"闇営業問題"で吉本興業から契約を解消された雨上がり決死隊の宮迫博之が20日、ロンドンブーツ1号2号の田村亮とともに、都内で謝罪会見を行った。

問題が発覚した6月上旬から、当事者の会見は初めてのこと。吉本興業の関与が途切れたタイミングで開かれた。

二人は、所属先だった吉本に対し、先月のうちから謝罪会見を開きたいと嘆願していたという。


(左から)宮迫博之、田村亮






亮は、岡本昭彦社長に直接頼み込んだそうだが「そのとき、岡本社長が(当該芸人以外)『すべて外に出ろ』って、5人になりました。『おまえらテープを回していないやろな、(会見を)やってもいいけど、ほんなら、全員、連帯責任でクビにするからな。俺には、全員クビにする力がある」と会見が開かれなかった、やり取りを告白。亮は「僕ら、何も言えなかったです」と上層部の指示に従ってしまった経緯を明かした。

記者から「一昨日に契約解消や、引退という流れになった。そこまで追い込まれる状況になる前に、例えばSNSなどで、自身の気持ちを伝える手段があったのではないか?」という質問が飛んだ。

「そういうことは一切するなということでしたので、出来ませんでした」と宮迫。そして亮は「会社とも、お互い納得してやりたかったので(個人からの発信は)それは…」と答え、口をつぐんだ。

「(あくまでも会社側を)説得する方向、(会見を)やらせてくださいというお願いの方向でした」と今日まで会見が伸びた点を説明した。

その答えを聞いた記者が「お二人の会見の中には、吉本興業に対して、かなり暴露に近い話もあった。世論もざわつくと思います。改めて、吉本興業に対する思いは?」と尋ねた。

「こんな事実であるとしても…。僕らは、こんなことを言う会見にしたかったわけではないんです。僕たちは、詐欺被害にあわれた方々だったり、僕らのことを信用して笑って頂いた人たちに、只々、謝罪がしたかっただけなのです。そんなつもりじゃなかったんです。これまであった事実を細かく喋っていくと、こんな形になってしまって…。正直、不本意なんです」と事情を述べた。

「大阪人に生まれて、子供の頃からたくさん笑わせてもらっている吉本興業に18歳で入らせて頂いて、こんな阿保を30年間、育ててもらって…」と語ったところで、嗚咽(おえつ)を漏らした。












「吉本興業に対しては、感謝しかないですよ。感謝しか。こんな…こんなことしたいわけないじゃないですか。すいません」と苦しい胸の内を示した。

亮も「僕も宮迫さんと本当に一緒です。宮迫さんと会見をしたいとずっと言ってきたことも、会社を攻撃したいとは1ミリも考えていなかった。でも、自分たちを育ててくれた会社に対して、そういうことを思っていないこと、そういう気持ちすら、伝わらなくった。途中で、僕らが弁護士を立てた理由もそんなことではなかった。吉本側に回る弁護士さんではなく、第三者という形で弁護士さんを入れたいと相談したところ、吉本の方も最初は『いいやん』と仰ってくれてたのに、実際に弁護士さんが来ると、急に態度が変わったような感じがして…」と、関係性が変わった場面を回顧。

「そこから、吉本の弁護士さんとしか、話しが出来なくなって…。一方的な話しが来たり、記者会見を開くことも一向に進まなくなって、どんどん不信感が出てきました。もともと、謝罪がしたかった。世間の人にも謝罪がしたかったのに、どこからか話が変わっていき…。そして、会見も『ネットとかで全部見れるようにしてもらえませんか?』と伝えると『在京5社、在阪5社のテレビ局は、吉本の株主やから大丈夫』と言われました。僕らからすると、何が大丈夫なのか、よく分からないですけど、何か、僕たちが言うことが本当に伝わるのか、本当に気持ちが伝わるのか不安になったり。ネット(媒体)のことを止めようと感じてしまいまして…。もともと好きだった会社なのに、こんな風に変わっていくんだと、どんどん思いが変わっていきました。ファミリーだとか言ってくれていた方が、こんな風に変わってしまったことにビックリしています」と残念がっていた。