第32節を終えた段階で、首位柏レイソルを追う2位から9位までの8チームが、勝ち点7ポイント差のなかでひしめき合う今季のJ2リーグ戦。

 とりわけ、自動昇格圏内の2位・モンテディオ山形とプレーオフ出場権のボーダーライン6位・大宮アルディージャとの勝ち点はわずか3ポイント差で、試合を終えるたびに順位がめまぐるしく入れ替わる大混戦だ。


横浜FCの躍進を支えるひとりがボランチでプレーする松井大輔

 そんななか、シーズン序盤の監督交代劇からチームが生まれ変わり、ここ3カ月間にわたって負け知らずで昇格争いを繰り広げているのが、下平隆宏監督率いる3位・横浜FCだ。

 目下14戦無敗(第32節終了時点)。最後に敗れた6月15日の第18節・徳島戦を終えた段階では14位に低迷していたことを考えると、まさに捲土重来といっていい。

 チームを牽引するのは、レアンドロ・ドミンゲス&イバの外国人アタックコンビと、現在評価急上昇中の中山克広&松尾佑介の若手両ウイング。とくに、抜群のスピードと切れ味を誇る両翼は、好調を維持するチームの象徴的存在だ。

 しかし、彼ら以上に見逃せないのが、ボランチにコンバートされたことで新境地を開拓したプロ20年目のベテラン、松井大輔の目を見張る”成長ぶり”である。

「天才ドリブラー」「ファンタジスタ」「ル・マンの太陽」。

松井を修飾するフレーズはいつも華やかだが、そんなイメージとは裏腹に、そのキャリアは挫折と苦悩が大半を占める。どちらかといえば、苦労人。そうでなければ、とっくに現役を引退していたことだろう。

 たとえば、プロデビューを飾った京都パープルサンガ(現・京都サンガF.C.)時代は2度のJ2降格を経験。アテネ五輪後にリーグ・ドゥ(フランスリーグ2部)のル・マンで再出発を図ってリーグ・アン昇格に貢献して充実の時代を過ごしたが、ステップアップ移籍した名門サンテティエンヌで再び暗転。日本代表での立場も危うくなった時期だ。

 結局、グルノーブル移籍で調子を取り戻し、迎えた2010年の南アフリカW杯でベスト16入りの主軸を担ったのが、おそらくキャリアのピーク。本来であれば年齢的にも現役の総仕上げにさしかかると思われたが、W杯終了後にスポルティング(ポルトガル)移籍が直前で破談になったことをきっかけに、また日陰での生活を強いられた。

 極寒の辺境地トム・トムスク(ロシア)での半年間のレンタル移籍。シーズン後半戦はグルノーブルに戻ってリーグドゥに逆戻り。復活を期して移籍したリーグ・アンのディジョンではフィットできず、上を目指す若手に混じってアマチュアリーグでプレーした。W杯出場経験者にとってこれ以上の屈辱はない、まさにドン底だ。

 その後、スラヴィア・ソフィア(ブルガリア)、レヒア・グダニスク(ポーランド)でプレーした松井は2014年、当時J2だったジュビロ磐田に移籍。キャプテンマークを巻いてチームの中心となり、ようやくプロサッカー選手として充実の日常を取り戻すこととなった。

 だが、それも束の間。シーズン終盤戦にはベンチが定位置となり、その後もJ1昇格を果たしたチームのなかで居場所を失ってしまった。

 そんな自分にハッパをかけるべく、再びポーランド2部のオードラ・オポーレに新天地を求め、その半年後には2018年冬に横浜FCに加入。しかし、すでに36歳になった松井は即戦力として期待されていたわけではなく、出場機会は主に途中出場で9試合。3位に食い込んだチームがJ1参入プレーオフ(東京ヴェルディ戦)を戦った時は、ベンチに入ることさえできなかった。

 ところが、そのキャリアがフェードアウトしそうな雰囲気もあった今季、これまで何度も挫折を乗り越えてきた男が突如、目を覚ましたのである。それは驚きでもあるが、過去を辿れば納得でもあった。

 松井にとって幸運だったのは、前任者のタバレス監督が、「松井は欧州を経験しているだけあって、サッカーをよく理解していて、どこのポジションでもプレーできる能力がある」と、リベロやサイドバックで起用したこと。そして、そのプレーぶりをアシスタントコーチとして見ていた下平現監督が、バトンを受け継いだことだった。

 就任直後はシステムを頻繁に変えて試行錯誤を繰り返した新指揮官だったが、松井のポジションは従来の前線ではなく、中盤のセンターもしくはインサイドハーフに固定。松井のボールを扱う高い技術、キック精度、サッカーセンスをいかんなく発揮できるポジションを与えたことは、まさに慧眼だった。

 やがて下平監督が見つけ出した最適解が、現在の基本布陣4−2−3−1。トップ下のレアンドロ・ドミンゲス、スピード豊かな両ウイングの中山と松尾、さらに両サイドバックの北爪健吾&武田英二郎の攻撃参加を支える舵取り役を担うのが、松井と田代真一のボランチコンビだ。

 ウイングやトップ下がかつての持ち場だった松井と、センターバックを主戦場としていた田代の組み合わせは、抜群の補完関係にある。当初はボランチでのプレーに戸惑いを見せるシーンもあった松井も、試合を重ねるごとに田代との役割分担と関係性をブラッシュアップ。自分が前に出て攻撃参加する時、センターバックの間に落ちてビルドアップに参加する時など、状況に応じて”ボランチらしい”プレーヤーへと変貌を遂げている。

 とりわけ、ボールが落ちつかず攻守が激しく切り替わるJ2において、横浜FCは松井のところでボールを収めて落ち着かせることができるのが強み。そのうえで、ボランチから両サイドへ展開するミドルパスと前線への縦パスをミックスし、ボールを握ってからサイド攻撃で仕留めるかたちと、ボールを奪ってから縦に速くフィニッシュに持ち込むかたちの両方を兼ね備える。

「前線でボールを追いかけて守備をすると疲れてしまうけど、ボランチは考えて守備をするので、それほど疲れない。今の僕には、頭を使うボランチのほうが合っている」

 そう語る松井は、磐田時代から毎年1月に三浦知良とともにグアムでの自主トレーニングを続けるだけあり、肉体は衰えていない。逆に、身体が動きすぎて自陣でファウルを犯し、それが失点につながることもある。そこはボランチとして大いに反省すべきだが、今はその身体を張ったディフェンスが周囲の士気を高める効果につながっていることに目を向けるべきかもしれない。

 38歳にして旬な選手――。試合を重ねるごとに目覚しい成長を見せるボランチ松井のプレーは、そういう意味でも必見だ。5試合連続スタメン出場のあと、大宮戦(第32節)では中村俊輔が同じく初のボランチ起用で期待に応えたことで、今後はベテラン同士がお互いを高め合う効果も期待できる。

 挫折を繰り返したからこそ、現在がある。京都やル・マンの時とポジションは違えども、松井大輔が横浜FCの昇格のカギを握っていることは間違いなさそうだ。