2007年のハロウィン翌日の夜、英国人留学生メレディス・カーチャーがイタリアの丘陵地ペルージャの自宅で殺害された。強盗に遭って運悪く殺された、というのが大方の見方だった。

事件後、警察はすぐに、カーチャーのルームメイトで風変わりなヒッピー風のアメリカ人、アマンダ・ノックスに目を付けた。警察が到着したとき犯行現場に居合わせていたこと、恋人といちゃついてヨガをするなど、状況に似つかわしくない行動をしていたというのが理由だった。事件のせいで若者たちが学生街から離れていく中、事件解決を急いだ地元警察は犯行現場を荒らし、科学捜査では大失態をやらかすなど、数々のミスを犯した。現地の悪魔信仰に悩まされていた地方判事は、悪魔崇拝の儀式で殺されたのだと判断し、世界中のメディアを騒がせた。あとになって振り返れば、これはほんの始まりに過ぎなかった。

捜査、裁判、控訴と、7年以上の月日が流れ、ついに2015年、起訴が取り下げられた。だがそれまでの間、何万人もの人々が有罪・無罪に分かれて、裁判関係者らに関して好き勝手言っていた。まるで彼らの個人的な知り合いで、胸の内が手に取るようにわかり、その奥に潜む凶悪な心、あるいは純真な心が読みとれるとでもいうように。

例えば、シアトルを拠点に活動するフランス語通訳ペギー・ギャノンは、「ペルージャ殺人事件簿(PMF)」というWEBサイトを運営していた。彼女は私に、アマンダ・ノックスの写真を見て「いかにも殺人鬼らしい容貌」だったから有罪に違いないと確信した、と言った。サイトには裁判書類の英訳や、ノックス本人と家族の写真に軽蔑のコメントをつけて掲載していた。ノックス家から数ブロックと離れていないところに住んでいたギャノンは、Skeptical Bystanderというハンドルネームでフォーラムを運営していたが、最終的に閉鎖された。彼女はこれを嫌がらせだとして、警察に苦情を申し立てた。

PMFは闇の中に消えたが、別の敵意に満ちたサイトは今もなおネット上で事件を追いかけている。「メレディス・カーチャーに真の正義を(TJMK)」と題したWEBサイトを立ち上げたのは、ニュージャージー在住のイギリス系アメリカ人ピーター・クネル氏だ。自称金融マンの彼は私の取材に対し、国連の顧問をしていた経験があると主張していた。

ノックスが有罪判決を受け、その後控訴裁で無罪放免となった時、TJMKの一派は野次を飛ばし、アアンダ・ノックスと彼女の恋人は自白を強制されたのだと主張するブロガーを罵倒した。自称CSIの専門家集団がどこからともなく現れてスレッドに参加し、証拠について議論したり血痕の写真を検証したり、ときにはカーチャーの遺体が写った恐ろしい警察の写真を拡大して公開したりもした。ちなみにこの写真は、裁判を担当した弁護士が報道陣に公開したものだ。

なぜアメリカ人の少女がチャールズ・マンソンに変貌したのか、その謎を本にするつもりで私はイタリアへ渡った。1カ月間イタリアに腰を据えた結果、「事実」として伝えられている情報の多くが、イタリアの警察の記録にはないことが判明した。ある時、私はクネル氏にメールを送り、彼が主張する一連の「証拠」はどこから入手したものなのか尋ねた。

するとクネル氏は、私がこれまで――女性ジャーナリストのはしくれとして――受け取った中でも、脅迫に分類されるメールを送ってきた。私のマンハッタンのアパートを「監視」してやると言い、「子供たちは元気か?」という言葉で締めくくった。

一方、イタリアではジャーナリスト保護委員会(CPI)が警戒を強めていた。イタリアの司法制度に異議申し立て書を提出したジャーナリストに対し、警察や検察からの攻撃が行われているというのだ。CPIによると、ペルージャ警察は罪のないイタリア人ブロガーのアパートに、令状もなく、警察バッジを見せることもなく無理やり押し入り、彼を床に押し倒して殴りつけ、手錠をかけた後、馬乗りになって首を絞めたという。地方判事も同様に、自分の気に入らない記事を書いた記者を召喚し、有罪にした経歴の持ち主だとも語った。彼はベテラン犯罪記者を刑務所に入れ、アメリカ人の作家を国外追放し、ノックス裁判で彼の判決に疑問を呈したイタリアやアメリカの記事を次々と名誉棄損で訴えた。

イタリア最高裁は2015年、ノックスの有罪判決を覆した。ヨーロッパ人権裁判所は今年イタリアに対し、ペルージャ警察の不手際に対する損害賠償金をノックスに支払うよう命じた。いまとなっては、ノックス裁判も冤罪だったと広く認知されている。だが数百万の人々にとっては、いまもフェイクニュースであり続けている。

そして現地時間の13日、アマンダ・ノックスはイタリアへ向かった。国民の大半がいまだに彼女を12年前のルームメイト殺人事件の犯人だと考えている国で、「恐怖と向き合う」ために。