婚活の向こうに透けて見えたのは、「最大のライバル」姉への対抗心だった(写真:TATSU/PIXTA)

個人が抱く結婚観は、どう作られていくのか? 親から受けた愛情や兄弟姉妹との関係が大きく起因していることがある。

仲人として婚活現場に関わる筆者が、毎回1人の婚活者に焦点を当てて、苦悩や成功体験をリアルな声とともにお届けしていく連載。今回は、「育った環境がトラウマになり、婚活がうまくいかない36歳女性が今後どうするべきか」を一緒に考えたい。

姉がうらやましがる結婚がしたい

桐谷佐知子(仮名、36歳)が入会面談にやってきた。

「1つ上の姉がいます。姉は25歳のときに結婚をして、27歳のときに男の子を出産しました。姉が普通にできた結婚が、私にはできない。つい1週間前も1年付き合っていた6つ下の彼との恋愛が終わりました」


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その表情は思いつめていた。振られた原因は、彼、工藤昭一(仮名、30歳)が東京本社から関西へと転勤になったから。そこで、佐知子から結婚話を持ち出したのだが、「今は結婚を考えることはできない」と言われたそうだ。年齢的に昭一がその気になるのを待っている時間的余裕はなく、別れを選択した。

「私は、都内のアパートに一人暮らをしています。彼は、大手企業に勤めていて、私のアパートから歩いて7分くらいのところにある会社の独身寮に住んでいました。この1年間は、金曜日の夜になると彼が私のアパートにやってきて、金、土、日と一緒に過ごし、日曜の夜になると寮に帰っていくという週末同棲のようなお付き合いをしていました」

こんな密な付き合いだったのだから、近い将来、結婚できるものと思っていた。しかし、1年後に思わぬ結末が待っていた。

「彼とは本当に結婚したかった。彼なら会社も一流だし、年下だし、姉が“うらやましい”と思う気がしたから」

佐知子の口からは、“姉”という言葉が盛んに出てきた。なぜそこまで姉、貴美枝を意識しているのか。

「幼い頃から、私のほうが姉よりも運動も勉強もできたんです。小学校の運動会で走れば1番だし、テストの成績もよかった。そんな私を姉は気に食わなかったんだと思います」

兄弟姉妹げんかはどこの家庭でもするものだが、姉からされることはイジメに近かった。佐知子が昼寝をしていたときに、貴美枝がかんでいたガムを髪の毛にべったりとなすりつけられたり、飲んでいた牛乳を突然頭からかけられたり、大事にしていたリスのぬいぐるみの足の一部をハサミで切り取られたり……。

「そのたびに父や母にものすごく叱られるんです。そうすると私は父や母の陰に隠れる。親を味方につけるのが姉にとってはさらに腹立たしかったのでしょうね。ただ私も成長とともに、いつしか姉を負かしてやりたいと思うようになりました」

中学生になると、その思いはさらに強くなった。

「2人とも地元の公立中学校に進学をしました。中学になると、中間や期末テストの順位が出ますよね。私は学年でも10番以内。姉は、後ろから数えたほうが早い順位。夕食で家族が顔を合わせたときに、『今回のテストは、○番だったよ』と得意げに言う。悔しそうにしている姉の顔を見るのが気持ちよくて、ただひたすら勉強を頑張っていました」

エスカレートするイジメを両親に訴えると…

そんな状況の中で、姉のイジメもどんどんエスカレートしていったという。

「中2の2学期、英語の時間に教科書を開いたら、ページの所々がカッターで切り刻まれていた。悔しくて授業中だったけれど、泣いてしまいました」

家に帰ってきて、母親にそれを告げた。すると母親は、貴美枝を呼びつけて怒るどころか、佐知子になだめるような口調で言った。

「それは、嫌な思いをしたね。最近貴美枝は受験のプレッシャーもあって、荒れているでしょう? お父さんとお母さんもどう扱ったらいいものか、悩んでいるの。今あの子を叱ってばかりいると、心がすさんでいくし勉強もしなくなる。大きな気持ちで包んであげようと話したの。教科書はすぐに新しいものを注文するから、待っていてね」

そう言っただけで、姉を特別叱ることはなかった。また、中1の頃は、姉の前で勉強ができる佐知子を手放しで褒めてくれた両親だったが、いつしか姉の前で勉強ができることを褒めることもなくなった。

あるとき、それを不満に思った佐知子は、両親に直談判した。

「受験だから、受験だからって、お姉ちゃんばかりひいきしないでよ!」

すると、父が言った。

「あの子は、お前よりも能力がないのを自分でも知っているんだよ。それが小さな頃からコンプレックスで、お前へのイジメにつながっている。とにかく受験が終わるまでは、みんなで優しく見守ってあげようよ」

どうして姉ばかり優しくされるのか。子どもには平等に愛情をかけてほしい。中学時代の佐知子は、その不公平感にいつも不満を抱いていたという。

優等生を続けることに疲れてしまった

それでも佐知子は勉強を頑張り、地元でもトップクラスの高校に進学した。

「1年早く高校生になった姉は、地元でも1番偏差値の低い高校に行きました。ここでも歴然とした差を見せつけたので、私の中では気分がスカッとしていました」

しかし、高校に進学してから、頑張る自分がだんだんと苦しくなっていった。

「周りがみんなできるから、ちょっと勉強しないと成績が落ちる。それまで勉強が楽しかったわけではなく、いじめてくる姉の優位に立ちたかったからひたすら頑張ってきた。できる子ばかりの中にいる自分がだんだん息苦しくなっていきました。高校も休みがちになり、勉強もしなくなって、落ちこぼれていきました」

大学受験にも失敗した。

「7つ受けた大学は、すべて落ちました。7つ目がダメだとわかった夜、家で姉と顔を合わせたら、『あはははは。背中に“私はバカです”って書いてあげようか』と言われました」

そのとき、1つ上の姉はすでに女子大生になっていた。偏差値の低い高校でつねに上位の成績を取っていた姉は、推薦で女子大に入っていた。この夜、姉がはじめて妹に勉強で勝ったと思った瞬間だったのだろう。

「結局1浪して、その1年間は猛勉強。翌年、行きたかった私大に合格しました。もう姉に二度とバカにされたくなかったから、大学時代から将来の目標を決めて、就職活動も早めに取りかかりました」

そして、大手のメーカーに就職することができた。

「私が就職をした翌年に、姉は地元のテニスサークルで知り合った7つ上の男性と結婚をしました。義兄は、高校の教員。そのとき姉は派遣社員で働いていたので、公務員との結婚に両親はとても喜んでいました。そして、2年後に男の子を出産しました」

しかし、姉の結婚をうらやましいとは思わなかった。それは何より仕事が充実していたし、楽しかったからだ。

「20代はとにかくキャリアを積んで、ただの主婦になった姉に差をつけてやろうと思っていました」

恋愛よりも仕事を優先させる生活。26歳から4年付き合ってきた同い歳の恋人に29歳のときにプロポーズされたが、結婚したら仕事が思い切りできなくなる気がして、それに答えることができなかった。

「今から考えれば浅はかでした。彼よりも、もっとスペックのいい人が現れると思っていたんですから」

33歳のときに「もう誰もいない」

恋人と別れてからは、ゆるい婚活を始めた。独身の友達と婚活パーティーや出会い系の居酒屋やバーなどに、時間があると通うようになった。

「そういう場に出向いていくと、一流会社に勤めている男性はすぐに名刺をくださるんですよね。で、連絡先を交換するんですが、1、2度食事をすると終わってしまう。付き合うようになっても、3カ月程度しか続かない。そうこうしているうちに33歳になっていました」

このままでは、まずい。浮ついた出会いではなく、地に足をつけて本当に結婚できる相手を探さなくては。そう思い、改めて自分の周りにいる独身男性を今一度掘り起こしてみた。

「そうしたら大学時代の友人、会社関係の人、すてきだなと思う人は、みんな結婚していた。20代の頃とは、明らかに周りの景色が変わっていました。そのときに“ああ、私は出遅れたんだな”というのを痛感しました。急に焦り出しましたが、遅すぎました」

そんなときに出会ったのが、1週間前に振られた6つ下の昭一だった。

昭一と出会ったのは、佐知子が一人暮らしをしていたアパートの近くにある居酒屋だ。そこは、女店主の手料理が食べられる小さな店なのだが、地元の人たちが集まる憩いの場になっていた。また、世話好きの女店主が、男女のお客さんの仲を取り持ってくれることでも有名だった。

「さっちゃん、彼、年下だけど、どう? 会社もしっかりしているし、結婚するにはいいんじゃない? もう30も半ばになったら、なるべく若い人と結婚したほうがいいわよ。40過ぎの人と結婚したら、子どもが成人する前に働き手になる父親が定年になっちゃう。彼、『自分は口下手だから、年下よりも年上の女性のほうがいい』って、この間言っていたの」

カウンターの隅で1人黙々と焼肉定食を食べていた昭一に目配せをしながら言った。その日はあいさつをした程度だったが、その後、「今、彼がお店に来たから、ちょっと飲みにきたら?」と連絡をもらったり、彼にもそんなはからいをしたりしていたようで、店で会う回数も増え、仲良くなっていった。

そして、ある夜、したたかに酔っ払った昭一が佐知子を送ってくれた。アパートの前で抱きしめられ、キスをされ、「部屋に行きたい」という彼をそのまま招き入れ、その夜、男女の関係になった。

そのときのことを、佐知子は私にこんなふうに回顧した。

「ママにその報告をしたら、『男はね、胃袋をつかんじゃったら離れないわよ』と言われたんです。料理は得意なほうだったので、週末になるとやってくる彼に、あれこれと手料理を振る舞いました。泊まっていくし、そのたびにエッチもしていたので、私は結婚できるものだと思っていました。ただ今から考えれば、彼から“結婚”という言葉が、まったく出てこなかったんですけどね」

36歳の誕生日は無視された

付き合っているうちに、36歳の誕生日がきてしまった。

「私の誕生日は知っていたはずなのに、素通りでした。半年前の昭一さんの誕生日には、バースデーケーキを私が買ってママのお店に持って行って、みんなでお祝いをしたのに」

大切にされていない気がして、誕生日の2週間後に、昭一に単刀直入に切り出した。

「今月の5日が私の誕生日だったって知っていたよね。『おめでとう』の一言もなかった。で、私、36になっちゃったのね。子どもを産むことを考えたら、そろそろ結婚もしたい。昭ちゃんは、私と結婚する気持ちはあるの?」

テレビを見ながら落花生をつまみにビールを飲んでいたのんきな顔が、急に難しい表情に一変した。

「ごめん。言わなきゃと思っていたんだけれど、俺、今月に辞令が出て、関西支社に転勤になるんだ。3年は、向こうで働くことになると思う」

意外な展開に、あぜんとした。

「サッちゃんは、俺よりも稼いでいるし、仕事も好きそうだし、『仕事を辞めてついてきてほしい』とは言えない。もしも今すぐに結婚したいなら、俺たちは別れたほうがいいと思う」

突然の別れ話に、佐知子は頭が真っ白になった。そして、昭一はその夜、用意していたご飯も食べずに、帰っていった。

これまでの経緯を話すと、佐知子は私に言った。

「『胃袋をつかめば結婚できる』というのを真に受けていましたけど、それはそこに気持ちがあってのこと。1年間必死でまかないオバさんをしてきた自分がバカみたいです」

そして、大きなため息をつくと、こう続けた。

「私は小さな頃から “愛情が欲しい”と思って頑張るのに、いつも空回りしてきた気がします。父や母の愛情が欲しくて勉強を頑張った。結果、姉に嫉妬されて、いじめられて、思春期になったら頑張ることに疲れて、落ちこぼれた。

でも、そこから自分を立て直して、また努力をしたのに、今度は恋愛がうまくいかない。なんなんだろうな、私の人生って。大嫌いな姉ができた結婚、出産が、今の私にはできないんです」

誰のための結婚なのか

そんな佐知子に、私は言った。

「お姉さんが佐知子さんにライバル心を抱いていたように、佐知子さんもお姉さんが最大のライバルだったんでしょうね。なぜライバル心を抱いてしまったかというと、ご両親の愛情がより多く欲しかったから。だけど、親御さんは、2人に平等に愛情をかけて育てたんだと思いますよ」

幼い頃は、親の愛情を無条件で手に入れたいと思う。年の近い兄弟姉妹がいると、親の愛情のベクトルがどちらに向いているかを、子ども心にいつも観察してしまう。それは他者承認欲求の芽生えだ。しかし、その欲求を抱えたまま大人になると、つねに人の目や評価が気になって、とても生きづらくなる。

「結婚は誰のためにするのか。お姉さんや友達よりもいい結婚がしたい。ここまで1人で来たのだから、周りがあっと驚くような結婚がしたい。みんなにうらやましがられたい。そう思って婚活していると、お相手を見る目が曇ってしまうのね。

まずは、“私は私でいい”と認めてあげましょう。そして、誰のための結婚なのかを、もう一度考えてみましょうね」

誰のためでもない。自分が幸せになることを第一に考えて婚活をする。それが幸せになれる結婚への近道だ。