[画像] 福島商vs堀越

『栄冠は君に輝く』の作曲者、古関裕而の母校福島商に堀越を迎えて堀越と福島商

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 過去、春3回夏8回の甲子園出場実績があり、1971(昭和46)年春と2000(平成12)年春にはベスト8にも進出している福島商。しかし、2000年の春夏連続出場を最後に甲子園出場はない。それでも、昨夏の福島大会は久しぶりに決勝進出を果たして多くのファンや関係者を歓喜させた。しかし2000年以降に著しく県内で台頭してきている聖光学院の壁はあまりにも厚かった。決勝では大敗した。それでも、先への希望は繋がり、今春の県北地区第一代表決定戦ではその聖光学院を下した。県大会もベスト8に進出した。この夏はベスト8前の4回戦で惜敗したものの名門復活への期待は高まってきている。

 ネット裏には、古くからの「福商ファン」という人たちも、機を見ては顔を出して熱い視線を送っている。こうして地域に根差した伝統校は支えられている。学校創立は1897(明治30)年と古い歴史を有している。野球部も1922(大正11)年創部となっている。学制改革で福島商工となった時代もあったが、工業科が停止されて福島商となり、1965(昭和40)年から95年までは男子校の商業校となっていたという歴史もあり、現在も県立商業校としては珍しく男子生徒の方が多いくらいだという。

 福島商のグラウンドは右翼線は80mくらいということなので、右方向の打球はどうしても右飛が右越打になったり、右中間も破られやすくなってしまい、いくらか大味なスコアになっていくことは否めなかった。この試合でも堀越が4本、福島商は6本と都合10本の二塁打が飛び出した。その結果として、10点をめぐる点の取り合いとなったが、そんな中で両チームは今の段階でのテーマを確認しながら試合を行っていた。

 堀越はこの試合で新チーム8試合目ということだが、新チームとなっての初遠征で「1年生は遠征そのものが初めてということもあって、荷物の積み下ろしの段取りなんかにも戸惑って時間がかかりました」と鈴木了平助監督は苦笑する。それでも、朝6時30分に八王子市のグラウンドを出発して11時には福島商に到着していた。昨春に、かつて中学野球の指導で定評があり、修徳を率いて甲子園出場も果たした実績もある小田川雅彦監督が就任。昨秋からはユニフォームも新デザインとなった。袖口には、過去春夏5回ずつ合わせて10度の甲子園出場を星で表すようにした。

 ストッキングには、「太陽の如く生きよう」という校訓に基づいてその象徴として太陽を表すオレンジ色を強く入れ込んだものとなった。「まだ、あまり勝っていませんから、あまり知られていないですよね」と小田川監督は苦笑するが、「チーム作りは慌てずじっくりとやっていきます」と、慎重だった。

福島商・鈴木悠陽

 そんな中で、「今は、走塁に対する意識を高めています」という取り組みだが、その成果を示すようなわずかなスキを突いた好走塁も見られた。投手は、佐藤龍生君から左の佐藤開君とタイプの異なる投手をつないでいった。6回には二死二三塁で粘ってタイムリー打した7番の増田君には、「追い込まれた中で、よく打った!」と、ベンチから声をかけていた。こんな深い気にも、この秋は、久しぶりに堀越の躍進もありそうな気配を感じさせてくれていた。

 福島商はこの春から大きく成長してきたという鈴木悠陽君が先発。この日は最速134キロをマークしていたが、少し制球が不安定で6回で147球と球数が多くなってしまっていた。渡邉真也監督も、「ちょっと、投げ過ぎましたね」と心配していた。7回から右下手の伊藤広起君が登板し、失策での失点はあったものの、巧みに堀越打線を交わしていた。

 ところで、福島商の卒業生の一人として、日本を代表する作曲家で、日本の歌謡界や音楽界はもちろんのこと、高校野球をはじめとしてスポーツ界とも切っても切れない縁を有する古関裕而である。「とんがり帽子」や「長崎の鐘」「高原列車は行く」「君の名は」など日本の歌謡界にも多くの名曲を残している作曲家として知られている。そして、高校野球の関わりということで言えば1959(昭和24)年の第30回の際に制定された全国高校野球選手権大会歌「栄冠は君に輝く」(加賀大介作詞)の作曲者ということでもかかわりが深い。しかも、新幹線の福島駅の発車音は同曲となっている。そんな縁も深い。

 そして、福島駅前には来年の朝の連続テレビ小説『エール』が古関裕而・金子夫妻を描いたドラマだということで、ピアノを弾く古関裕而像の上に、その横断幕も掲げられていた。1964(昭和39)年の東京オリンピックでの入場行進曲をはじめ、「六甲おろし」や「闘魂込めて」という阪神と巨人の球団応援歌、早稲田大の「紺碧の空」などの応援歌や校歌なども多く手掛けているのだ。 そんな背景もあるだけに、福島商は是非、訪れてみたい場所の一つでもあった。

 なお、もう1試合、17時までの時間切りでやれるところまでやろうということで16時少し前にプレーボールとなったが、2回表一死となったところで雷が鳴り、雷雲が接近してきたということで、打ち切りとなった。外野後方に見える信夫山付近にピンポイントで雷雲に包まれていた。

(取材・写真=手束 仁)