――もっとも希林さん自身は、見返りを求める方ではなかったと思いますが。
浅田 うん、それは絶対になかった。それでも、もし恩返しができるなら、「これから」だと思うんです。これから私がいろんな作品に出演して、役者としてしっかりと真摯に向き合うことが大事だと思っています。それでしか希林さんに喜んでもらえませんから。もう私も60歳をすぎていますけどね。でも、そういう新鮮な気持ちで今は取り組んでいます。
★希林さんと裕也さんのこと
――奇しくも希林さんの遺作という特別な意味を持つことになりました。
浅田 この作品をやると決まった時点で、「これはきちんと最後までやり切らないといけない」と覚悟はしていました。ただ、その時点では希林さんが亡くなるなんて考えてもいなかったから…。がんが転移していることはもちろん知っていたけど、こんなに早いとは思っていなかった。自分は近くにいたからこそ、「まだまだ亡くなるってことはないでしょ」という希望的観測も含まれていたのかもしれないですけどね。でも、本当に最期まで元気だったんですよ。自分で車を運転しながら、あちこちで精力的に活動されていましたし。若干、食欲は落ちたかなと思ったけど、去年の夏は暑かったですし。
――時系列でいうと、クランクアップしてから亡くなったんですか?
浅田 はい。撮影はすべて終わり、編集に入っていたタイミング。入院した病床でも「どうなっているの?」って、この作品のことを常に心配してくれていました。(元になった)実際の事件のインタビュー音源を入れるかどうか、頭を悩ませていたし。
――浅田さんから見た希林さんとは?
浅田 …生き様が立派な人だったと思う。芝居に関してだけじゃなく、人生そのものが立派だった。希林さんがいつも私に言っていたのは、「芸能人である前に、まずは人なんだよ」ということ。周りがチヤホヤしてくれることで勘違いする人も中にはいるけど、人としてきちんと地に足をつけて生きることが一番大事。「だから私なんてね…」と言って、「Suicaも持っているし、ジパング倶楽部にも入っているの」って自慢するんです。逆に言うと、人としてちゃんと生きていないと芝居なんて無理という考えだったんです。
――浅田さんが結婚した際、希林さんと内田裕也さんが、本気なのかと吉田拓郎さんに詰め寄った話は有名です。普通、家庭の話に首は突っ込まないですよ。
浅田 その後、離婚した時、「別れても相手を悪く言わない。あなた、そこは偉いよ!」って褒めてくれました(笑)。それで言うと、希林さんも裕也さんのことは決して悪く言わないんですよね。私なんて何度「離婚したら?」って言ったか分からないのに。裕也さん、世間では暴れん坊みたいなイメージだったじゃないですか。だけど実際に会うとすごく純粋だし、子供みたいに無邪気なんです。そういうところが好きだったんじゃないかと私は思う。
――今後のことについてお聞かせください。
浅田 『エリカ38』を経験したことで、その後、他の作品に出演するときも取り組み方が変わったかも。遅いかもしれないけど、改めて日々勉強だなって感じます。この年になってもチャレンジできること自体、幸せだと思いますね。
浅田美代子
1956年、東京都出身。高校2年生の時にスカウトされ、ドラマ『時間ですよ』(TBS系)のお手伝いさん役でデビュー。たちまち人気女優、歌手として活躍する一方、その後はバラエティー番組でも天然キャラで人気を獲得し、現在も精力的に活動している。
(c)吉本興業
映画『エリカ38』2019年6月7日TOHO
シネマズシャンテ他全国ロードショー
監督・脚本◎日比遊一 企画◎樹木希林
製作総指揮◎奥山和由 出演◎浅田美代子、平岳大、
木内みどり、小松政夫、古谷一行ほか
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