先週末開幕したJリーグ。僕のような第三者にとって(職業上という意味を除いても)最大の問題は、どこが勝って、どこが負けるかではなく、試合が面白いか、つまらないかになる。時間の経過が速く感じられる試合。前半25分ぐらいかなと思って時計を見たら、35分も経っていたという試合だ。
 
 3人プラスアルファから5人に膨らんだ外国人枠の変更は、そうした意味で歓迎すべき出来事になる。Jリーグの娯楽性及び競技力向上に寄与することは間違いない。
  
 欧州では、職業選択の自由を謳ったボスマン判決の内容が施行された96-97シーズン以降、外国人枠はほぼフリーの状態になった。以来20年あまりが経過したが、ボスマン判決がサッカーの発展、繁栄に大きく貢献したことは、それ以前の世界と比較すれば一目瞭然になる。
  
 ボスマン判決は、欧州サッカー界のまさに起爆剤になった(EU離脱後のイングランドがどうなるか定かではないが)。Jリーグの5人枠に期待したくなる理由だ。
  
 しかしJ1の各チームは、これに対してきわめて鈍い反応を示した。開幕週で各チームが外国人選手をスタメンに送り込んだ平均値は1チームあたり2.5人。交代出場を含めても平均3人に届かないのだ。なんとか枠を満たしたのは鹿島アントラーズのみ(スタメン4人+交代1人)。その鹿島が大分に敗れたり、注目のヴィッセル神戸がC大阪に敗れたり、勝ち負けに関するニュースで巷は盛り上がっていたが、僕的にはこちらの方が断然、衝撃的な出来事に映る。外国人枠増を発展、繁栄の好機と捉えようとしない姿勢を問題視したくなる。
  
 ウチは日本人選手を育てて売るクラブなので、とか、日本人選手に勝るような外国人選手を獲得する資金がありません、とか、クラブに独自の方針や特殊事情があるなら、それはあらかじめ公表しなくてはならない。
  
 5人の外国人枠をスタメンに常時、満たそうと思えば、登録選手にはそれ以上の人数が必要だ。しかし監督が日本人である場合、チーム内に外国人選手が溢れかえる姿を想像することは難しい。
  
 これまでは日本人社会の中に外国人選手が存在するという感じだった。外国人選手には、日本の慣習に順応することが求められていた。しかし、その絶対的な人数が増えれば、チーム内はよくも悪くも国際的になる。日本式で押し通すことは難しくなる。日本人監督に対して意見する選手の割合が増す可能性もある。
 
 バルセロナからやってきたイニエスタが、日本人監督の下でプレーしたときどうなるか。C大阪との開幕戦に4人の外国人選手をスタメン出場させたヴィッセル神戸だが、監督をフアン・マヌエル・リージョではなく日本人が務める姿は、もはや想像することができない。
 
 日本人監督と日本人選手。レベルが高いのはどっちと問われれば、日本人選手になる。海外でプレーする日本人選手は数多くいるが、監督はほぼいない。言葉の問題もあるが、海外のクラブで采配を振るだけの器を備えた日本人監督が、サッカーの海外組と同じ割合で増えているようにはとても見えないのである。
 
 外国人枠増に伴うJリーグが国際化すれば、外国人監督(とりわけ欧州系)のニーズはそれに伴い、高まりを見せるのが本来の姿。しかし、起用された外国人選手が1チーム平均3人に満たなかったという現実から見えてくるものは、まさにその逆だ。非国際性が日本のサッカー界にはまだ多く存在する。日本人監督はその最たる存在になる。
 
 しかし、日本代表監督の座には現在、森保一という日本人監督が就いている。前任者も西野朗監督だった。日本人監督が既定路線になりつつあるこの現状に異を唱える人は少ない。両氏が外国人選手で溢れるJクラブで指揮を振る姿さえ、想像しにくいと言うのに、である。