奄美大島に大型クルーズ船を誘致する計画がある。だが、東洋文化研究者アレックス・カー氏らは「クルーズ船が立ち寄った場所に落とす利益は限定的であり、むしろ世界では既にクルーズ船の寄港に規制がかかる事態となっている」と警鐘を鳴らす――。

※本稿は、アレックス・カー、清野由美『観光亡国論』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

写真=iStock.com/Remus Kotsell
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Remus Kotsell

■いまだに根強い「質」より「量」を求める意識

【カー】私は2019年に来日55年目を迎えます。日本の文化の多様性や豊かさ、その深さに感銘を受けて、それらを広く世の中に発信したいと、1980年代からずっと、日本の文化と観光振興に取り組んできました。

根底にある日本への敬意は変わっていませんが、同時に日本というシステムそのものが持つマイナスの側面にも、これまでかなり意識を向けてきました。今は、観光分野にそのマイナスが象徴的に表れていると感じています。

【清野】たとえばどんなことでしょうか。

【カー】日本の観光業では、前世紀の高度経済成長期の「クオンティティ・ツーリズム(量の観光)」が、いまだに根を張っており、今の時代に通用する「クオリティ・ツーリズム(質の観光)」については浅い理解になっていることです。

【清野】「質を重視する観光」ではなく、「量を重視する観光」が、いまだに幅をきかせている、ということですね。でも、現在進行形でずいぶん変わってきていると思うのですが。

【カー】いろいろな旅の形が提案され、それらに魅力を感じる人たちが多くなっていることは確かです。しかし強固な意識基盤としてのクオンティティ・ツーリズム、あるいはマス・ツーリズムといってもいいですが、それはまだ深くはびこっています。たとえば奄美大島の大型クルーズ船誘致計画は、その典型的な事例の一つに挙げられます。

■奄美大島で持ち上がった「クルーズ船寄港地建設」

【清野】奄美大島に持ち上がっている、外国籍の大型クルーズ船の寄港地建設の話ですね。

2018年5月1日の『産経新聞』の記事(「【異聞〜要衝・奄美大島(上)】『中国にのみ込まれる』大型クルーズ船寄港計画の裏に…」)によれば、国土交通省が2017年8月に発表した「島嶼部における大型クルーズ船の寄港地開発に関する調査結果」を発端に、7000人の中国人観光客を乗せる大型クルーズ船の寄港計画が奄美大島で表面化しました。候補地の一つである瀬戸内町は、16年に寄港地建設の打診を受けたときにいったん断っていましたが、今回は誘致に向けて動き出しているそうです。

【カー】観光地としての基盤が何もない町に、一気に7000人の観光客が上陸することになったら、いったいどうなるのか。住民の不安は当然のことです。

【清野】候補地には、それに対応できるような道路はない、駐車場はない、公共のトイレはない、という何もない状態ですから、受け入れの際には、ここぞとばかりに、お決まりの大がかりな公共工事が発生するでしょう。

【カー】それらの原資はもちろん税金です。

【清野】その先の光景も予測できますね。クルーズ船の客をあてこんで、大規模なショッピングモールができる。そこには、ファッションブランドのアウトレット、宝石や化粧品のディスカウント店、ファストフードが並ぶフードコートが入る。世界各国でお目にかかる「あの眺め」です。

■観光客のお金は「別の土地」に流れていく

【カー】それでも欧米の観光先進地では、DMO(観光地域作りにおいて、戦略策定やマーケティング、マネージメントを一体的に行う組織体)による観光振興が、その地域の特性を生かした開発の中心になっています。しかし、奄美大島で進められようとしている大型クルーズ観光船のビジネスモデルから、その理念は見えてきません。

そもそも大人数を1カ所に集め、買い物をさせて利益を上げることが主眼で、観光は買い物のプラス・アルファぐらいのもの。しかも人々が買い物で消費したお金は、ショッピングセンターの運営業者を経由して、別の土地や国に流れていきます。

【清野】近ごろ、タイやバリ島で大問題となっている「ゼロドルツアー(zero-dollar tourism)」のような構図ですね。

【カー】まさしくそうです。ゼロドルツアーは、この数年、特にタイを中心とした東南アジアに蔓延している悪質な観光スキームです。このゼロドルツアーこそは、もう一つの大きな「観光亡国」的な話題ですね。

■タイを旅行しているのにお金は中国に流れる

【清野】ゼロドルツアーの仕組みを簡単に説明しますと、たとえば中国の旅行業者が、タダもしくはタダに近い激安料金のツアーを組んで、お客を大量にタイやバリ島に送り込みます。

現地では、ほぼ強制的に宝石店などでの買い物が組み込まれ、お客はそこで町の相場とはかけ離れた、高い買い物をさせられます。

宿泊は中国資本のホテルで、ガイドは中国人、バスも中国の業者と提携している会社、店の経営者も、もちろん中国人。それら事業者の売り上げは、ほとんど現地に落ちることなく、中国に流れるようになっています。とりわけ最近は、買い物には「WeChat Pay(ウィチャットペイ)」「Alipay(アリペイ)」という中国の携帯電話経由の決済システムを使いますから、お金は直接中国に入って、現地の税金逃れにもなるし、マネーロンダリングにもつながっていきます。

【カー】16年にタイ政府が調査したところ、このようなゼロドルツアーが毎年約20億ドル(2200億円)の損失をタイ経済に与えているという結果が出ています。16年から18年にかけて、タイとベトナムは対策を打ち出して、観光業界、ホテル業界、税務署などの取り締まりを強化していますが、なかなか効果は表れていません。

【清野】観光の悪用ですね。

■観光客が来ても「地元の観光振興」にはならない

【カー】この話はまさに、奄美大島の大型クルーズ船問題の根っこにあるものです。これまでに奄美に伝わっていた話では、アメリカの大手クルーズ会社がその筆頭となっていますが、外国籍のクルーズ船で中国人観光客を大量に島に連れてきて、乗客用に作ったショッピングセンターで買い物をさせる。

施設事業者がアメリカや中国系をはじめ、外資系企業なら、利益は日本にではなく、よその国に流れます。乗客はクルーズ船内に泊まり、現地に泊まるわけではありません。そのため迎え入れる寄港地が、観光関連の収入で潤う機会は少ない。むしろ、税金を使って諸設備を整備した分、赤字になる恐れもあります。

【清野】まさにゼロドルツアーと酷似しています。ただ、奄美大島で寄港地建設に賛成している人は、大勢の観光客で土地が賑わうから観光振興になる、という目算を持っていると思いますが。

【カー】大型クルーズ船は、宿泊も食事もエンタテインメントもショッピングも、何もかもその船の中で完結します。もし寄港地に上陸する観光ツアーを組んだとしても、その料金は、基本的に運営企業に行く仕組みになっている。

■一般の旅行者の方が、現地にお金を落としてくれる

【カー】アメリカ人ジャーナリストのエリザベス・ベッカーが著した『Overbooked : The Exploding Business of Travel and Tourism』(Simon & Schuster)という本に、大手クルーズ会社のビジネスの仕組みが詳しく描写されています。

著者はこの本で、クルーズ船観光のメッカであるベリーズ(西カリブ海)の観光局が行った調査をもとに、クルーズ船の乗客一人が使うお金と、一般の旅行者が使うお金の内訳を調べています。紙の上での計算では、クルーズ船の乗客が1日に消費する金額は100ドル。一方で、一般の旅行者は96ドル。しかしクルーズ船乗客の場合は、100ドルのうちの56%がクルーズ船に還流します。つまり、寄港地には44ドルしか落ちていません。

対して、一般の旅行者の場合は、現地に数日間滞在するので、宿泊代などを入れると、最終的に653ドルを現地で使います。一度に大量の乗客を送り込んでくる大型クルーズ船が、寄港地にとって、すばらしい消費喚起になるかといえば、実態はそうでもないのです。

■ヴェネツィアもアムステルダムも規制を始めた

【清野】その実態は、ヴェネツィアでも問題視されましたね。

【カー】ヴェネツィアでも一時、大型クルーズ船の寄港による観光過剰が起こりました。そこで、ヴェネツィア市が計算したところ、水、光熱インフラをはじめ、市がクルーズ船に与える公共的サービスのコストの方が、寄港から得られるお金より上回っていることが分かりました。同市では14年から大型クルーズ船の就航を厳しく規制しています。

【清野】ヴェネツィアだけではありません。『観光亡国論』にも書いたように、アムステルダムでも大型クルーズ船の寄港地を、旧市街から郊外に移して、市街地への悪影響を抑えるようにしています。古い町や小さな町に、一度に数千人の観光客が降りたつことは、経済が活性化するどころではなく、脅威なんですね。

【カー】ヴェネツィア市では、19年7月から市に上陸するすべての人に「訪問税」を課すことを決定しています。それまでクルーズ船は宿泊税をまぬかれてきましたが、今後は世界で「訪問税」「入島税」のような形が広がっていくでしょう。

■「観光」を利用した安全保障上の綱引き

【清野】日本では寄港地の候補になると、足元で典型的な公共工事が発生するので、その点で推進したいと考える人が必ず出てきます。

また奄美大島の場合、背後に日本の対中国安全保障上の綱引きがあるのかもしれません。日本は観光誘致を名目に、自衛隊の拠点を奄美大島に建設したい。一方、中国側には、観光クルーズをきっかけに、軍事海域の要衝となる奄美大島を実質支配したいという思惑がある。それなのに日本政府がいきなり「奄美に軍事施設を作る」といい出せば国民的、あるいは国際的な反発が必至です。そこで観光誘致を謳った大型港湾の建設計画を進める、というのです。

【カー】その件に関しては、観光とは完全に別の議題として、軍事なら軍事のスジで話すべきでしょう。観光が現地にもたらすメリット・デメリットと、軍事施設のそれにかかわる議論は、論点がまったく変わるはずですから。

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アレックス・カー東洋文化研究者
1952年、米国生まれ。NPO法人「篪庵(ちいおり)トラスト」理事長。イェール大学日本学部卒、オックスフォード大学にて中国学学士号、修士号取得。64年、父の赴任に伴い初来日。72年に慶應義塾大学へ留学し、73年に徳島県祖谷(いや)で約300年前の茅葺き屋根の古民家を購入。「篪庵」と名付ける。77年から京都府亀岡市に居を構え、90年代半ばからバンコクと京都を拠点に、講演、地域再生コンサル、執筆活動を行う。著書に『美しき日本の残像』(朝日文庫、94年新潮学芸賞)、『犬と鬼』(講談社)、『ニッポン景観論』(集英社)など。
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清野 由美(きよの・ゆみ)
ジャーナリスト
東京女子大学卒、慶應義塾大学大学院修了。ケンブリッジ大学客員研究員。出版社勤務を経て、92年よりフリーランスに。国内外の都市開発、デザイン、ビジネス、ライフスタイルを取材する一方、時代の先端を行く各界の人物記事を執筆。著書に『住む場所を選べば、生き方が変わる』(講談社)、『新・都市論TOKYO』『新・ムラ論TOKYO』(いずれも隈研吾氏との共著、集英社新書) など。
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(東洋文化研究者 アレックス・カー、ジャーナリスト 清野 由美)