中国ではイノベーションによる経済発展が目覚ましい。北京市在住で、対外経済貿易大学の西村友作教授は「イノベーション駆動型モデルへの転換を実現するために、近年、中国政府はさまざまな政策を矢継ぎ早に打ち出している。海外のハイレベル人材の招致に取り組み、『中国のシリコンバレー』も登場した」という。その全容とは――。
北京で開かれた「アジア文明対話大会」の開幕式で演説する中国の習近平国家主席=5月15日、中国・北京(写真=AFP/時事通信フォト)

※本稿は、西村友作『キャッシュレス国家』(文藝春秋)の一部を再編集したものです。

■習主席が口を酸っぱくして言った「創新」

「創新」(イノベーション)

2017年10月、中国共産党第19回党大会の約3時間半にも及んだ開幕演説で、習近平国家主席が57回も口にした言葉である。特に経済分野においては、「イノベーションは発展をリードする第一の原動力であり、現代化経済システムを構築する上での戦略的支柱である」と強調した。

これは今の中国を理解する上で欠かせないキーワードだ。モバイル決済をベースとしたさまざまなビジネスが登場する「新経済」が、なぜ中国社会の隅々にまで行きわたるほど発展したのか、その理由の一つでもある。

発展の背景にスマホの普及という面はあるが、それは日本でも同じだ。しかし私が見るところモバイル決済を中心としたエコシステムは、日本よりも早く、中国で広まっている。それはなぜか。その理由を説明していこう。

まず挙げておきたいのが政府の後押しだ。イノベーションの原資となる「ヒト」「モノ」「カネ」が集まる政策を積極的に推し進めている。また、それをチャンスと捉え、リスクを恐れずに挑戦する人材がいる。

なぜ政府はイノベーションを奨励しているのか。その背景には経済成長の減速、そして発展モデルの転換という意図があるが、実はそれだけではない。

猛スピードで発展してきた中国社会には、先進国に住む日本人では想像もつかないような問題が山積している。だから中国政府としては、新しいビジネス、サービスを通じて、政府の力だけでは難しかった社会問題が解決することを期待しているのだ。
 
 一般市民が「不便」「不安」と感じる問題の解決はビジネスチャンスとなりうる。この「社会問題の解決」も、中国でイノベーションが起こる大きな原動力となっている。

■海外へ出たエリートが大量Uターン

イノベーションを起こしうるレベルの高い人材は、一国の持続的な経済成長の実現には不可欠な要素である。この高度人材の招致は、グローバル金融危機で経済成長が大きく下振れした2008年末から進められていた。それが「海外ハイレベル人材招致計画」、通称「千人計画」だ。

海外からの帰国者のことを中国語では、同音の「海亀(ハイグイ)」にかけて「海帰(ハイグイ)」と呼ぶ。この「ハイグイ」の呼び戻しへ積極的に動き出したのがリーマンショック直後だった。

中国共産党中央弁公庁から2008年12月に出された「海外ハイレベル人材招致計画の実施に関する意見」では、「先進国に留学した人材の内、およそ二十数万人が学業終了後、海外で働いており、そのうち45歳以下で助教授(Assistant professor)もしくはそれに準ずる人材は約6.7万人、国外の著名企業、高水準の大学や研究機関において准教授(Associate professor)もしくはそれに準ずる人材は約1.5万人いる」とし、これらの高度人材を国内へと呼び戻すためにさまざまな破格の優遇措置を設けた。

例えば、100万元(約1600万円)の一時金の提供や、希望する都市の戸籍の授与だ。中国人の戸籍は「農村戸籍」と「都市戸籍」に分かれており、戸籍の移動は制限されている。戸籍が無いと、その都市での住宅購入が困難になったり、子供が公立学校に就学できなかったりと、生活のさまざまな面において制限を受ける。

だが北京や上海といった大都市の戸籍は厳しく管理されており、なかなか取得することができない。この戸籍が「ハイグイ」を呼び戻すために利用されたのである。

■ボーナスは最高5000万円にも

中央政府の方針を受けて、地方政府レベルでも海外のハイレベル人材の招致に取り組んでいる。例えば、中国国内でよく知られている政策が深圳(シンセン)市の「孔雀計画」だ。2011年の計画スタート当時、一時金は80万〜150万元(約1280万〜2400万円)だったが、2016年から160万元〜300万元に倍増された。この計画が奏功して、深セン市は「中国のシリコンバレー」と呼ばれるほど、イノベーション都市として急成長を遂げた。

2008年のグローバル金融危機で世界的に雇用環境が悪化したことに加え、中国政府も海外高度人材の呼び戻しに動いたことで、2000年代後半以降「ハイグイ」は急増し続け、2017年には48万1000人に達している。

海外で学んだ人材を呼び戻すだけではなく、国内においても民間企業を巻き込んでハイレベル人材の育成に力を入れ始めている。その代表格が貴州省だ。中国南西部の奥地にあり、経済発展が最も遅れた地域の一つだったが、国家級ビッグデータ総合試験区に選定され、現在ではグローバルなハイテク企業が集積する一大拠点へと発展を遂げている。

その貴州省は2016年、アリババグループと協力協定を結び、3年間で2500人のクラウドコンピューティング・ビッグデータの高度専門人材と、エンジニアなどの技術者1万人を育成する計画を打ち出した。翌17年アリババグループ傘下の「阿里雲計算公司」(アリババクラウド)は、「工業強省」を目指す貴州省が人材育成のために2013年に新設した大学「貴州理工学院」と、共同で「アリババ・貴州理工ビッグデータ学院」を開校した。

■最先端の機器を揃えた施設を政府が用意

こうした人材育成の場は他にもある。2015年に開校した起業家育成のためのビジネススクール「湖畔大学」は学位取得のための大学ではないが、アリババの創業者・馬雲(ジャック・マー)氏が学長を務め、聯想集団(レノボ)や復星集団といった名だたる企業の董事長(会長)が幹部に名を連ねている。アリババのお膝元である浙江省杭州市に位置し、主に3年以上の経営経験がある起業家を対象としている。

これら国内外のハイレベル人材が起業しやすくするため、ハード面での環境整備も政府主導で進められている。2015年3月、国務院(日本の内閣に相当)から「衆創空間の発展と大衆によるイノベーション・創業の推進に関する指導意見」が公布された。

「衆創空間」とは、「大衆創業・万衆創新」を実現する空間のことであり、一般的にコワーキングスペースやメイカースペース、ハッカースペースなど、最先端の機器を揃え、さまざまな立場の人が利用できるワークスペースの総称として使われている。中央の政策に合わせ地方政府も積極的に支援に動いた。例えば、深セン市、上海市、北京市なども同年に関連政策を発表している。

政策効果は顕著に表れており、インキュベーション施設とそこに入居するスタートアップ企業数は、2015年に前年比でそれぞれ44.9%と29.4%増加している。

■「アリババに続け」と優秀な若者が奮起

ここまで見てきたように、中国では政府主導でイノベーション型国家の建設を推し進めている。ただし、大まかな方針や発展方向は決めるが、過度な規制をかけない開放的な政策をとっている。私が見るところ、中国政府はイノベーションが生まれやすい環境を整備することに徹しているように思われる。

過去に事例がない「新経済」分野においては、細かく国家が指導するのではなく、環境を整備して、自由に経済活動をさせた方がイノベーションは生まれやすい、と考えているのかもしれない。

とはいえ環境が整っているだけでは不十分であろう。この恵まれた環境を利用して、新たに生まれた技術を製品化・サービス化し、社会に実装(提供)していく行動力のあるリーダーがいなければ、社会にメリットをもたらすことはできない。「中国新経済」でイノベーションが生まれる要因の一つに、チャンスがあればリスクを恐れず果敢にチャレンジする成功に飢えたリーダーたちの存在がある。

その代表格が、前出のアリババの創業者・馬雲氏や、テンセントの創業者・馬化騰(ポニー・マー)氏だ。彼らに続こうと、多くの優秀な若者が、政府が整えた環境を利用して、「創業」(起業)している。

当然だが、中国人も多様なので、みなが起業家を目指しているわけではない。しかし、世界一の人口を有する国であり、そのうえ多くの優秀な人材が国外から呼び戻されたり、国内で育成されたりしている。だから人材の層が厚くなっており、おのずと起業する人数も多くなっていると考えられる。

■共通する特徴はとにもかくにも「早さ」

西村 友作『キャッシュレス国家 「中国新経済」の光と影』(文藝春秋)

もともと変化の速かった中国社会であるが、変化のスピードがここ数年で一気にアップしたように感じる。その一因となっているのが、この続々と登場する起業家たちが生み出す新しいビジネスによって、「新経済」のエコシステムが急速に拡大、変化していることであろう。

イノベーション企業の特徴はとにかく「早い」ことだ。リーダーによる迅速な意思決定のもとで事業が進んでいくので、スタートが早く変化にも素早く対応できる。新たに発見した、競争相手の少ないブルーオーシャン市場にいち早く参入し、「先行者利益」を得るためには、製品の完成度が高まるのを待ってからスタートしていては間に合わない。過去に類を見ない事業は何が正解か誰も判断できないため、とにかくやってみるしかない。

また実際に始めたとしても、目まぐるしく変化する環境やユーザーの嗜好にスピード感をもって対応できなければ淘汰されるリスクは高くなる。だから、そうしたイノベーション企業は、ユーザーのコメントやフィードバック、口コミから問題点を見つけ出し迅速に改善を繰り返している。こうした絶え間ない努力が、成功につながるのだ。

新しいアイデアが生まれたらその発案者がリーダーとなり、ある程度の形になった時点でサービスを開始、問題が出たらそのたびに修正するというのが、イノベーション企業のスタイルと言えるだろう。

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西村 友作(にしむら・ゆうさく)
対外経済貿易大学 国際経済研究院 教授
1974年生まれ。専門は中国経済・金融。2002年より北京在住。2010年に中国の経済金融系重点大学である対外経済貿易大学で経済学博士号を取得し、同大学で日本人初の専任講師として採用される。同大副教授を経て、18年現職。日本銀行北京事務所の客員研究員も務める。

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(対外経済貿易大学 国際経済研究院 教授 西村 友作 写真=AFP/時事通信フォト 著者近影=Go Takayama)