「SUMMER SONIC 2019」東京公演でステージを熱狂させたばかりのクリーブランド出身のラッパー、マシン・ガン・ケリー。実は、数年間の苦難とハードなパーティーライフを経て、地位と名声を手にしたという。来日を記念し、ローリングストーン誌の2017年の密着ルポを掲載する。

※本記事は、2017年の米ローリングストーン誌掲載記事です。

皆で寄ってたかって、マシン・ガン・ケリー(以下MGK)をからかうのはなぜだろう? 多かれ少なかれ、その現象が起こり続けている。今この瞬間も、ニューヨークでは、お抱え運転手付きのSUVから煌びやかなダウンタウンの寿司バーのTaoまで、小競り合いなしにはクオーターブロックも歩けない。店に入ろうとすれば、ホームレスたちは彼に向かって「よお、新入り!」と大声で話しかける。さらにMGKが数時間後に店を出ようとすれば、テキーラとイエローテイルで泥酔した若者は彼の目の前に立って、ジャスティン・ビーバーであるかどうかを訊ねる。

「なあ。俺が俺だから、全部俺のせいらしい。なぜだかはわからないけど」とMGKは呟く。成功は彼の元へやって来たものの、それに対していつも幸せを感じていたわけではない。そのほとんどが、彼をイラつかせた。

彼がまだ、ただのコルソン・ベイカーとして、クリーブランドで育った少年犯罪者として、Chipotle(米人気メキシカンチェーン店)で働き、10代の父親になりそのまま暮らしていたとしても、おそらく同じようなことが起きていただろう。彼はなぜか、トラブルそのものに見える。彼の周りの空気がおかしいのだ。たとえ彼が、ショウのある日に3時間ドライブをして、怪我をして入院しているファンの元へ訪れているような男だったとしても。或いは、彼にソックリなドラマーであるRookを「弟」と呼び、実際そのように接していたとしても−−彼らは血の繋がりはないし、実際に一緒に育ったわけではないにも関わらず、だ(Rookはもともと地元のファンで、MGKのギグを勝ち取った。MGKに自身がプレイするビデオを送ったところ、彼から兄弟の称号を与えられた)。

10年近くカルト的で、ロックを賞賛し、ギターを演奏し、ライヴ・バンドを牽引するヒップホップアーティストとして、コツコツと実力を重ねてきたMGKは、2017年初頭、リアーナとエミネムのコラボレーションを思い起こさせるカミラ・カベロとのデュエットソング「Bad Things」でヒットを飛ばした。それは、自身のマシンガンのようなライム・スタイルが、流れるようなアトランタのフロウが主流だったジャンルの方向にそぐわず、キャリアが急降下して行ったラッパー(MGK本人は「ミュージシャン」という表現を好んでいる)にとって、大きな転機となった(ただし、MGKは「Trap Paris」でクエヴォとのコラボレーションを果たしている)。「俺は1年前にソールドアウトしていた会場に行ったんだ。そしたら、そこにいたのはたったの100人だった。終わった、と思ったよ」と、MGKは当時を振り返る。

約190cm近くある身体は、タトゥーで覆われていて細く、さらに背が高く見える。彼のファッションセンスは独特だ。停電の中、アクセル・ローズがエルトン・ジョンにスタイリングされた、と想像してもらえば良い。今夜彼が着ているのは「Thrill Ryde」と背中に書かれたボロボロのアシッド・ウォッシュ・デニムのジャケット、黒と赤の花柄のシャツ、低い位置で履いている黒いジーンズ(チャックがあるべき場所には安全ピンが刺さっていて、ウォレットチェーンと、黒いバンダナが後ろのポケットに入っている)、ピンク色の丸メガネと言う出で立ちだ。ちなみにメガネは、カナダ人のレゲエアーティスト、スノーが「インフォーマー」のビデオでかけていたような物だ。その色味は、彼が歯につけているルビーの輝きとよく似ている。

MGKはこれまで、いくつかの犯罪も犯して来た。最初は14歳の時に犯した大きな罪だった。犯罪者は特定していないが、MGKのある楽曲では、彼が怒りに任せて銃を撃ったと示唆している。MGKは「法廷にいる俺を見た父の顔は、ずっと忘れられないんだ。他の仲間と一緒に繋がれていた。仲間っていうより、ただのツレだったんだけど」と語る。

さらに、持っているお金をすべて使わなければならない事態に直面した。 フロリダのバーファイトで、MGKがボトルで殴ってきたと訴える用心棒に支払わなければならなかったのだ(「400ポンドもある、俺みたいな奴のケツを叩くのが仕事の用心棒に手をかけただけで、奴は200万ドルで俺を訴えてるんだ!」。その後、ひどい貧乏に陥り、少なくとも飾りのないクリスマス・ツリーのようになったわけだが、自身のヒーローでもあるキャメロン・クロウに見出され、Showtimeの『Roadies』に出演。実入りの良い副業を手に入れたのだ。クロウはMGKをオーディションした際にすっかり魅了されたとのことで、彼のお腹にある「Almost Famous」(訳注:キャメロン・クロウ監督による『あの頃ペニー・レインと』の原題)のタトゥーのことは特に気にしなかったと言う−−「彼は本当に情熱に溢れていて、まるで大きなラブラドール・レトリバーの子犬が家具で激しくじゃれていて、ぐちゃぐちゃにしているのに、それでも、みんなから愛されるような存在だったんだ」−−しかしながら、圧倒的な経験のなさが「危険な学習曲線」のリスクにならないかどうか心配していたそうだ。だが彼はこれまでの慣習を破り、クロウのキャスティング・ディレクターにクリスマス・イヴの日、心からの電話をかけ、その役柄を獲得したのである。

それから彼は、生き方を改めた。27歳になり、少し成長した彼は、ハードなドラッグを自分ではやらなくなった(彼が「めちゃくちゃハイになっている」ビデオインタビューがオンラインで公開されている)。彼が2012年、エミネムの娘を「めちゃくちゃいい女」とツイートしたような、悪名高く自身をブラックリスト化するような行動をやめた。



彼は 7歳の娘を心から愛する父親でもある。娘はティーンエイジャー時代に多くの過ちを冒してきた彼に、新たな価値観を与えたと言う。MGKは敬虔なクリスチャンであり厳格なビジネスマン、そして布教家となった父と、9歳の時から、父母が自身の人生の大部分に関与していない母の元に生まれた。「俺は言うことややること、すべてに大きく関わってくれる娘がいることで本当に救われているんだ。俺たちは協力的で、一緒にいるのがとても楽しい。俺みたいな、反抗的な態度を持つなんて想像がつかないんだ。そんな奴だったら、正直に言うと、道に置いて来てしまうと思うよ」と、MGKは語る。

「バッド・シングス」のモデルにもなった酷い恋愛関係に終わりを告げた後、彼はポップ・シンガー・ソングライターのホールジーとともに幸せな時間を過ごすことが多くなっていった。彼らはTaoでも仲良く寄り添い、その後、ウェブスター ホールで行われたEmo Night L.Aでは2000年代のヒットを力一杯一緒に叫んでいた。MGKは「同じ部屋に、一晩で同じ国のナンバーワンを争った2人がいるように見えたって?いや、そんなセレブリティじゃないよ。ただ若さと、自由な精神がそこにあっただけだ。この関係に特にタイトルとかレッテルをつけるつもりもないけど、16歳の時に戻ったような気分だよ」と、彼女との関係を語る。

しかしながら、いつもトラブルは彼を見つけるのだ。SF映画の撮影中、警官を演じている俳優がMGKの胸をテイクの度に本気で殴った。彼がやめて欲しい旨を伝えると、警官役の俳優は我慢すべきだと言い放ったと言う。「コルソン・ベイカーとして、冷静に受け止めたよ」と、MGKは振り返る。「でも、マシン・ガン・ケリーとしてだったらあいつのケツを蹴り上げていたところだった」

そしてドライバー役の俳優は、MGKが自身の命を脅かしたと主張する。MGKは「ある特定のものの見方や存在感は、時として、他の人が言った言葉を自分のものだと認識してしまうんだ」と言う。映画制作の権威は彼のトレーラーにやって来て、「君は映画を作るためにここにいるんだよね?」と聞いた。MGK曰く、「その時俺は、”俺の曲はナンバーワンになったんだ。それでも俺は冬の極寒のシカゴで、朝5時にこのトレーラーにいるんだぜ。もちろん、この映画を完成させたいからに決まってる”って返したよ」とのことだ。

MGKは、ギグを行う時心の底から幸せだと言う。そしてある段階では、彼は未だにすべてが上手く行っているのが信じられないそうだ。それが彼のアルバム『bloom』に、カート・コバーンやジミ・ヘンドリックスといった、27歳より先の誕生日を迎えることの無かったヒーローたちに自らを重ね合わせ、自身を美化していたことについての楽曲「27」が収録されている。この曲はアルバム終盤に収録されていて、彼自身が歌っている。「俺は、”おい、これって現実がちょっと上手く行き過ぎてないか? ”と思っていた。たとえば、これってどうやったら上手くいくんだ? 人生ってたくさんの失敗があるけど、勝つにはどうしたら良くて、勝ち続けるにはどうしたら良いんだ? とか考える。ただ、この27歳という年を生き抜いてやりたかった。28歳に向けて早送りをしたいと思ったんだ」

しかし、死は彼のすぐそばまでやって来た。それは27歳の誕生日の夜、4月のことだった。そして数分間、そこに居座っていた。その時彼はプライベートギグのステージに立っていて、「スーツを着た中年の男性と若くて美人な女性」を見つめている時、胸のあたりに燃えるような、 「心臓がボコボコに強く殴られているような感じ」の痛みを覚えた。彼は6曲歌い終えたところでバックステージへ駆け込んだという。救急隊員を呼び、心臓発作かどうかの検査を行った。「みんな、俺が殴られたと思っていたんだ」と、MGKは語る。

実は、MGKが映画の撮影現場で受けたパンチが、胸部を骨折させていたのだ。医者は彼に一ヶ月のオフを命じたが、MGKはそれを無視した。その代わりに、合法大麻、アルコール、微量の「ブーム」と呼ばれるサイケデリックマッシュルームに加え、ヒドロコドンを独自の養生方法に加えた。「空きっ腹に薬を入れると眩暈がして、吐きそうになるだろ? 今、まさにそんな状態なんだ」と、ニューヨークのTaoに行く前、我々がミートボールを買おうとしていた時に彼はそう言っていた。



彼が27歳まで生きられたのは、驚くべきことのように思える。クロウは、「みんな心配していると思うよ。彼が自分の夢を叶える前に、自分で自分の身を滅ぼしてしまうんじゃないか、ってね。でもそれは、MGKファンとして通らなくちゃいけない道なんだろう」と言う。危険度の高い不運の連続と、大胆不敵でシリアスなパーティーを続けたおかげで、彼は傷つき続けた。昨年、MGKはデンマークで、TVで見ていたスポーツを真似しようとして捨てられた(「フェンスか何かの上を飛ぶヤツってなんだっけ? ハードル?」)。「リアルなオリンピックを見たいか?」と聞いたMGKは、車の上に登った。その際、雨が降っていることに気がつかなかったと言う。「俺の足はフロントガラスに落ちて行って……コンクリートに顔面をヒットしたんだ」と、MGKは当時の危険な様子を語る。その後、顔を縫い、腕にはギプスをつける事態になったが、次のショウは開催された。

MGKは成長したが、悪さを控えつつも未だにハードに生きている。ニューヨークからボルティモアまで一晩かけて移動していた際、朝5時になっても彼の乗っているバスは唸り声をあげていた。「ボビーヒル」と呼ばれるもの悲しげな照明係が彼のためにジョイントを巻いている間、MGKはエレクトリック・ギターとミニ・アンプを持ち出し、アルバム『bloom』に収録されているポップ・パンクソング「Let You Go」に入る前、「Voodoo Chile」をスロー・バージョンで差し込む演奏を試していた。彼は楽曲に「ギターが多すぎる」と感じていながらも、ヒットを願った。そしてその考えにはこう返答した:「音楽に、音楽が多すぎるなんてことはあり得るのか?」

シロックのショットが注がれ、MGKと彼のバンドが「Golden God」をシャウトし、筆者の顔にラップを浴びせている間、『bloom』のトラックがバスのサウンドシステムに響き渡っていた。一通り終わると、彼らは再びプレイし、パフォーマンスを繰り返した。Rookがウォッカのボトルから直飲みをする前に、「Yeah,ビッチ! 」と叫ぶ。「これが俺たちの音楽だぜ!」

MGKに対して、絶対に言ってはいけない言葉がある。それは、「あなたの古い作品の方が心に残っているの。それが大好き」ということだ。これは彼がソールドアウトとなったボルティモアのショウが終わった後、30代やそこらのブロンドのファンに、ストリートで無駄に言われた言葉そのものだった。パフォーマンスは非常に上手くいったのだと言う:彼と彼のバンド陣は、blink-182の「All the Small Things」をカバーした。サウンドが不調になると、彼はアカペラでフリースタイルを披露した。しかし彼は、懐かしさを褒めるファンの賞賛に、明らかに嫌な顔をした。そして、「俺は成長した。いつまでも壊れたままじゃいられないんだよ」と、ファンに向かって答えた。彼女は新しい曲も好きだと伝えたが、もう手遅れだった。

彼はバスに戻った後も、例のファンの言葉が頭から離れることはなかった。「10種類のフレーバーウィード」だという強力なウィードをファンからもらい、それを試しても、やはり忘れられなかった。そして、「何なんだよ!」彼は叫ぶ。「俺はすべてをかけた。あのステージにすべてをかけていたんだ! あれは間違ってる! あいつらは知りもしないくせに! ステージにたくさんのものを残して来たんだから、40歳の俺だって同じ道を歩いているわけがないんだ! 俺は毎日あそこで戦っているんだ! それの何が不満なんだ?」と続ける。バスの角には、MGKのショウに足繁く通っている若い女性がいた;バンドメンバーは彼女を、『あの頃ペニー・レインと』に倣って、ペニーと読んでいた。悲しんでいるMGKを見た彼女は、涙を拭いた。

「あのアルバムには、俺の魂が込められていたんだ」と、彼は続ける。MGKのツアーマネージャー、アンドレ・シスコは、例のファンがまだアルバム全体を聴いているはずがないことを指摘したが、それも軽くあしらった。そして、さらに彼は続ける。「みんなに楽しい気持ちを与えたんだ!どの曲でも惨めな気持ちになんてなりたくないから! 誰もがみんなヘロイン中毒なわけじゃない。みんなに何か感じてもらえるように作ったんだ」


Michael Bailey-Gates

そしてドスンとソファに腰を落とした。「奴らは何も知らないんだ。俺を打ちのめしてるってことも。俺はこれで生きてる! それを破り裂いて、俺の魂を食っちまうんだ」しかしその数分後、叱咤激励と合法大麻のおかげで、彼の不機嫌も収まってきた。話題はフー・ファイターズがウェンブリー・スタジアムで一番の音を出したバンドとして世界記録を持っている話になり、「俺たちはウェンブリー・スタジアムですぐにやるんだ」と言っていた。

MGKは、すぐにそうしたいと思っている。さらに、他にもやりたいことが多々あると言う。ロックや楽器を取り入れたい。「史上最高の1人」になりたい。コーチェラでプレイをしたい。数年前契約を果たしたショーン・コムズに関しては、彼がプライベートで褒めているにも関わらず、マスコミは何度も繰り返し取り上げることに対して思いがある(「俺は彼に、言っていたことを認めてもらいたい。その信念からもう一歩踏み出してほしい、と思ってる」)。

しかしながら、MGKは「今、受け入れられているかどうかなんてどうだっていい。言わば、カッコいいキッズだって? キッズなんてクソ食らえだ!」とも言っている。

つまり、MGKのリアルなゴールはどこにあるんだろうか? 「またうなだれて生きていたくないんだ」と、彼は答える。そして一息つき、顎を掻きながら再び考え、「実は、何も気にしていないんだ。またチーズバーガーを買えるか悩むとか、そんなことはしたくないな、ってくらいかな」と、笑みを浮かべて言った。