27歳で現役引退を決断「野球ではもう無理だなと、自分で思ったんです」

 今季限りで戦力外となり、現役引退を決断した元ソフトバンクの島袋洋奨投手が、新たに会社員としてセカンドキャリアのスタートを切ることになった。11月15日付けでサポートギアを作るメーカー企業に就職することが内定。生活の拠点を東京に移し、12月1日から正式に勤務をスタートさせることになった。

 島袋氏が入社するのは、着用する選手が急増しているアームサポーターなどを作る「CERAMIC POWER GEAR」を運営する「株式会社アスリートビジョン」という新興企業。現役時代にここの商品を使用していた縁から、今回の入社に至った。

 興南高で甲子園春夏連覇を果たし、中央大を経て、ソフトバンクに入団。5年間在籍したホークスからもセカンドキャリアの話を貰いながらも、あえてホークスから飛び出し、会社員として再スタートを切ることを決断した。その胸の内にはどんな思いがあったのか。Full-Countの独占インタビューに応じ、思いを明かした。

――ホークスを戦力外となってから、どう過ごされていましたか?
「野球から離れて1か月以上経ちましたけど、すごくいい時間を過ごせています。今までは野球のことばかり考えていたので、また違う時間を過ごせています。沖縄にも帰って、友人の結婚式もあったんですが、そこで当時の仲間と会ったり監督やコーチにも挨拶しました」

――知人や家族にも引退を報告した。
「中には色々探して、現役をやったらいいんじゃないかという方もいたんですが、僕の中ですっきり終われたシーズンでした。これ以上野球では結果を残せないだろうなと思ったので、そこはすっきり終わることができました」

――まだ27歳と若く、沖縄にはプロ球団もできました。それでも現役に区切りをつけようと思ったのは何故ですか。
「やり切ったという自分の気持ちもありました。高校で成績が出て良いところも見て、大学でちょっとずつ野球の難しさというのも感じて、プロには入れましたけど、野球の難しさ、自分の実力の無さを感じました。野球ではもう無理だなと、自分で思ったんです。もう一度、独立リーグとかでやってからNPBに戻ることは無理だと思っているので、そこの決断はすんなりできました」

――現役にこだわる考えはなかったのですね。
「野球は職業にしなくてもやれるので。これまで野球しかしてこなかったので、また違う、ほかの世界でやっていきたいなという気持ちもありました。その世界で輝きたいという思いもありましたので、すぐ決断できました」

――ホークスからセカンドキャリアの話もあったのでは?
「ホークスからもお話はいただきました。セカンドキャリアについてとても手厚い球団なので話はいただきました」

球団からセカンドキャリア打診も「外の世界に出てみようと。一度飛び出してみようと決意しました」

――あえてそれを受けなかったのは何故ですか?
「僕もこのメーカーの用品にお世話になっていました。またホークスでやるという選択肢もゼロじゃなかったですけど、一度、外の世界に出てみようと。お世話になった球団ですけど、一度飛び出してみようと決意しました」

――なぜこの会社を選んだのでしょう?
「1年目の時に社長と知り合わせていただきました。その方からは現役時代から常に連絡をもらっていました。戦力外になった時にも気にかけていただいたんです。使っていた側として性能も分かっていますし、それに自分は助けられてきました。ずっと僕のことを気にかけていてくれた人でもありますので、この会社に入って学びたいと思いました」

――会社員という道を決断した。
「将来的には母校の指導者として戻りたいという気持ちがあります。それまでに自分に何か武器を作って、沖縄に帰りたいという思いがある中で、今回こういう風に東京に出てきて、仕事に携わっていこうと思いました」

――将来は指導者になりたい。
「将来的には僕が経験してきたことを、野球だけに限らず良い時も悪い時も色々経験できたので、それを沖縄の野球をやっている次の世代に伝えていけたら、何かしら沖縄の野球に携わりたい、貢献したいという思いが強いです」

――それまでに多くのことを学ぶための決断ですね。
「そんなに長く東京にいることはないと正直思っています。いろいろ教わっている段階。どんどんモノにして、沖縄に帰れたらと思っています。5年以内で1つの形を残して、というのは考えています」

――いま、目の前に置いている目標はありますか。
「この会社を僕が後押しできるように、1日でも早く今の仕事を覚えることが目標です」(福谷佑介 / Yusuke Fukutani)