アクリル板で作られた専用のボックスの中に入れられ展示されているゴッホの「草むら」(筆者撮影)
神奈川県・箱根のポーラ美術館では7月28日まで、ひろしま美術館との共同企画展「印象派、記憶への旅」が開催されている。両館は印象派をはじめとする西洋近代絵画の充実したコレクションを持つことで知られている。
その企画展の第2会場の入り口付近に、額を外し、アクリル板で作られた専用のボックスの中に入れられた1枚の絵が展示されている。この絵はポスト印象派(後期印象派)の巨匠、フィンセント・ファン・ゴッホが描いた「草むら」(ポーラ美術館蔵)という作品だ。その展示のされ方から、まさか本物のゴッホの絵だとは思わずに、素通りしてしまう人も多い。なぜ、ゴッホの名画がこのように展示されているのだろうか。
なぜ、裏側を見せるのか
ポーラ美術館学芸課長の岩粼余帆子氏は、「カンヴァスの裏側や側面、絵が張られている木枠もよく見ていただきたいとの思いから、このような展示方法を考案した」と話を切り出す。
「草むら」の裏面には付着した絵の具やインクで書かれた文字などが見て取れる(筆者撮影)
岩粼氏に促されて絵の裏側にまわってみると、カンヴァスの裏面には絵の具が所々に付着しており、木枠にはインクで文字が書かれているのがすぐにわかる。これらの絵の具や文字が何を意味するのか、岩粼氏はポーラ美術館に就職した当時から興味を持っていた。
その後、十分な調査ができないままでいたが、3年ほど前にひろしま美術館との共同企画展の話が持ち上がったタイミングで、文化財保存修復学を専門とする東海大学の田口かおり講師の協力を得て、蛍光X線分析装置等を用いた本格的な調査が行われることになった。そして、この調査の結果、さまざまなことが判明し、今回の企画展では、その成果を一般の来館者にもわかりやすく展示することになったのだ。
カンヴァスの裏側をさらによく見てみると、半分よりやや下のあたりに集中して、黄色い点や草を表すような緑色の絵の具が、かなり激しく付着しているのがわかる。
「これは明らかに木枠を外し、ほかの絵と重ねていた痕跡だ。絵を描いた後、絵の具が乾かないうちに絵を重ねて保管していた、または絵を売るためにパリで画商をしていた弟のテオ(テオドルス・ファン・ゴッホ)に、ほかの絵と重ねてすぐに送った可能性がある。いずれにせよ、ゴッホの制作状況を知る手がかりになる」と岩粼氏は話す。
今回の調査では、この付着した絵の具がゴッホのどの作品のものなのかを特定しようと試みた。実は、「草むら」がいつ描かれたのかについては説が分かれているのだが、「草むら」に重ねられていた作品がわかれば、制作時期の特定に向け、大きな手がかりになる。
「草むら」の制作時期については、画家の全作品を収録する「カタログ・レゾネ」では、南仏のアルルに居住していた時代(1888〜1889年5月)に描かれた作品であるとされている。
しかし、最近、オランダのゴッホ美術館が所蔵する、これまでアルル時代に描かれたとされていた「2匹の蝶」という作品が、カンヴァス調査の結果、1890年春にサン=レミで描かれたと修正された。この「2匹の蝶」と「草むら」はテーマや画面構成で類似点が多い。
ゴッホはアルルでのゴーギャンとの共同生活が破綻し、耳切り事件を起こした後、サン=レミの精神療養院に収容された。2つの作品は、いずれもサン=レミの精神療養院の庭を描いたものである可能性がある。
岩粼氏は以前から、スイスのヴィンタートゥール美術館にある「黄色い花の野」という作品こそが、「草むら」に重ねられていた作品なのではないかと見当をつけていた。そこで、田口氏がスイスに赴き、「黄色い花の野」の調査を行った。しかし、残念ながら「黄色い花の野」の表面には、カンヴァスを重ねたことによる絵の具の剥落は確認できず、花を表す黄色い絵の具の位置も、一部しか一致しなかったという。
結局、ヴィンタートゥール美術館の「黄色い花の野」は「草むら」に重ねられていた作品ではないという結論になった。
黄色い花を描いた未発見のゴッホの作品がどこかに眠っているのだろうか。それとも、すでに失われてしまった絵なのか、謎は残されたままだ。
「草むら」が貴重な作品である理由
次に岩粼氏が注目してほしいというのが、カンヴァスを張り付けた木枠の裏側に書かれた文字だ。木枠の上部には、「1923 in Amsterdam」や「Frau van Gogh-Bongel」という名前などが読み取れる。一方、木枠の下部には「Elisabeth V.D. Schulenburg」という名前が書かれている。
これらの文字を総合すると、「1923年にアムステルダムでエリザベス・シューレンブルクは、ファン・ゴッホ=ボンゲル夫人(Frauはミセスなどの意味の敬称)からこの絵を買った」という意味になる。岩粼氏によれば、この情報の中で重要なのは、売り手であるファン・ゴッホ=ボンゲルだという。
このファン・ゴッホ=ボンゲルという人物は、ゴッホの弟テオの未亡人のヨハンナ(通称:ヨー)のことだ。テオは兄の死の翌年の1891年に亡くなっており、その後はヨーがゴッホの絵を管理していた。
つまり、「この絵は、ゴッホの死後、30年以上にわたりヨーが保管していた可能性が高い。そして買い手にとっては、ゴッホの遺族から直接絵を購入したということが極めて重要だったために、木枠にこのような情報を書き込んだのだと思われる。さらに言えば、ヨーが保管していたということは、この絵がゴッホの真作であることを示す決め手の1つになる」(岩粼氏)。
「草むら」の裏側には、もう1つ重要な情報が書かれている。それは、カンヴァスの上のほうに書かれている「Vincent」という文字だ。
「ゴッホがカンヴァスの裏側に署名するとは考えづらいために、今日ではこの文字は、後に誰かが書いたものだと考えられるようになっている。しかし、ある時期まではゴッホの直筆サインであると考えられていた。そのおかげで、この作品は裏打ちされることを免れてきた」(岩粼氏)という。
裏打ちというのは、カンヴァスを補強する手法であり、印象派の絵の多くが、この手法で補強を受けているという。それ以前の、例えばルネサンス期の絵画は板などに描かれていることが多く、移動されることも少ないため、比較的損傷が少ない。しかし、印象派の時代になると絵が布(カンヴァス)に描かれ、また、画商が活躍しはじめた時期でもあり、持ち主を転々とする過程で損傷することが多くなった。
そこで、カンヴァスの裏に別のカンヴァスをワックスと熱で張り付ける方法で裏打ちが行われるようになった。
「裏打ちはワックスの影響によって、絵の具の色彩の鮮やかさを失う。おそらく、印象派の作品の多くは、描かれた当時は、今よりもずっと鮮やかな色彩を放っていたのではないか」(岩粼氏)という。
では、裏打ちを免れた「草むら」はゴッホが描いた当時のままの色彩を保っているのだろうか。実は、必ずしもそうではないらしい。
今回の調査でカンヴァスの裏側に、赤や紫の絵の具が染み出ていることがわかった。また、普段は額に隠れているカンヴァスの側面を見ると、赤や紫の絵の具が残っているのが見て取れる。
「赤や紫の絵の具は、光に当たると退色しやすい。ゴッホは、草の影などを赤や紫で描いていたと思われ、描かれた当時は、もっと華やかな絵だったのではないか」(岩粼氏)という。こうした部分も、今回の展覧会の見逃せないポイントだ。
オレンジ色の下地が意味することは?
そのほかの作品についても、少し見てみよう。「草むら」のすぐ近くに展示されている「ヴィゲラ運河にかかるグレーズ橋」(ポーラ美術館蔵)についても、今回調査が行われた。
(左)ゴッホ「ヴィゲラ運河にかかるグレーズ橋」、(右)「ヴィゲラ運河にかかるグレーズ橋」のオレンジの下地(写真:ポーラ美術館)
マイクロスコープ(顕微鏡)で拡大した写真を見ると、下地にオレンジ色の絵の具が塗られていることがわかる。下地を塗ってその上に絵を描く手法は決して珍しくはないが、下地にオレンジを用いるのはまれだという。
「この絵を描いた時期は、アルルでゴーギャンとともに芸術家の理想郷を作ろうと夢見ていた、いわばゴッホの人生で最も希望に満ちていた時代だ。
また、浮世絵などを通じて日本に憧れたゴッホは、日本に行けない代わりに、陽光に満ちた南仏のアルルにやってきた。そうした気持ちの高ぶりが、明るい色の下地に表れている」(岩粼氏)という。
亡くなる直前まで絵に対する情熱を持っていた
さらに、その隣に飾られている「アザミの花」(ポーラ美術館蔵)は、ゴッホがピストル自殺を遂げるおよそ1カ月前に描いた作品だ。とくに新たな発見というわけではないが、岩粼氏は、花びらの部分の盛り上がるような立体的な筆遣いをよく見てほしいと言う。
「太い筆と細い筆を併用して立体感を出している。こうした筆遣いは、ほかではあまり見られない。亡くなる1カ月前であるにもかかわらず、直前まで絵画制作に対する向上心や対象に迫りたいという気持ちを持って絵を描いているのがわかる。描いた絵を見るかぎり、絵画に対する真摯な態度は、最後の最後までずっと変わらず持っていたのだと思う」(岩粼氏)
今回の企画展はモネやルノワールなど、印象派の人気作品が展示されているだけでなく、ポーラ美術館とひろしま美術館の類似したコレクション作品を並べて展示するなど、さまざまな趣向が凝らされている。また、一部の作品は写真撮影が許可されているのも、日本では珍しい。
ポーラ美術館は、周囲の森に遊歩道が整備されているほか、近隣には梅雨時に最も多くの植物が見頃を迎える箱根湿生花園などもある。絵画好きの人に限らず、この時期に足を運んでみることをおすすめする。