新宿バッティングセンターが長く愛されるワケとは…(写真:筆者撮影)

カーン、カキーン……。新宿・区役所通りの一角にそんな音が響き渡る。新宿バッティングセンターである。同店は年中無休で、毎日午前から翌朝空が白むまで営業している。筆者が訪れた18時ころは、若者や外国人、水商売関係者風の男女などでにぎわっていた。

バッティングの腕は人それぞれだが、誰もが真剣な表情でバットを振り、ボールをかっ飛ばし(あるいは空振りやボテボテのゴロを放ち)、子どものような笑顔を浮かべる。見学している人々も同様に楽しげだ。

「歓楽街」「野球」という不思議な取り合わせ

さまざまな娯楽がある歌舞伎町だが、アナログかつレトロな魅力があり、訪れる人を童心に帰らせるこのような場所は多くない。

だがよく考えると、「歓楽街」「野球」は不思議な取り合わせに思える。どのような経緯でオープンし、この地に根付くようになったのか。また、利用客はどのような思いで足を運んでいるのか。本社の部長として、同店の運営に15年以上も携わっている村山拓さんに話を聞いた。


同店の運営に15年以上携わる村山拓さん(写真:筆者撮影)

新宿バッティングセンターのオープンは1978年。不動産、飲食などさまざまな事業を展開する新宿メトログループが、娯楽事業の1つとして始めた。なぜバッティングセンターなのか、村山氏はこう話す。

「弊社には『新宿を面白くする』という企業理念があり、スマートボール(パチンコの前身)のお店や雀荘、キャバレーなどの娯楽施設を運営していました。その一環として、保有している歌舞伎町の土地にバッティングセンターを作ったと聞いています。

“巨人、大鵬、卵焼き”という言葉がありましたが、当時も野球は大人気。多くの子どもに夢を与えるスポーツでもあったので、じゃあバッティングセンターをやろうよ、となったのではないでしょうか」


平日もお客で混み合う店内。客層は老若男女さまざまだ(写真:筆者撮影)

客層は歌舞伎町の関係者が多いのかと思いきや、「全然違うんです」と村山さん。平日の昼から夜にかけては学生や会社員。夜からは水商売や歌舞伎町で働く人、お酒を飲んだ帰りの人、外国人などが増える。土日は野球部やソフトボール部の学生、リトルリーグの子どもたち。レディースデイの水曜日は朝から女性が行列を作ることもあるという。

だが、かつては圧倒的に日本人男性が多く、現在の客層になったのはここ5年ほどと最近だ。歌舞伎町の人々の属性は、2003年ころから始まった歌舞伎町浄化作戦などによって大きく変化している。物騒なイメージが薄れ、誰もが気軽に訪れやすくなったが、ただ待っているだけでは客は増えない。同店においては、性別や国籍を超えて受け入れられるお店づくりをしてきた結果だという。

男社会だった店内を女性や外国人客も楽しめるように


意識的に女性向けのサービスを拡大させた(写真:筆者撮影)

「もっと多くの人に来てもらうにはどうすればいいか。そう考えたときに、お店を見つめ直したら、映った光景は男社会だったんです。たまに男性と一緒に来る女性もいましたが、自ら訪れる女性はほぼいない。お店が男性しか楽しめないような状態だったのかもしれません」

そう感じた村山さんは、お店を見直していった。女性用の手袋や軽めのバットを用意。ハイヒールやサンダルの女性向けに、スニーカーの貸し出しも始めた。女子トイレにはカードを置き、窓口で差し出すと生理用品やストッキングを購入可能に。また割安で楽しめるレディースデイや、女性専用の回数券を設けたところ、半年ほどで女性客が急増した。女性に連れられて男性客も訪れるため、結果的に男女ともに客数が増えたという。

さらに、近年増え続けているインバウンド客向けに、多言語対応のポスターやパンフレットを作成して店外に設置。すると狙いどおり、外国人客も増えていった。


外国人向けの英語ポスター(写真:筆者撮影)

「歌舞伎町には女性も外国人も男性もいっぱいいます。お店に来てもらえないのは何かしら溝があるからで、それは店側が埋めていく必要がある。街にいる人が変化している以上、迎え入れる姿勢を整えないと来てもらえませんし、喜んでももらえませんから」

プロ野球も、かつては男性のスポーツという印象が根強かったが、各球団が努力や工夫をした結果、「カープ女子」など女性ファンが増えていった。同様に新宿バッティングセンターも、街や時代に合わせて柔軟に変化することで、女性や外国人などそれまでいなかった客層が来店するようになったのだ。

では同バッティングセンターに、お客さんはどのような目的で来るのだろう。村山さんによると、体を動かしたい人、日頃の鬱憤を晴らしたい人、連れている女性にうまいところを見せたい人などさまざまだという。

実際に常連客に話を聞いてみた。新宿バッティングセンターで累計2000本以上のホームランを記録し、「歌舞伎町のホームラン女王」と呼ばれる初谷純代さんだ。

初谷さんが通い始めたのは2006年。当時は運動不足解消のため、夜中に散歩をするのが習慣だった。新宿バッティングセンターが朝まで営業していることを知り、ここで体を動かすほうが面白そうだと、野球経験者の彼氏と軽い気持ちで訪れたのがきっかけなのだそう。

お客さん同士で交流する楽しさも


「歌舞伎町のホームラン女王」と呼ばれる初谷純代さん(写真:筆者撮影)

野球を観たこともなく、バットの握り方すらわからなかった初谷さんだが、通い始めて3日目で初ホームランを放つ。それから夢中になり、多いときは週5〜6日も通い、月に数十万円を使うこともあった。

「うまくなりたい一心でしたね。私は野球経験者じゃないし、女性だし体も小さい。なめられたくない思いがあって通うようになりました」

2012年、初谷さんは当時の歴代最高となる月間52本のホームランを記録した。打った瞬間は足が震え、涙が出そうになったという。現在、その記録は塗り替えられてしまったが、次の目標として月100本を目指しているそうだ。

新宿バッティングセンターには、お客さん同士で交流する楽しさもあると初谷さんは言う。

「お店にはその時々の常連さんがいます。もちろん、私より前から通っている人もたくさん。みんな何をしている人か知らないし、会話もここだけの内容(バッティングや野球)ばかりですが、バッティングセンターを通じてつながっているのが面白いですね」

ホームランの記録を出したときは、お客さんもスタッフも一緒になって喜んでくれたと、初谷さんは感慨深げに語った。1991年からここで働き、現在は副店長を務める田島健二さんも同様の意見だ。

「昔は強面のお客様もいましたし、店内でケンカが始まったことも何度かありましたけど、最近はそういう方も目立たなくなってきました。昼のお仕事の人も、夜のお仕事の人も、いつ来ても楽しめる場所になっています」


副店長の田島健二さん(写真:筆者撮影)

2018年の冬に大雪が降った際のエピソードも披露してくれた。天井に貼ったネットにも雪が大量に積もった。重みでワイヤーが切れないよう、安全対策としてネットを下げたところ、お客さんが「新宿バッティングセンターが倒壊した!」とツイッターに投稿。約2万6000ツイートもされたという。田島さんは笑顔で当時を振り返る。

「本人も悪気はなくて、驚いて勘違いしてしまったのでしょう。そのツイートを見たお客さんたちから、心配する声が続々届いてうれしかったですね」

お店がいかに愛されているかが伺える。

再び村山さんに話を聞く。新宿バッティングセンターは今後、どのようなお店や、歌舞伎町でのあり方を目指していくのだろう。村山さんは、特別なことや新しいことをするよりも、変わらない部分をいかに守っていくか、だと話す。

野球は子どものためにある


新宿バッティングセンターの外観(写真:筆者撮影)

「ここはいつ来ても同じ、だからまた来たくなるんだよ、と言うお客さんがたくさんいます。増税とか、電気代やボールの値上げに合わせて、最低限の値上げをしなければいけないときはあります。バッティングセンターのあるべき姿として、納得できる範囲の変更もするかもしれない。けれど利益を追求して、急に100円値上げするとか、うちらしくないものを安易に導入するとか、そういうことはしたらダメだと思うんです」

新宿バッティングセンターが歌舞伎町のランドマークの1つになっているのは、先輩たちが努力して、歴史やブランドを築いてきたから。自分たちもバッティングセンターという業態やサービスに自信を持ち、変えてはいけない部分を守り続けたいと村山さんは続ける。

何より大きいのは、子どもたちへの思いだ。

「簡単に値上げなんかすると、そもそも子どもが楽しめなくなってしまいます。野球は誰のためにあるかというと、子どものためなんです。だから、お小遣いで遊びに来られる値段は守りたい。300円(1ゲームの料金)って子どもにとって結構な大金ですからね」


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子どもの頃から通い続け、大人になっても変わらず通う人はたくさんいるという。中にはプロ野球選手になった人もいるそうだ。「〇〇君」「〇〇ちゃん」と呼ばれていた子どもたちが成長する過程を、新宿バッティングセンターは見守り続けてきた。歌舞伎町という大人の街で営業をしつつも、子どもの目線を決して忘れないのは、少年少女たちによって支えられてきたからなのだ。

「これまで約40年、歌舞伎町で続けさせてもらいました。まずは100年を目指して、あと60年がんばっていきます」と、村山さんは目を細めた。

取材後、筆者は小銭を取り出して、110キロのバッターボックスに入った。小・中学校にかけて6年の野球経験がある。だが体力も視力も落ちたアラフォーのバットから、快音は2〜3度聞こえただけだった。

こんなはずでは感の反面、楽しい気分になっていた。空振りを続ける同年代の男性に、親近感を覚えた。快音を放つスポーツマン風に、心の中で毒づいた。新宿バッティングセンターの夜は、まだ始まったばかりだ。