−“女”の幸せとは、結婚し、子どもを産み育てることである。

そんな固定概念は、とうの昔に薄れ始めた。

女たちは社会進出によって力をつけ、経済的にも精神的にも、男に頼らなくてもいい人生を送れるようになったのだ。

しかし人生の選択肢が増えるのは、果たして幸せなことだろうか。

選択に結果には常に自己責任が伴い、実際は、その重みで歪む女は少なくない。

この連載では様々な女たちの、その選択の“結果”をご紹介する。前回は、産まない選択をした加奈を紹介した。

今回は結婚してくれない男と付き合い続ける、琴美(34歳)のお話。




「適齢期の女性と長く付き合っておいて、それでも結婚しようとしない男の思考回路って、一体どうなっているんだと思います?」

ゆっくりと穏やかな口調ではあるが、その声に静かな怒りを滲ませながら、女は疑問を投げかけた。

琴美・34歳。大手損害保険会社で働くOLだ。

仕事帰りの女性客やカップルで賑わう『Cafe1894』。琴美はお酒がほとんど飲めないらしく、近づいてきたスタッフに「ジンジャエールを」と頼んだ。

童顔で、ふわふわとマシュマロのような印象を受ける女性である。

透明感のある白い肌はとても30代半ばには見えず、柔らかそうな素材の黒ニットに、白いプリーツスカートという服装もコンサバで清楚。

彼女の“事情”を知らなければ「ご結婚されていますよね?」と尋ねてしまいそうな落ち着きがある。

実際、琴美自身も、20代のうちに結婚する予定だった。…結婚してくれない彼に、10年間も捕まっていなければ。


ずるずる付き合って気づけば10年。結婚してくれない男に費やした時間は無駄だったのか。それとも…?


「彼、真一郎との出会いは11年前。まだ会社に入ったばかりの頃、同期に誘われて男女数人でスノボに行ったんです。夏はキャンプ・冬はスノボ、しばらくはグループで仲良くしていたのですが、そのうち二人で会うようになって」

大手不動産デベロッパーに勤める真一郎は、当初から、ぐいぐい来るような肉食系の男ではなかった。

穏やかで優しく、誰とでもうまく付き合える性格が長所である反面、強い意志がなく、優柔不断な一面が最初からあったという。

ただ琴美自身、代々続く金属部品の製造業を営む家庭に生まれ、小学校からカトリック系の女子校育ちで、争いや競争と無縁の人生を送ってきた。そのためぐいぐい自分を押し通したり、野心を丸出しにするような男性が苦手だった。

その点、真一郎は大学教授の父親を持つ良家で育っている。少々煮えきらないところがあっても、彼と過ごす時間は平和で、穏やかで、琴美を安心させてくれるのだった。

「ただ、付き合うまでも大変だったんです。何度もデートしているのに、一向に付き合おうと言ってくれなくて。当時はまだ若かったこともあって、友達も巻き込んで彼をせっついてもらったりして、ようやく付き合うことになったのが24歳の時でした」

付き合い始めた当初、まだ若かった二人は、ピロートークで「いつか結婚したいね」なんて話すこともあった。

しかしそれはお互いに戯言のようなもので、重さも現実感もないからこそ言えた言葉だ。その証拠に、年齢を重ねた今となっては、真一郎はたとえ冗談でも「結婚」の「け」の字も口にしないという。

「私はお酒が飲めないし、真一郎も飲み歩くようなタイプじゃないから、特に何の問題も起きず、無風状態のまま月日だけが経ったというか…。気づいたらお互いアラサーになっていた、という感じでした。ただ、この頃から少し、私と真一郎の関係性が変わったんですよね」




何かがおかしい。

琴美がそう感じたのは、付き合って5年、29歳の時だったという。

「これは女の勘としか言いようがないのですが、誰か近しい女性が他にいるな…という感じがしたんです。電話に出ないことが増えたり、週末の予定を濁してきたりするのも怪しかった」

「正直、驚きました」と、琴美は目を丸くして、当時の話を続ける。

「真一郎ってサービス精神があるタイプじゃないし、女性の扱いに慣れてる訳でもない。浮気の心配なんてこれまでしたことなかったから。

でも冷静に、客観的に考えれば、29歳・高学歴、大手デベロッパー勤務、育ちも良くて優しい…彼、ものすごい結婚向きの男なんですよね。目ざとい女に狙われても不思議じゃない。その時ようやく、私も焦ったんです」

24歳から29歳まで。女の一番良い時期を5年も捧げた彼氏を、奪われるわけにいかない。

これまでに感じたことのない焦燥と衝動に突き動かされ、琴美はなんと、それまで住んでいた浅草の実家を出ることを決意したらしい。

「一緒に暮らしたいと言ったら、彼、意外にもあっさりいいよって。もともと流されやすい性格というのもあるし、ちょうどマンションの更新時期と被っていたこと、さらには私も家賃を折半すると申し出たから。広い家に今より安い額で住めて、家事も任せられる。彼にとっては正直、悪くない話だったはずです」

とはいえもちろん、琴美の両親は反対した。一緒に住むのは結婚してからにしなさい、と何度も説得された。

しかし琴美は「大丈夫」「彼も結婚を考えてくれているはず」の一点張りで強行突破。

30歳を前に、真一郎とともに目黒でマンションを借り、一緒に住み始めたのだった。


「一緒に住んでしまえば、きっと…」しかしその希望的観測は、あっさり裏切られる


ところが…結果として、琴美のこの決断は裏目に出た。

同棲を始めて4年が経過した今も、真一郎は未だ結婚に向けて動く気配がないのだ。

当然、痺れを切らした琴美が「どう思ってるの?」と詰め寄ったことも一度や二度ではないのだが、そのたびに彼は「考えていないわけじゃない」などと曖昧な返事しかしない。

そんな、のれんに腕押しするような煮え切らない態度に、琴美が居たたまれなくなって終わるというのが常だった。

「正直なところ、彼の性格を考えても、一緒に住んでしまえばどうにかなるんじゃないかって甘く考えていたかもしれないです。まさかそれから4年が経ってもプロポーズされないどころか、まるで状況が変わらないなんて…」

琴美は自分の浅はかさを嘲笑うように、乾いた声を出す。そして、しばしの沈黙の後「さすがにもう限界でした」と小さく呟いた。

「両親からもいい加減にしなさいと言われていて、つい先日は、どこのツテを辿ったのかお見合いの話を持ちかけてきました。今までなら考えるまでもなく断ってましたけど…さすがに私ももうこの年齢です。子どものことを考えるなら決断しなきゃダメだと思って」




こうして、真一郎との10年に渡る交際、そして4年間の同棲生活を完全に解消し、琴美は数日前、浅草の実家に戻ったという。

気は進まないが、両親の勧めるお見合いも、まずは顔合わせから始めてみることにしたらしい。

一連の話を終え、『Cafe1894』を後にする際、琴美はしみじみと、こんな言葉を口にした。

「結婚前の同棲は、絶対にやめたほうがいいですね。新鮮さって、一度失われると二度と戻らないから」



ところが。琴美が真一郎の家を出た1ヶ月後。

…なんと、誰も想像もしていなかった展開が起こった。

真一郎が琴美の実家までやってきて、「長い間待たせて申し訳なかった。僕と結婚してほしい」とプロポーズしにきたというのだ。

琴美が涙ながらに、彼のプロポーズに「はい」と答えたことは言うまでもない。

お見合いを勧めたがっていた琴美の両親は渋い顔をしたが、最終的には「娘が幸せになれるなら」と言ってくれ、二人はようやく、結婚に向けて動き出したという。

結婚してくれない男を動かす方法は、ただ一つ。

彼を焦らせ、行動せざるを得ない状況を作り出すこと、なのかもしれない。

Fin.





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