2017年に文在寅政権が誕生後、現下の日韓関係は最悪の状態だ。文喜相韓国国会議長の天皇謝罪発言、自衛隊機に対するレーダー照射事件、従軍慰安婦問題、徴用工問題、竹島問題など、韓国は反日に向かって暴走している感がある。

【写真】果てしない行列……朝鮮戦争でソウルから脱出する避難民

 7月4日には日本が半導体原料の輸出制限を発動。事態は“日韓貿易戦争”にまで発展しつつある。1990年から93年まで在韓国日本大使館で防衛駐在官を務め、日韓関係の重要性を深く理解していると自認する筆者でさえも、昨今の韓国政府の反日政策には強い憤りを感じる。

「韓国人の中にあれほど偉大な方がいる限り、大丈夫」

 そんな時、私は自分の心をクールダウンする術として、ある偉大な韓国軍人を振り返ることにしている。「韓国人の中にあれほど偉大な方がいる限り、日韓関係は大丈夫」と自分に言い聞かせるのだ。

 その偉大な軍人とは、韓国陸軍の白善菀(ペク・ソニョップ)退役大将である。ちなみに、白大将は1920年11月のお生まれで、もうすぐ白寿(99歳)を迎えられる。白大将が白寿をむかえることは滅多にない語呂合わせでもある。


白善菀(ペク・ソニョップ)退役大将 ©文藝春秋

 日本語を流暢に喋り、日韓双方にとって両国関係が極めて重要であることを深く認識しておられる白大将は、現下の日韓関係を深く憂慮されていることだろう。

満州軍官学校を卒業した“西郷隆盛”

 白善菀退役大将は、筆者の防衛駐在官勤務時代を通じ最もお世話になった方である。帰国後も御厚誼・御指導を賜っている。私が自衛隊を退官する際の小宴には、わざわざソウルから熊本にお出で頂いたほどだ。

 第2次世界大戦を戦った帝国陸軍の将帥は「敗軍の将兵を語らず」で、あまり公の席で戦の話をされなかったからか、私は、旧日本軍の有名な将校から教えを頂く機会はほとんど無かった。しかし、白大将は1941年に満州軍官学校を卒業されており、韓国人ではあるものの、まるで旧日本陸軍の将軍に接するかのような感じがした。

 私にとっては国を守るという職業柄、今村均大将など旧日本陸軍の将帥に対する思慕のようなものを抱いていたが、彼らに代わって、しかも彼ら以上に客観的に、心をこめて御指導を頂いた白大将は、まるで父親のような気すらしている。

 私だけではない。反日感情が残る韓国において、歴代の防衛駐在官が白大将のお世話になっている。いわば「力強い後援者・後見人」の役割を担って頂いている。

 1920年生まれの白大将は朝鮮戦争の勃発時は29歳。その際は韓国陸軍第1師団長に任じられた。38度線の西翼にあたる開城の正面約90キロの防衛を担当していた。

 朝鮮戦争を戦う中で、その作戦・指揮能力などが認められ、逐次累進して第1軍団長、休戦会談韓国代表、参謀総長などを歴任し、1953年1月には、韓国軍初の陸軍大将になった。

 白大将は、村夫子然とした親しみやすい風貌で、肩書きに強くこだわる傾向が強い韓国人の中にあっては、例外的に極めて謙虚であり、相手の年齢・地位などに関わりなく、対等に、実に自然体で、気軽に対応され、どんな人でも懐に受け入れる器の大きさを実感できるお人柄であった。

 明治維新の立役者の一人、坂本龍馬が、西郷隆盛の人物を評して「大きく打てば大きく鳴り、小さく叩けば小さく鳴る鐘の如し」と言ったというが、私は白大将に親しく接して見て、この西郷隆盛評がそのまま白大将の人物評にも当てはまるように思えてならなかった。

朴正煕と全斗煥のクーデターを間近で目撃

 白大将は、常々シビリアンコントロールの重要性を強調された。白大将は、旧日本軍の政治関与については、満州軍の少壮将校時代に雰囲気の一端を体感されたことだろう。また、朝鮮戦争においては、マッカーサー元帥と接する機会もあったと思うが、マッカーサー元帥が朝鮮戦争指導においてトルーマン大統領と衝突し解任されるという事態を見聞され、これを教訓にされたのだと思われる。

 さらには、韓国においても1961年の朴正煕少将による軍事クーデター、そして1979年の全斗煥少将による粛軍クーデターが続き、韓国の政治に対する軍の関与を間近で目撃された。白大将は、歴史的にこのような軍の政治関与をつぶさに見られ、シビリアンコントロールの重要性を信念とされていたものと思う。だからこそ、韓国の歴代軍事政権とは一定の距離を置かれていたと承知している。

「戦場における指揮・統率の要諦は何ですか?」

 白大将の指揮・統率能力は朝鮮戦争の実戦を通じ証明され、名将の誉れが高い。私は、この点に関して大将に質問をしたことがある。

「大将、戦場における指揮・統率の要諦は何ですか?」

 白大将は、次のようにお答えになった。

「私は、朝鮮戦争の終始を通じ、マッカーサー元帥を始め第2次世界大戦で鍛えられたアメリカ陸・海軍の将軍、提督達の指揮統率をつぶさに見てきたが、共通した特徴は次の通りだった。即ち、彼らは、戦争の最中、最前線にも足を運ぶなどして、自らの耳目で部隊の現況をありのままに把握する努力をしていた。

 ただし、彼らは前線視察をする時は、兵士を激励することはあっても、直接個別に戦闘指導するようなことはなかった。前線を視察して、全軍に徹底する必要があると認めれば、文書により、全軍に布告するというやり方を採っていた。私にとって、第2次世界大戦を戦い抜き、実戦で鍛えられたアメリカ軍将官達は最高の先生であり、彼らを範として作戦・指揮・統率を学ぶことが出来たのです」

 大東亜戦争において、日本陸軍の将星達は、ともすれば現場の状況を無視し、或いは知らないままに教条的とも言える戦争指導を行う傾向があった。白大将は日本の将星には一切言及されなかったが、かかる事実もご承知の上で、私に対し「正確な現況把握努力の重要性」を特に強調して教えて頂いたのだと理解している。

「地下鉄サリン事件」に活きた至言

 さらに私はこうも訊ねたことがある。

「白大将、実戦体験の無い我々自衛隊が、有事に本当に戦うことが出来るものでしょうか?」

 白大将はこう述べられた。

「朝鮮戦争において韓国陸軍の将兵は、ほとんど実戦体験が無く特別な教育訓練も受けていなかったにもかかわらず、逃亡することも無くじつによく戦ったものだ。陸上自衛隊は、創隊以来の努力の積み重ねで、編成装備はもとより教育訓練も朝鮮戦争当時の韓国陸軍とは比較にならないほど完成されている。

 また、私が会った陸上自衛官は人物・能力共に優れた人達であった。実戦体験が無くとも、心配御無用。どうか自信を持ってください。有事に備えるためには、ただ、それぞれの立場で、『日常やるべき事』を地道に黙々とやっておくことです」

 白大将はこのように、温かく、励まされるように諭された。私は、その後、東京市谷の第32普通科連隊長として「地下鉄サリン事件」に遭遇し、「サリン除染作戦」の指揮を執ることになったのだが、部下の隊員達はサリンの恐怖をものともせず、汚染された地下鉄駅構内に突入し、除染(サリンの中和・解毒)作業を完遂してくれた。

 部下隊員たちのこのような活躍を見るにつけ、白大将のこのときの励ましの言葉が正しかったことを実感したものである。

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 福山隆氏も参加した「文藝春秋」4月号の座談会、「『日韓断交』完全シミュレーション」では、元韓国大使の寺田輝介氏、韓国富士ゼロックス元会長の高杉暢也氏、同志社大学教授の浅羽祐樹氏、産経新聞ソウル駐在客員論説委員の黒田勝弘氏が登場し、現実的な「日韓のあり方」を詳細に検討している。

盧武鉉、文在寅……98歳の“知日派韓国軍人”が危惧していた「反米政権の誕生」 へ続く

(福山 隆/文藝春秋 2019年4月号)