7月の参院選で有権者と話を交わす菅義偉官房長官(写真:時事通信)

今回の参院選で菅義偉は、麻生太郎や岸田文雄の力を削ぐための工作に全力を挙げた。とりわけ目を引いたのが、岸田の地元、広島選挙区での自民党候補擁立による岸田の後見人の追い落としだ。

だが、それだけではない。水面下では自党の候補者をそっちのけで他党の候補者を支援し、自らの影響力の拡大を図った。

地元・広島県で露骨な「岸田潰し」

新聞や週刊誌でも一部報じられたが、広島選挙区では自らの人脈を使って露骨な岸田潰しに出た。岸田の地元である広島県の自民党現職は宏池会(岸田派)の最高顧問である溝手顕正。菅は「広島では自民党が2議席とれる可能性が高い」として、自らの側近である衆院議員・河井克行の妻・河井案里(県議)を2人目の候補として擁立した。これには地元の広島県連が猛烈に反発し、自民党の地方議員の大半が溝手についた。

だが、菅はこの6年余で極めて密接な関係を築き上げた創価学会副会長(広宣局長)の佐藤浩に河井への支援を要請。今の創価学会で選挙対策を担う佐藤の指示を受けた広島県の創価学会は、学会票を河井に集中させ、マスコミ各社の期日前の出口調査では公明党支持者の70%以上が河井に投票していた。この学会票が河井当選の決定打となった。

結果的に溝手は落選。岸田派の牙城である広島県連内では、選挙期間中に岸田が河井の応援にも立ったことに一部幹部が猛反発するなど大混乱に陥った。

通常であれば、創価学会=公明党は、選挙区で自民党候補を支援する際、見返りに比例の公明票を上積みしてくれる候補を優先する。今回の広島選挙区では、自民党支持の各種団体の大半が溝手支援に回ったため、本来であれば公明党は比例で公明票を出せる力を持つ溝手を優先する。

ところが今回は、浮動票頼みで比例票の見返りがあまり見込めない河井を全力で支援した。異例の対応だが、その背景には、今度の参院選で最も苦戦が予想された兵庫選挙区の公明候補に菅の支援を得る必要があるとの事情もあった。

実際、菅は学会の要請を受けて公示前後に3回も神戸市に入ったほか、地元兵庫県連の猛反発を無視し、本来は自民党支持の運輸や住宅関連の業界団体票を公明党に回すなど公明党支援に全力を挙げた。そのおかげで公明党は維新に次ぐ2位当選を果たしたが、その余波で最下位の3位当選と肝を冷やした自民党の地元関係者からは、厳しい菅批判の声が上がった。

菅の工作は、自民党内にとどまらない。定数2の静岡選挙区では、国民民主党の現職・榛葉賀津也と立憲民主党の新人が2位争いを繰り広げたが、最後は榛葉が滑り込んだ。

決定打は、裾野が広い自動車会社のドンであり、影響力が極めて大きいスズキの会長・鈴木修が榛葉支援を打ち出したことだったが、これも菅が鈴木に頼んだと言われる。憲法改正論議に国民民主党を引き込む戦略の一環だったと言われるが、それだけではない。一時は落選かと言われた現職を助けてもらったことで、国民民主党は今後、国会対策などで菅の意向を無視できなくなる。

党首の玉木雄一郎が選挙後、ネット番組で「私は生まれ変わった」としたうえで「憲法改正の議論を進めていくし、首相にもぶつける」と述べて波紋を呼んだが、菅への「返礼」と考えればわかりやすい。

維新への影響力を一層強める菅

さらに菅は、東京選挙区でも元都議で維新の新人・音喜多駿を当選させるために水面下で動いたといわれる。選挙関係者の間では、公示前の世論調査で当選圏外だった音喜多が選挙戦に入って急浮上したため、「組織票が動いたのではないか」とささやかれていた。

政府関係者によれば、菅が自民党支持の有力な宗教団体に音喜多の支援を依頼したという。結果的に自民党は東京で何とか2議席を確保したが、音喜多が浮上したことによって現職の武見敬三は最下位での当選となった。武見は麻生派の所属だから、武見を落としてでも維新の音喜多を当選させるのが菅の作戦だったのかもしれない。

同様の現象は神奈川選挙区でも見られた。維新の松沢成文が選挙戦終盤になって浮上し、最後の4議席目に滑り込んだが、その松沢にも菅は水面下で企業票を回して支援したと言われている。

菅は維新代表の松井一郎と極めて親しい。その維新は国会でほかの野党とは一線を画し、多くの野党が反対する法案でも賛成することが少なくない。憲法改正を掲げていることも政権にとっては都合のいい存在だ。維新は、安倍政権にとって国会における野党分断カードになり、同時に憲法改正など右寄りの政策ではつねにブレーキ役となる公明党を牽制するカードにもなるのだ。

今回の参院選で維新が初めて関西以外で当選させた2人に多大な恩を売ったことで、菅は維新に対する影響力を一層強めることになる。これが菅にとって大きな力の源泉となることは言うまでもない。

一方の麻生だが、先述のように地元の福岡県知事選では菅に完敗し、中央でも昨年の財務次官のセクハラ問題や今年の「老後2000万円問題」への対応で批判を浴びるなど、ここ数年精彩を欠いている。

菅に足元を脅かされる麻生だが、菅に反撃した形跡はあまりみられない。ただ、2017年の内閣改造の際、安倍に対して官房長官の交代を強く進言したことはあった。また、2017年10月の衆院選直前に公明党の参院議員と衆院議員に相次いで女性スキャンダルが発覚し、公明党が大打撃を受けた裏にも麻生の影がちらついた。

「ポスト安倍」政局で麻生派は草刈り場に

2人のうち参院議員は、創価学会副会長の佐藤浩の直系議員。前述したようにその佐藤は学会における菅とのパイプ役だ。これについて、ある公明党幹部は当時、「麻生さん周辺が、菅―佐藤ラインに打撃を与えるために週刊誌に情報を流したと聞いた。菅さんと麻生さんの権力闘争に巻き込まれて本当に迷惑だ」と漏らした。

麻生の足元が揺らいでいるのは、菅のせいだけではない。今も朝のウォーキングを欠かさず、夜は遅くまでホテルオークラのバーで番記者らを相手にする姿は、まもなく79歳になる老人にはとても見えない若々しさだ。だが、年齢からくる判断力の衰えは隠しようもなく、派閥の後継者不在により、「ポスト安倍」政局では各陣営の草刈り場になりかねないことも頭痛の種だ。

麻生の妻は、元首相・故鈴木善幸の3女。その妻から麻生は「早く息子に交代してほしい」と迫られているが、一代で大派閥に育てた麻生派を維持するために、少なくとも次期衆院選には立候補する考えと言われる。もはや自らの再登板に党内の支持が得られる状況にない中で、「ポスト安倍」政権下でも自らの影響力を維持するために次は誰を担ぐべきか。有力な選択肢として考えていた岸田が今回の参院選で大きく失速したこともあって、麻生の悩みは深い。

仮に「菅政権」が誕生し、麻生派が主要ポストから外される事態になれば、有力な総裁候補を持たない麻生派は一気に求心力を失う。そうでなくても、外相の河野が麻生の説得を振り切って菅の後押しで総裁選に出馬すれば、その時点で麻生派が分裂することにもなりかねない。

こうした状況を受け、麻生は最近、周辺に「菅と俺とを本気でけんかさせようとするやつもいるが、そんなことにはならねえよ」と話しているという。とりあえず今は劣勢とみて「休戦しよう」ということか。

麻生は同時に、最近は周辺に「(ポスト安倍候補には)加藤勝信(総務会長)もいるじゃないか」とも漏らす。

竹下派所属ながら安倍側近として第2次内閣発足後、一貫して安倍から重要ポストを与えられている加藤であれば、細田派(安倍派)と連携して総裁に押し上げることができるかもしれない。何より加藤自身が麻生の下を足しげく訪れるなど関係は良好だ。麻生としては加藤カードを持つことで「菅首相」に安倍が加担することも牽制できる。

事実上の「菅派」は無派閥議員の半数近くに

官房長官として歴代最長記録を更新し続け、その権力を最大限に使ってライバルたちの力を削ぎ、影響力の拡大を図る菅。新元号「令和」の発表で国民的人気まで獲得したことで、最有力の「ポスト安倍」候補と目されるようになった。

しかも、無派閥の若手議員らによる「ガネーシャの会」や今春新たに発足した無派閥の中堅議員らによる「令和の会」など、無派閥議員を中心とした菅を囲むグループは4つもある。本人も無派閥だが、70人余の無派閥議員のうち30人以上が事実上の「菅派」と言われる。

菅自身は、首相を目指すのかと問われれば、最近もこれまでどおり「まったく考えていない」と繰り返す。だが、仮に菅が「ポスト安倍」の自民党総裁選に立候補する意向を固めた場合、果たして安倍は、長期政権の最大の功労者である菅を見捨てて岸田ら他の候補を支援することなどできるのか。

菅は党内第5派閥を率いる幹事長・二階俊博と良好な関係を築いており、菅が立候補の意向を固めれば、総裁候補を持たない細田派(=安倍派)と二階派、それに無派閥の菅グループ30〜40人程度が支援する体制があっという間に出来上がる可能性がある。

では、はたして菅は宰相の器なのだろうか。菅は安倍政権下で「黙々と首相を支える忠義の人」とのイメージを作ったが、実は衆院議員に初当選して以来、担ぐ総裁候補=仕える親分を次々と乗り換えてきた。

最初に入った派閥は当時の最大派閥である橋本派。橋本龍太郎内閣総辞職に伴う総裁選では派閥会長の小渕恵三ではなく、元官房長官の梶山静六を担いで敗北。すると今度は当時、政界のプリンスだった加藤紘一の加藤派へと移籍し、2000年の森喜朗内閣不信任案をめぐる「加藤の乱」では加藤に同調した。それが鎮圧されると、今度は反加藤の堀内派、その後の古賀派に移った。

【2019年8月18日18時13分注記】初出時の記事の古賀派に関する表現を上記のように修正いたします。

2006年の総裁選では派閥領袖の古賀に逆らって安倍晋三を担いで奔走。その功で第1次安倍内閣ではわずか当選4回で総務相に就任した。敗北続きの菅にとって初めての「当たり馬券」が安倍だったが、その安倍内閣はわずか1年で総辞職した。

その後の総裁選では、本命の福田康夫ではなく麻生太郎を担いでまた敗北といった具合で、20年余の議員生活は負け続きだった。その間、「世代交代」「脱派閥」をスローガンに元首相の森喜朗らに早期引退を迫った経緯などもあり、党内では長く異端児扱いで、ベテラン議員たちからは「裏切りの菅」「渡り鳥の菅」と陰口をたたかれ続けた。

乏しい政策実績、外交・防衛がネックに

一方で、この6年余、政権の大番頭として危機管理と官僚操縦では辣腕を発揮してきた。長期にわたる安定した政権運営は菅抜きには考えられないだろう。

それでは政策面での実績はどうか。自らが総務相時代に創設した「ふるさと納税」制度を今の安倍政権下で拡充したが、今や返礼品の過当競争や都市部の税収の大幅減など弊害の方に焦点があたる。携帯電話料金の4割引き下げや実質的な外国人労働者受け入れ枠拡大も菅が主導した代表的な政策だが、いずれも「拙速で、マイナス面への目配りに欠ける」といった批判も根強い。

何より「本人の最終目標が幹事長や官房長官だったので、外交・防衛問題に関する見識を持たず、海外の要人と会談しても話が続かない」(首相官邸筋)との評価が永田町では流布される。それが「菅首相」への最大の障壁だろう。官房長官を経て首相になった小渕恵三や福田康夫になぞらえる向きもあるが、小渕や福田は若い頃から外交や防衛の勉強を重ねていたという点で菅とはまったく異なる。

それでも今の自民党内の力学からすれば、菅が「ポスト安倍」の最有力候補であることは間違いない。それだけ自民党は人材が払底しているともいえる。

今のところ、安倍に総裁4選を目指す気持ちは本当にないという。だとすれば、菅自身が総裁選に立候補する決意を固めさえすれば、「菅首相」が誕生する可能性はかなり高い。

首相を目指してこなかった菅に日本の命運を託すことになるのか―─。それが菅本人の判断1つで決まってしまう状況になりつつある以上、われわれも菅という政治家の本質を冷静に見極める必要があるだろう。=文中敬称略=