機となりうる。

州政府や警察には「中村医師が襲撃される」との情報が繰り返し寄せられており、中村医師本人にも伝達されていた。最近では事件の約1カ月前にも情報があったという。中村医師は危険情報があるにもかかわらず、信念のもとで灌漑作業を継続し、銃弾に倒れたことになる。

中村医師の遺体は9日に故郷・福岡に到着したが、ガニ大統領が自らひつぎを担いでその死を悼むなど、地域に多大な貢献をしたことに異論はない。「英雄の死」の真相解明が待たれる。