「氷雪地帯に住む先住民族のイヌイットは、自分のうんちでナイフを作り、肉を切っていた」という伝説が長年未検証のまま信じられてきたという事実を顧みて、人類学者が「本当に人糞のナイフで切れるのか?」という実験を、体を張って行いました。この研究結果が論文として発表されています。

Experimental replication shows knives manufactured from frozen human feces do not work - ScienceDirect

https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S2352409X19305371?via%3Dihub

Knives made of frozen feces don’t make the cut, disproving well-known legend | Ars Technica

https://arstechnica.com/science/2019/09/knives-made-of-frozen-feces-dont-make-the-cut-disproving-well-known-legend/

人類学者のウェイド・デイビス氏は1998年に「Shadows in the Sun」という本の中で「イヌイットの男性がイグルーの外で排便し、便に唾液をかけ、研いでナイフを作った」という記録を残しました。記録によると、男性は人糞製のナイフで犬を殺し、その胸郭でソリを、皮膚で犬用の装具を作って闇の中に消えていったとのこと。

デイビス氏はこの逸話を「謎の男の孫から聞いた話」であることを説明しており、情報ソースとしての正しさが欠けていることを認めています。しかし、デイビス氏と同時期に探検家のピーター・フロイヘンも同様の逸話を残しています。

「実験考古学」を専門とする人類学者のメイティン・エレン氏は、「人糞製のナイフ」の逸話を聞いたことから人類学に興味を持った一人です。「過去300万年において存在したいかなる道具もラボで再現できる」語るエレン氏は、最新の研究で、この人糞製ナイフを作成することにしました。

エレン氏と同僚のミシェル・ベッバー氏は、研究を行うにあたって「学生たちに重荷を課すまい」と考え、自分たち自身の便を使ってナイフを作ることを決意。エレン氏は8日間にわたって北極圏の典型的な食事である「肉と脂肪が豊富な食事」を行うため、牛・七面鳥・サーモン・パーチ・ミートボール・ソーセージ・サラミ・卵などを食べ続けました。

一方でベッバー氏は対照実験のため、ヨーグルト・レンズ豆・米・チーズバーガー・ベーグル・クリームチーズ・スパゲッティーといった西洋の食事を続けました。そして二人は排便時に便を収集し、凍らせたとのこと。



by Ali Inay

この準備期間についてエレン氏は「タンパク質と脂肪酸のみを摂取し続ける生活は予想以上につらいものだった」と述べており、ベッバー氏は「すばらしいラボがあるのにラボに行かず家で便をする日々は憂うつだった」とコメントしています。

人糞製ナイフの切れ味の実験には、犬ではなく豚の皮膚や筋肉、腱(けん)などが利用されました。解体されたばかりの動物の肉は温かいため、肉はドライアイスで冷やされ「可能な限りカットが成功するよう配慮された」とのこと。



しかし、このような環境下でも「人糞製ナイフで肉を切る」という実験は成功しませんでした。科学者は研磨の前に「セラミック型を使って成形する」「手でこねて成形する」という2つの方法を採っていましたが、いずれの方法で成型したナイフも豚の皮膚を切ることはできなかったそうです。



人糞製のナイフは刃が豚の皮膚に接触すると、溶けてふん便の跡を残すだけでした。



実験は失敗に終わりましたが、今回の実験は室温が10度という環境で行われたため、「次はより寒冷な環境で実験を行う」と研究者は述べています。また、文献には「唾液をかけて凍らせる」とありますが、今回は有用性が疑わしいと判断され用いられなかったため、唾液を使う方法も検討されています。

「先住民族や先史時代の人々は技術的に機知に富んでおり、革新的だった」という考えは広く信じられていますが、時に、科学的検証がされていない主張によって言説が支持されていることもあります。「人類学者はこのような主張や仮説、都市伝説を見つけ出し、広く信じられている物語が確固とした事実であることを可能な限り保証していかなければならない」と論文は締めくくられています。