■どうしようもない現実だからこそ、アニメが必要だ

アニメ映画『天気の子』を観た。大ヒット作『君の名は。』に続く新海誠監督の作品として注目を浴びている映画だ。アニメでしか表現できない美しい虚構の世界が、どす黒い現実に染まりきった僕の心をきれいに洗い流してくれた……ような気がする。

写真=iStock.com/Yevhenii Dubinko
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Yevhenii Dubinko

いつもこういうビジネス系のサイトや雑誌の記事では、「私」を主語に「ですます調」で書くことが多い。でも、今日は「僕」を主語に「である調」で書きたいと思う。その方がアニメを語るのに向いているからだ。アニメ作品のプロローグによくある独白だと思って読んでもらいたい。

『天気の子』はレイトショーで観た。家に着いた頃にはすでに0時を回っていたと思う。翌朝カーテンを開けて見た空は、いつもと少し違っていた。虚構が僕の現実を変えてしまったのだ。

アニメは現実の世界を変える力を持っている。僕はずっとそう信じてきた。いや、本当に世界を変えてきたのだろう。多くのアニメーターの命を奪ったあの「京都アニメーション放火事件」の直後、世界中から哀悼の意や支援を表明する声が届けられたのはその証拠だ。

このどうしようもない現実の中から、虚構の世界を失いたくない。僕らにはそういう強い思い、熱い気持ちがあるのだろう。アニメはアニメであるからこそ、現実を支える大きな力になっているのだ。

■オタクではないからこそ、アニメの力を訴えたい

僕はこれまで何度かアニメを哲学の題材にしてきた。『ジブリアニメで哲学する』(PHP文庫)や『アニメと哲学』(かんき出版)がそれだ。「なぜ哲学者がアニメを?」と、しばしば尋ねられる。ちなみに、僕はいわゆるアニメオタクではない。つまり、特別アニメに詳しいわけではないのだ。

ただ、子どもの頃からいくつかのアニメ作品を観て育ち、今なお話題作があればわざわざ劇場に足を運ぶ。おそらく普通のおじさんよりはちょっと興味がある程度だと思われる。だからこそアニメの力を訴えたいのだ。アニメは決して特別なものではない。また特別な人たちのものでもない。ごく普通に僕らの日常にあるインフラなのだ。冷蔵庫や新聞と同じように。

誰だって冷蔵庫を使うだろう。新聞も読むだろう。そして冷蔵庫や新聞から恩恵を受けているはずだ。冷蔵庫や新聞の専門家でなくったって。アニメをそういう感覚でとらえてほしい。すでにアニメが大好きな人にはこんな話は釈迦に説法だろう。でも、アニメに興味のない人にはぜひそう思ってほしいのだ。だからアニメを題材に哲学している。

■なぜ、おそ松さんを題材にしたのか

『アニメと哲学』の中で、あえて誰もが知っているであろう作品ばかりを扱ったのはそうした理由からだ。一部のアニメファンしか知らないマニアックな作品を取り上げても、一般の人にはわからない。韓国ドラマで「冬のソナタ」のチェ・ジウの話をしたら、だいたいの人にはなんとなくわかってもらえる。

ところが、同じ韓国ドラマでも「君の声が聴こえる」のイ・ボヨンの話をしても、ほとんどの人には通じない。韓国ドラマファンなら誰でも知ってるだろうが。「いとしのソヨン」とか最近だと「耳打ち」に主演しているあの美人女優である。

という感じで、アニメを論じるときも、ただのマニアックな話にはしたくなかったのだ。だから僕が扱ったのは、ドラえもんやワンピース、おそ松さんといった定番のアニメばかりだ。いや、『君の名は。』のような新しいアニメも扱っているが、これは社会現象にもなったような作品だから、多くの人たちが観ているはずだろう。

いずれにしても、普通の中高年のおじさんだってなんとなくストーリーがわかるものばかりにしてある。もちろん知らない人が読んでもわかるように、最小限の説明はしているが。

■大人がアニメを哲学すると成長できる

では、なぜそこまでして哲学とアニメを結び付けたいのか? それはアニメから学ぶことができる人生のヒントがたくさんあると思うからだ。でもそのヒントはストレートに表現されているものばかりではない。特に子どもの頃観ただけだと、見逃してしまっているポイントはたくさんある。僕自身がそうだった。

大人になってから、子どもに付き合って同じ作品を観ると、まったく違う発見があった。そういう発見ができたのは、僕の思考力がアップしたからだろう。子どもの時に比べて。特に僕は哲学を生業にしている。つまり物事を深く考察する営みのことだ。その哲学を使ってアニメ作品のメッセージを読み解くと、さらに有益なヒントが浮かび上がってきたのだ。

それを伝えたかった。くしくもこの本で選んだ作品は、いずれも「成長」をキーワードにしているように思われる。意識の成長、心の成長のことである。おそらく偶然ではないのだろう。アニメは本来、子どものためにある。子どもの心の成長のために描かれているはずだ。しかし、心の成長が必要なのは子どもばかりではない。それは大人にも不可欠だ。

■ドラえもんの映画で父親が涙するワケ

自分もまだまだ成長していないなと思うことはないだろうか。あるいは、少なくとももっと成長したいと思っている人はいるだろう。完璧な大人などいるわけないのだから。それに人間は忘れる動物だ。子どもの頃習ったこと、身につけたことも、すぐに忘れてしまう。だから常に初心に帰ることが大事なのだ。

子どものためにドラえもんの映画を観に行ったお父さんが、自分の方が泣いて感動しているシーンがよくある。きっと忘れていた何かを思い出したのだろう。いや、子どもよりも深いメッセージを受け取ったからかもしれない。

そうやって自分と向き合い成長したいすべての大人たちに向けて、僕は『アニメと哲学』を書いた。たとえば、この競争ばかりで面倒な社会の中で、いかにくさらずに戦い続けることができるか。そのヒントは「おそ松さん」に描かれている。ただし逆説的に。

写真=iStock.com/Crisfotolux
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大人になってもそろってニートを続ける六つ子の兄弟たちからは、なぜか悲壮感が漂ってこない。普通だったら鬱になったっておかしくないのに。むしろ競争社会を明るく皮肉る彼らの姿には、強ささえ感じるから不思議だ。その秘密を読み解くには、哲学がいる。そこで僕は、ニーチェによる善悪の基準をモノサシのように用いて、おそ松さんのメッセージを解説してみた。

■ポケモンと人間の深遠な関係

あるいは、「ポケモン」が描くモンスターや少年たちの成長は何を伝えているのか? それは進化にほかならない。成長を超えた進化。つまり、想定を超えた成長のことである。その想定を超えた部分に僕らは感動を覚えるのだ。それを読み解くために、ベルクソンの「エラン・ヴィタール(生命の飛躍)」をモノサシに用いた。

小川 仁志『アニメと哲学』(かんき出版)

モンスターも人間も、生命体は常に予想もつかない大成長を遂げる可能性を秘めている。僕らはそう信じることではじめて、努力できるのだ。彼らが懸命に日々のトレーニングに邁進(まいしん)しているように。

こんなふうに、アニメは哲学のモノサシを使って深く読み解くことで、より深淵なメッセージを伝えてくれる。そして大人にとっても十分役に立つ成長のためのヒントを与えてくれるのだ。

冒頭でも触れたように、それはアニメが虚構だからこそ可能になるといっても過言ではない。現実の中で見失っているものを見るには、何か別の視点が必要だ。そうすると、必然的に虚構ということになる。アニメが現実を変える理由はそこにある。

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小川 仁志(おがわ・ひとし)
哲学者
1970年京都府生まれ。山口大学国際総合科学部准教授。京都大学法学部卒業。名古屋市立大学大学院博士後期課程修了。博士(人間文化)。商社マン(伊藤忠商事)、フリーター、公務員(名古屋市役所)、米プリンストン大学客員研究員等を経て現職。「哲学カフェ」を主宰するなど、市民のための哲学を実践している。著書に『7日間で突然頭がよくなる本』『これからの働き方を哲学する』『AIに勝てるのは哲学だけだ』など多数。
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(哲学者 小川 仁志)