遺骨をお墓に納める風習は、いつから始まったのでしょうか? 蝉丸Pが時代背景とともに遺骨の歴史を解説します(写真:HIME&HINA/PIXTA)

先祖の遺骨を守ることが「供養」につながると思っている人は多い。だが、実は遺骨を守る風習は最近生まれたものであることをご存じだろうか。新書『住職という生き方』を上梓し、今年で住職歴17年となる蝉丸P氏が「住職のリアル」について語る。第2回のテーマは「遺骨をめぐる日本人の価値観の変遷」について。

遺骨を守るのは明治以降のこと

江戸時代ぐらいだったら、位牌だけを管理していればよかったので、遺体とか遺骨とかに重きを置いていませんでした。ましてや庶民には現代のような「家」制度もありませんでしたから、自分の直近の見知った人の位牌だけあればよかった。それでお祭りする人がいなければ絶えてしまうわけですが、それで結構という価値観だったのです。

昔は位牌だけをちゃんと拝んでいればよかったのに、そのうちにお仏壇も見なきゃいけない、その後にお仏壇と位牌がセットになり、さらにお骨も見なきゃいけないと、管理すべきものが増えていったのです。

お骨をちゃんとしなさいという話が出てくるのは新興宗教の論理でもあるんですよね。日本で新興宗教をやる場合は必ず先祖供養から入っていくわけですから、それの一環としてお骨もちゃんと面倒を見なさいみたいな話ですよね。そもそもお骨に対する信仰っていうのは明治以降になってからの話なんですよ。

江戸時代は、今よりもお骨の扱いがすごく雑でした。お骨に対する信仰みたいなものというのは当時はあまりなく、基本的に、埋め墓と祭り墓というものがあり、この埋め墓といってもほとんど塚みたいなものでした。

そもそもの世界観として、肉体からは魂が抜けてしまっているわけですからお骨には価値がないわけです。じゃあ、その魂はどこにいっているかっていうと祭り墓だったり位牌だったりすると。

昔は仏教思想が強かったので、身体というのはあくまでも抜け殻だと考えられていたのです。魂うんぬんは仏教ではなく三魂七魄といって儒教の思想なんですが江戸時代だと仏教と儒教のチャンポン思想が強かったので、結果的に身体というのはあくまでも抜け殻だと考えられていたのです。

ところが、明治以降になってきますと日清・日露戦争の影響もあって遺骨を大事にという流れも出てくるわけです。さらに、これが昭和の新興宗教の最盛期とともに頂点に達します。

じゃあ、令和にもなった現在だと、一般の方の遺骨に対する気持ちがおさまってきているかというと、まったくそんなことはないんですよ。都市部の人たちでも遺骨に対する畏れはすごくありますよね。日常の中にまったくないものですから、どのように対処したらいいのかわからないのだと思います。

ペットのお葬式というのもあるようですが、そういった場合でも遺骨というのは大切にされるそうです。

遺骨は「よすが」である

つまり、現代において遺骨がいちばん簡単な「よすが」になってきているということなのだろうと思うのですが、昔はその役割を位牌が果たしていたわけです。ですが、現代ではそのよすがを持て余しているのだと思います。

遺骨というのは法的には産業廃棄物扱いになるのですが、関西以西なんかは、火葬した後に持って帰るのは喉仏と頭蓋骨のテッペンの硬い部分だけというところが多く、後は産廃として処理するので、そういう地方の葬儀で使う骨壺というのは本当に小さいんですね。

これが、関東の都市部となると、持って帰る骨が多い風習の所が多く、骨壺が大きくなってくるんですよ。地方と火葬場の回転率が違うというのもあるんでしょうが、火葬場の方であまり処理してくれない感じではあります。

風習というのもありますが、火葬場の炉というのは耐火れんがをつねに改修しながら使っているわけですから都市部の場合は火葬場の炉に負担がかからないように、多くの骨を持って帰るのが暗黙の了解的な決まりになってる部分もあるかと思います。

最終的に遺族の手元に渡る遺骨の量がまったく違うわけですから、これは困るだろうなと。都内近郊なんかの霊園だと、お墓を開けても骨壺を4つか5つか入れたらいっぱいになってしまうわけです。

そういう事情があるからこそ需要があるのだと思いますが、最近は遺骨を2センチ以内に砕いてくれる業者というのがいるそうで。これがなんで2センチ以下かと申しますと、そのサイズにしてしまえば散骨することができるので、遺骨を保管する必要がなくなるからでしょう。まぁ、いってしまえばこれは「代行業者」なのでしょうね。

面白いのは中四国なんかの場合ですと、さらしの袋に入れてガンガンたたいて遺骨を粉々にしたりする地域もありますからね。お骨を砕くのに躊躇ない地域もあるんですよ。

そういう風習が実際にあることを知っている身としては、粉骨なんて自分でやればいいじゃないかと思ってしまうわけです。別に特殊な技能が必要なわけでもなく、たださらしの袋に入れてたたいて砕けばいいだけなのにもかかわらず、なぜ他人に頼むのか。

物理的にはできるけれども精神的にはできないというのもあるでしょうし、これは現代の人たちが「宗教的なもの」との距離をうまく測れないという面もあると思います。

仏教では「骨」を特別扱いしない

本来、仏教的な価値観からすれば仏陀の骨でもない限り、特別な扱いはしないものですからね。それこそ仏教が生まれたインドでは死体ごとガンジス川に投げているわけですから。

インドのガンジス川のほとりで遺体を焼いている人々のことを「ドム」というのですが、彼らが遺体を焼くときは施主が出す薪代によって焼き加減が変わってくるわけです。

使える分の薪が燃え切ったらいくらレア焼きだろうが、ガンジス川にどんどん遺体を投げ入れていくんです。輪廻思想がありますから肉体は死んだら抜け殻でもう用はないというわけです。

日本でも平安時代あたりから仏教思想が一般化してきたのでそのような考え方で、京都の鳥辺野・化野・蓮台野などに死体を捨てていたわけです。


当時の朝廷は、喪葬令で「死体を道に捨てるな」という御触れを出さなければいけないほどでした。京都の朱雀大路の溝が詰まるくらいに死体が捨てられていたりとか、飢饉のときなんかは鴨川が死体でいっぱいになるなんてことはザラにあったわけです。それくらい日本も遺体に対しての畏敬の念はなく、かなり雑に扱っていたわけです。

鎌倉幕府も室町幕府も初期の頃の江戸幕府も死体を捨てるなという御触れを出しているわけです。とくに老人や病人なんですが家の中で死なれると死穢(しえ)といって忌み嫌われるっていうのがありますから、死にかけの人間を簀巻きにして家の外に投げるんですよ。そういうことをやっていた地域というのは全国的にありますから、当時の幕府は「老人と病人の死体を捨てるな」と言い続けていたわけです。